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日本のキャッシュレス事情をまとめて解説!|専修大学 経済学部 小川健先生
「日本のキャッシュレス決済、多すぎてどれを使えばいいかわからない!」と感じたことはありませんか?ここ数年、さまざまなキャッシュレス決済サービスが普及しました。便利になった一方、使えるサービスが乱立し、どれが自分に合っているか迷ってしまう方もいらっしゃるでしょう。そこで、今回は専修大学で主に国際経済論を研究されている、 小川 健(おがわ たけし)先生(以下、OGAWA先生)に日本のキャッシュレス事情をお聞きしました。ここまで複雑になっているのは、日本ならではの背景があると先生は言います。日本のキャッシュレス事情を知りたい方は、ぜひ当記事をご参照ください。取材日:2023年9月14日キャッシュレス決済が重要な理由とは?当たり前に使っている銀行口座、実は珍しい?!日本のキャッシュレス事情を知るためにも、まずは日本の金融の現状について教えてください。OGAWA先生:まず日本の金融の強みとして、日本在住の日本国籍保有者の銀行口座保有率が他国より高いことが挙げられます。特に成人だと、銀行口座保有率は97〜98%となっています。ほとんどの銀行が口座維持管理手数料を取っておらず、水道光熱費や家賃などあらゆる支払いが銀行口座からの引き落とし・振り込みで済ませられます。企業が新入社員を採用する際、給与振込用の銀行口座を聞きますよね。「銀行口座はありません」と言えば、「作って来てね」と返されるのがオチになります。本来、給与の支払いは労働基準法24条で原則手渡しと定められています。給与の手渡しなんて、日雇いバイトくらいしか考えられないと思いますが、銀行口座は例外的な扱いです。それくらい、日本の金融は銀行口座によって支えられていると言えます。現金の弱みとは?当たり前のように銀行口座を持っていることが、実は凄いことだったんですね。OGAWA先生:そうですね。ただ、強みと弱みは表裏一体です。銀行口座を活用した現金の支払いが普及したことで、逆に新しい金融サービスが普及しにくい側面があります。「金融包摂(きんゆうほうせつ)」という用語をご存知でしょうか?どんな人・地域でも金融サービスを受けられるように、という意味で貧困対策でも使われています。この用語の背景には、現金だけしか使えないと出来ることが限られる、という実情が含まれています。具体的には、どのようなケースが考えられますか?OGAWA先生:例えば通販サイトでお買い物をする場合、支払い手段が現金しかないと、代金引換に対応している商品しか買えなくなります。なぜなら、代金引換は配達人を選ぶ必要があり、その配達人の安全性を確保する必要があるからです。結果として、支払い手数料が引き上がってしまいますし、買えないものが出てくるでしょう。海外通販サイトの商品も直接買うことができません。また、所有者の証明手段が今その場で持っていることに限られる点も、現金の弱みとして挙げられます。昔のCMにもありましたが、自分が保有している現金でも他人の手に握られていたら、持ち主は自分だと主張しても信じてもらえないですよね。一方、クレジットカードを使えば海外の通販サイトでも簡単にお買い物できますし、虚偽申告でない限り不正利用の申告は基本的に認められます。つまり、状況によっては現金よりもキャッシュレス決済を使える方が良いと言えます。そう考えると、キャッシュレス決済は重要な役割があることが理解できますね。日本のキャッシュレス決済サービスの現状中国大陸・韓国は普及率高!日本の普及率は?ここ数年で、キャッシュレス決済サービスがかなり普及した印象ですが、実際はどうなんでしょうか?OGAWA先生:実は日本のキャッシュレス決済の普及率は32.5%と、先進国の中でかなり低いんですよ。特に、同じ東アジアの中国大陸 ・韓国と比べて、さらに差が開いています。 引用:経済産業省「キャッシュレス更なる普及促進に 向けた方向性」中国と韓国は、80%を超えていますね!どうしてここまで普及したんでしょうか?中国大陸では、日本でも使えるAlipay・WeChatPayの2大QRコード決済アプリがかなり普及しています。ほとんどの支払いが、どちらかのアプリで済ませられます。韓国では1997年のアジア通貨危機をきっかけに、一定年商以上の店舗ではクレジットカードの取り扱いが義務付けられています。そのため、お店の支払いはほぼクレジットカードで済ませられ、結果として普及率が高くなりました。痒いところに手が届かない!日本のキャッシュレス事情中国と韓国、それぞれ異なるキャッシュレス決済が普及しているのが面白いですね!日本でもキャッシュレス決済が使える場所は増えていますが、使えるサービスが多すぎると感じています。OGAWA先生:そうですね。サービスが多様過ぎる一方で対応しているサービスがローカル過ぎる部分があることが、日本のキャッシュレス事情だと言えます。もし、外国人がキャッシュレス決済だけで日本を旅行するなら、空港に着いた時点で“詰み”になるかもしれません。 というのも、公共交通機関でキャッシュレス決済が使える場所が、日本で最も国際線が乗り入れている成田空港でさえも、かなり限られるからです。外国から来た人が持っているキャッシュレス決済では在来線・バスはほぼ直接の乗車には使えません。 切符を買うのにクレジットカードが使えたとしても、外国製だと一部使えない場合があります。また、オンラインサイトでの切符の購入もインターフェースが複雑で、購入し難い面があります。一方で、シンガポールでは「SimplyGo」という、Visaタッチ決済のような非接触型のクレジットカードで直接鉄道に乗れる仕組みが普及しています。 引用:MSNEWS「SimplyGo EZ-Link Gives You Unlimited Cashback With Every Tap, Save Money On MRT Rides」日本でも、一部の鉄道で採用されていますが、全国規模で普及するのはまだ先の話でしょう。でも、SuicaやICOCAなどの交通系ICカードなら、現金を使わなくても全国の電車やバスに乗れますよね?OGAWA先生:おっしゃる通りです。特に「10カード」と呼ばれる交通系ICカードなら、全国相互利用サービスに対応しており、ICOCA圏内でSuicaが使えるといったエリアを跨いだ利用が可能です。全国くまなく、とはいかないまでも都市部を中心に数多くの地区で使えるように広がりつつあります。 引用:TeraDas「交通系電子マネーの相互利用状況が分かる相関図」2023年10月時点で、Suica・PASMO・ICOCAがスマートフォンに対応しているので、初めて日本に来た外国人でも、アプリをダウンロードしたら交通系ICカードが使えます。ただ、日本の交通系ICの規格は国際的に少数派のFeliCaで、海外のAndroidスマートフォンだと使えないと言われています。しかも、海外でのスマートフォン普及率はiPhoneよりもAndroidが高いため、スマートフォンで交通系ICカードを使える人は限られます。プラスチックカードを買えばいいと考えがちですが、SuicaやPASMOなど一部の10カード系の交通系ICでは、2023年10月時点でプラスチックカードが販売されていない例もあります。 交通系ICカードを使いたくても、使えない人が多数なんですね。OGAWA先生:もちろん、外貨両替やキャッシングで現金を確保したら問題はありませんが、普段からその国のキャッシュレス決済に慣れている外国人にとっては、少々戸惑うかもしれません。なので、もし私が日本に来る前に相手へ手紙を送れるなら、「日本中多くの主要都市の鉄道・バスで使え、少額の買い物もできるカード」と添えて、数万円チャージした無記名のSuicaなど10カード系の交通系ICカードを送りますね(笑)。乱立する日本のキャッシュレス決済サービス、その背景とは?統一化されないキャッシュレス決済の規格どうして、日本は他の先進国と比べてキャッシュレス決済の普及速度が遅いのでしょうか?OGAWA先生:これは日本の色々な業種で起きていることですが、サービス提供会社・地域が各々規格を持ちたがるからです。先ほど申し上げた交通系ICカードの全国相互利用サービスは、正確に言うと「10カードの規格を地方へ一方的に開放した」という意味です。例えば、札幌市営地下鉄で使えるSAPICAや広島の路面電車・モノレール・バスなどで使えるPASPYは、Suica圏内では使えません。SAPICAやPASPYの圏内でSuicaなどは使えるのに、です。また、未だ交通系ICカード自体が使えないエリアも未だに多くあります。例えば東北圏内はまだまだ普及しておらず、2023年5月に青森県・秋田県・岩手県の主要駅でやっとSuicaが導入されたのが現状です。また、 JR四国の駅にも非対応区域は多いと言われています。 引用:読売新聞「JR東がSuica「空白県」を解消…ICカード対応改札機、一つもなかった青森・秋田にも」普及が遅くても、いずれ全国で交通系ICカードが使えるようになるのではないですか?OGAWA先生:実は、そうとも言い切れないんです。例えば、2022年に北海道釧路市では流通系ICカードと言われるAEONの電子マネー「WAON」で、バスに乗れるサービスが拡大しました。地方ではAEONの影響力が強く、お買い物で使うWAONでバスも乗れた方が助かるニーズがあるんです。他にも、一部の吉野家ではWAONと10カード系が両方とも使えるお店でも、両者の決済端末を分ける事があるくらい、相互利用のハードルは高いんです。このように、技術的・地域的な背景からキャッシュレス決済サービスの規格が分断されてしまって統一化が難しく、結果として普及が遅れていると考えられます。なるほど、今のお話はQRコード決済・送金アプリにも当てはまりますね。OGAWA先生:おっしゃる通りです。ここ数年でQRコード決済アプリが使えるお店は増えましたが、顧客データの確保・給与のデジタル払い・マイナポイントへの対応等で、サービスが乱立してしまいました。そのため、使えるお店が増えたと言っても、お店によって使えるサービスが異なり、使いたくても使えないケースが出ています。個人間送金も、サービス自体は便利でも使える機会が少ないと感じています。OGAWA先生:そうですね。サービス間の互換性がなくて、個人間送金も利便性があるとは言い難いです。例えば、主に横浜で普及している「はまPay」から「PayPay」への送金はできません。送金するなら、相手が同じサービスを使っていることが前提となっています。飲み会の代金をもらう際、各サービスの電子マネーで集められたとしても、互換性がなければ幹事も困ってしまいますね。このような背景から、数年前に「JPQR」というQRコード決済の統一規格の動きもありましたが、現状うまくいっていません。技術的な責任だけにはできませんが、異なるコード決済アプリへの送金は難しいのが現状です。日本ならではの事情で、キャッシュレス決済の普及・統一が上手く進んでいないんですね。キャッシュレス決済と合わせて注目したい変化ちなみに、キャッシュレス決済に関する変化として、先生が注目しているものはありますか?OGAWA先生:電子レシートと無人レジですね。お買い物でほぼ必ずもらえるレシートですが、受け取ってもすぐに捨てたりそもそも受け取らなかったりすることがほとんどではないでしょうか。レシートを電子化すれば、受け取りの手間が省け、レシートに使われる紙を削減することも可能です。電子化すれば家計簿アプリ等にも組み込みやすい筈です。また、レシートに使われる紙の多くはFaxでも使われる感熱紙で、紙の中でも再生困難と言われています。環境保全に繋がるため、米国では環境団体の後押しもあって、スマートフォンで受け取れる電子レシートへの移行が進んでいます。無人レジは、日本でも一部のコンビニエンスストアやファッション店で普及しつつありますね。商品をバーコードで読み取る作業を購入者がおこなえば、人件費の削減が可能です。中国大陸では、顔認証決済端末も普及しつつあります。入店時の顔と登録した顔が一致していれば、棚から商品を取ったまま店を出ても自動で決済されるため、財布・スマートフォンがなくてもお買い物できます。細かな違いはあるのですが、日本でも話題となったAmazonのレジ無し店舗「Amazon Go」も近い性質を持った実験として知られています。番外編:ニュースを俯瞰的に見る方法とは?先生のお話を聞いて、情報を多角的に仕入れていらっしゃると感じました。ニュースを俯瞰的に見るには、どうすればいいでしょうか?OGAWA先生:目的を持ってニュースを見ることが大切です。私の場合は、講義で使えそうかどうか考えながら読んでいます。研究者であれば自身の研究に活かせるか、教育に意識がある人は教材として使えるか考えるでしょう。大事にして欲しいのは、自分と関連すること・興味の向くことに繋げるように見ることです。やはり、人間なので興味の向かないことに意識は向きにくいですから。確かに、私も今回のようなインタビューをさせていただく機会が増えたことで、金融・経済に関する興味が大きくなりました。OGAWA先生:「投資の勉強をしたかったら、少額でもいいから買ってみよう」という意見がありますよね。これってある意味正しくて、自分自身の意識を投資に関連付けるための手段の1つなんです。例えば、投資信託を少しでも購入すると、運用報告書が年に数回届きます。1回でも読めば、新しい気づきを得られるかもしれません。気づきを得られれば、世の中の出来事が自分にも関係あると感じて、自然とニュースが読めるようになるでしょう。私も担当する講義で外貨建て保険を教えたいと思い、実際に入ることで日本建て保険との違いが理解できました。なるほど!ニュースを読みたくても続けられない場合は、自分と関連付けることや興味を持たせる工夫をすればいいんですね。自分にとって新しいことを知っていく意義・楽しさが理解できました。この度はお話していただき、ありがとうございました! -
競争が激化する日本のデジタル決済サービス。シンガポール在住の経済学者の視点は?|埼玉大学 経済経営系大学院 長田 健教授
ここ数年で、日本ではデジタル決済が一気に普及しました。クレジットカードや電子マネーを皮切りに、QRコードをはじめとしたスマホ決済も身近な存在になっています。しかし、あまりにも多種多様なデジタル決済サービスが乱立しており、使いたくても種類が多くてややこしく感じた人もいらっしゃるでしょう。そこでHonNeでは、現在シンガポール国立大学で研究を進めている埼玉大学の 長田 健(おさだ たけし)教授に、シンガポールのフィンテック事情を交えつつ、日本のデジタル決済の現状についてお聞きしました。日本のフィンテック事情が知りたい方や経済に関する教養を深めたい方は、ぜひ当記事をご一読ください。取材日:2023年8月3日写真出典:埼玉大学シンガポールで体感した海外フィンテックの利便性日本も含めて、世界中でフィンテックが注目されています。先生は現在シンガポール大学で研究されていますが、シンガポールはどこまでフィンテックが普及していますか?シンガポールは日本よりもフィンテックが普及している印象です。私がシンガポールに住み始めて、便利だなって思ったサービスが3つあります。それぞれ紹介しますね。海外送金アプリは早くて送金手数料がやすいまず1つ目が「Wise(ワイズ)」っていう海外送金サービス。ワイズはイギリスの企業が開発したサービスですが、とにかくめちゃ簡単で送金手数料がめっちゃ安い。 出典:wise公式サイト日本で一般的に海外送金するには銀行を利用しますが、まずアポイントメントを取らないといけません。アポイントメントを取って、銀行に行って本人確認やいろんな必要書類を書いて、やっと手続きが完了。海外送金の準備をするだけでも約1週間もかかるんです。そこから送金がおこなわれるので、実際にお金が相手に着金するまで、早くても数週間はかかります。銀行を使った海外送金は、なぜ1ヵ月近くもかかるんですか?マネーロンダリング(資金洗浄)のリスクを防ぎたいからです。悪いことして手に入れたお金でも、国境を超えた送金を何度か繰り返せば、綺麗なお金になって戻せます。国としてはマネーロンダリングを防ぎたいから、誰が誰に対してお金を送ったのかきちんと確認する必要があって、結果的に時間がかかるんですよ。でもワイズを使えば、1時間くらいで海外送金ができる。その理由は登録時にマイナンバーを使うから。マイナンバーとワイズアプリを連携するだけで本人認証が完了するので、アプリをダウンロードして数時間後には、もう海外送金ができてしまいます。マイナンバーがスマートフォンの中に!あらゆる本人認証手続きが数十分で完了なぜ、ワイズならマイナンバーを連携するだけで海外送金ができるんですか?それこそ、2つ目のサービスであるシンガポール版のマイナンバー「シングパス」です。 出典:singpass公式サイト日本のマイナンバーとの違いは、マイナンバーがスマートフォンのアプリ内にあること。アプリ内にあることで何が便利になるかというと、本人認証がスマートフォンの画面で完結するんです。僕がシンガポール労働省で労働ビザを発行した後、「銀行口座作らなきゃ」と思って、現地銀行のアプリを帰り道のバスの中でダウンロードしました。そしたら、帰宅した頃にはもう銀行口座が開設されていて、すごくビックリしたんです。銀行口座が数十分で開設できたんですか!とても早いですね。数十分で銀行口座が開設できる理由は、銀行アプリからシングパスのアプリへ移動して、パスワードの入力と顔認証だけで本人認証が完了したからです。銀行口座だけじゃなくて、本人認証が必要なあらゆるアプリがシングパスと紐づいている。だから、あらゆる手続きがスマートフォンの画面だけで完結するんです。他にも、いろんな商業施設の利用料が割引されるアプリがあって、そのアプリを使うにも本人認証が必要だったんですが、シングパスと連携したらすぐに使えました。日本だと毎回マイナンバーカードを撮影する必要があるのと比較すると、スマートフォンにマイナンバー情報があるのは便利ですね。あらゆる世代に普及したデジタル決済サービス。決め手は銀行口座への直接送金機能では、3つ目のサービスはなんでしょうか?3つ目は、デジタル決済サービスの「PayNow(ペイナウ)」です。 出典:PayNow公式サイトペイナウはシンガポール銀行協会が主導して作った送金サービスで、現地の人はみんな持ってる。だから、シンガポールでは現金を使う機会がほとんどなくて、ペイナウかクレジットカードさえ持っていれば、シンガポールでの支払いにほぼ困りません。しかも、ペイナウなら銀行口座に直接送金できるんです。シンガポールの銀行は電話番号と紐づいていて、ペイナウに電話番号を入力すれば、指定した銀行口座にすぐ送金してくれます。しかも、手数料も無料なんですよ。それは便利ですね!日本でもデジタル決済アプリで送金できますが、送金先は銀行口座じゃなくて専用のデジタル口座です。人によって使っているアプリが違うから、ちょっと利便性に欠けるなと思っていました。僕もゼミのゼミ合宿を開いた時、ゼミ長に合宿費用の集金をお願いしたんですけど、集金方法が銀行口座とLINE Payに指定されたんです。僕は銀行口座で振り込みましたけど、おそらくLINE Payを使っていない人は、「PayPay使ってよ〜」って思ったはずです(笑)。でも、シンガポールならみんなペイナウを持ってるから、個人間のお金のやり取りで困ることは基本的にありません。それこそ飲み会を開いた場合、グループチャットで自分の電話番号を共有すれば、みんなペイナウで送金してくれるので、飲み会代を1つの銀行口座で簡単に集められます。日本で銀行口座に直接振り込むなら、スマートフォンアプリでも口座情報やらパスワードやら入力する必要がありますよね。振り込み手数料も支払わないといけなくて、面倒臭いじゃないですか。だったら「現金で直接渡すよ」って思いませんか?おっしゃる通りです(笑)。しかも、おじいちゃんおばあちゃんが営んでいるようなお店でも、ペイナウで送金できる。先日、近所の八百屋さんで果物を買ったんですけど、お店の壁にペイナウのQRコードが貼ってあって、それを読み込めば送金完了。送ったお金は、お店の銀行口座に直接振り込まれました。日本国内でもPayPayやLINE Payなどのデジタル決済サービスはありますが、おじいちゃんおばあちゃん世代まで普及していないと思うんです。確かに便利だけど、超便利とまでは言えない。その理由を考えると、やっぱハードルが高いんじゃないかな。ペイナウはシンガポールの銀行協会が作りましたが、言い換えればシンガポールの銀行が共同で作ったようなもの。だから、お互いの銀行口座が違っても手数料無料の直接送金が実現したんだと思います。銀行が決済サービスに力を入れている理由とは国内に目を向けると、三井住友銀行のOliveをはじめとして、多くの銀行が決済サービスに力を入れています。銀行が決済サービスに力を入れている理由として、何が考えられますか? 出典:三井住友銀行「Olive」今の日本だと、伝統的な銀行サービスは儲からないんです。ご存知の通り、金利が低くなり過ぎて預金金利もほぼゼロと言っていい。銀行が担ってきた仲介ビジネスがほぼ成り立たなくなっています。私が小学生くらいの1980年代は、お金を貸せば貸すほど銀行が儲かる時代でした。預金金利も5〜6%付くから、当時の新人行員たちは地元のお金持ちの家庭に行って、「お金を預けてくれませんか」って一生懸命営業していたんです。でも、今は預金がたくさんあっても貸し出し先が少ない。預金と貸出の比率を「預貸率」と言いますが、1980年代は100以上だったのが、今では70程度なんですよ。ということは、0.001%でも預けている人たちに金利を渡すと、ますます銀行の取り分が減ってしまう。さらに預金管理の維持費用も考えたら、伝統的な銀行サービスはもはや利益を産まないお荷物のような存在と言えます。だから、銀行は他に利益を得られる方法として、決済に力を入れていると。もっと言えば、預金管理が負担になっているから、預金の使い道を探していると考えられます。例えば、証券口座と銀行口座を連携させた投資サービスも挙げられます。預金を使って株式を買ってくれたら銀行の手元から預金が離れますし、取引手数料で利益も得られる。少なくとも、日本国内では預金がコストになってます。その預金をうまく使いたいと、銀行は考えているんでしょう。 ちなみに、日本国内の預金がどんどん株式市場に流れたら、経済はより活発化するでしょうか?学術的な立場で話すと、預金が株式市場に移ったことで経済の資金循環が良くなるかどうかは、自明ではありません。確かに、株式市場にお金が流れたら株価は上がりますが、企業にお金が流れた訳ではないですよね。あくまで株価は、上場企業が発行した株を私たちが転売し続けた結果の価格です。もちろん、株価が好調という理由で株式を追加発行すれば、新たな資金の流れは生まれます。逆に株価が下がったら、企業は資金調達を控えるかもしれない。私達個人にとっても資産が目減りするから、消費活動が停滞して景気が悪くなる可能性もあります。政府は積極的に投資による資産形成を推進していますが、みんながリスク資産を持てば経済全体が良くなるかどうかは、きちんとした分析・検証が必要ですね。ただ、少なくとも銀行口座に置いておくよりも株式市場に流れている方が、経済的にポジティブな影響を与えているでしょう。戦国乱世な日本の決済サービス、なぜ乱立している?銀行だけでなく、PayPayやLINEPayなど多くのIT企業もデジタル決済サービスに力を入れています。ますます競争が激化していますが、先生は日本のデジタル決済業界をどう捉えていますか?おっしゃる通り、今の日本のように「〇〇Pay」がいくつもあるよりも、シンガポールのペイナウのようにみんな使うサービスを1つに絞った方が便利だと思いますよね。実際、外国人が日本のコンビニのレジを見たら、「決済方法どれだけあるの!?」ってビックリすると思います。ただ、経済学的には競争すべきと考えられています。複数の主体がサービスを提供していれば、競争が生まれて適正価格に落ち着き、より良いサービスも生まれるからです。もしサービスが1つしかない場合、独占状態になって価格が言い値になる恐れがあります。それこそ、もし銀行が1つしかなかったら他の借り先がないので、お金を借りるために銀行の言いなりになるしかありません。経済学の基本的な考え方ですね。ただ、民間がやると問題が発生するものは政府が担う必要があって、その最たる例が防衛です。民間に防衛を任せたら、大変なことになるでしょう。つまり、民間による競争原理がうまく機能しない領域は、政府が入った方がいい場合もあるんです。だからシンガポール政府は、デジタル決済は民間で競争を促すよりも自ら主導した方がいいと割り切って、ペイナウを作ったんだと思います。一方、日本の場合は競争を促し過ぎてしまった。今この瞬間も、トップの人たちは日本の小口決済のプラットフォーマーになるべく、一生懸命考えてると思います。それこそ、三井住友銀行は日本を代表する銀行だから、PayPayやメルカリとかに奪われたら、たまったものじゃない。だから、三井住友銀行はOliveというサービスをリリースしたのだと思います。どの企業が日本の決済サービスを牛耳るか、今後も目が話せないですね。この度はお話していただき、ありがとうございました! -
経営学の理論を実務に活かす!新潟大学の准教授が挑むサービスのイノベーションとは|合同会社RJ’s リサーチ・アンド・アドバイザリー代表 伊藤龍史
皆さんは経営学について、どのようなイメージを持っていますか?もしかしたら、会社経営という実務の場で活かされない、机上の空論だと思う方もいらっしゃるでしょう。そこに一石を投じるのが、新潟大学で主にアントレプレナーシップ論を研究されている、 伊藤 龍史(いとう りょうじ)先生。先生は自らの研究活動を通じて、新潟発のスタートアップ「RJ's リサーチ・アンド・アドバイザリー」を立ち上げました。先生によると、「経営学の研究者だからこそ、理論と実務の橋渡しができる」と語っています。その根拠を探るために、当記事では会社の事業内容や先生が起業した理由を聞いていきます。インタビュー日:2023年9月26日経営学の理論を実務で活かすサービスを提供したいまずは、先生が立ち上げた会社「RJ's リサーチ・アンド・アドバイザリー」の事業内容を教えてください。一言で言えば、コンサルティング会社のコンサルティング業務や、個別企業への経営アドバイスなどをおこなっています。具体的には、クライアントの文脈に合わせて適切な理論や分析手法を探し出し、それらを応用してアドバイザリーサービスを提供しています。事業を一言で表現する言葉があまりないので、私は「アドバイザリー」と呼んでいます。以前から、私は経営学と実務の場に距離感を感じてました。この間を取り次いでいるのがコンサルティング会社ですが、時間やスキルなどの要因で、現状は体系化されたフレームワークに当てはめることがほとんどです。コンサルティング事業のバリューチェーンがあるとすれば、その一番上流側に位置するのが、アドバイザリー業務だと思います。その業務が最も出来るのは研究者じゃないかなと思って、会社を立ち上げました。なぜ、理論と実務の場に距離感が生まれているんでしょうか?それぞれのベクトル、目的が違うからです。本来、研究はあらゆる文脈に当てはまる理論を作り上げて、普遍化することが目的です。自然科学だとイメージしやすいと思いますが、経営学や経済学といった社会科学では、条件によって理論が通用しなくなる場面が多くあります。一方、実務の場では状況に合わせて対処することが求められます。つまり、普遍化を目指して作られた理論が、実務の場で綺麗に当てはまることは、ほとんどありません。したがって、企業の事情に合わせて理論を当てはめるには、作られた理論の一部を崩して作り替えたり、1から構築したりする必要があるんですよ。先生の事業内容は、他の会社でおこなわれていないんですか?日本だと、数えるほどしかないですね。ただ、米国だと珍しくありません。実際、米国の大学に所属している研究者で起業している人も知っています。実は、個別の企業でしか成り立たない理論を作ることは、多かれ少なかれ一般化(普遍化)を目指す経営学の世界では、ゴールではなく通過地点でしかありません。でも、医者だって普段は患者を診断・診療しつつ、特殊な患者を見つけたら詳しく分析して新しい知見を生み出していますよね。医学だと当たり前なのに、経営学だと学問の世界と実務の世界の目線が分断されているように思えて、ずっと変だなって思っていたんです。都会ではなく、あえて新潟で起業した理由とても意義のある事業だと感じましたが、会社の拠点は新潟ですよね?東京や大阪といった都会の方が、ニーズは高いと思うんですが…。おっしゃる通り、業績だけを考えると都会に拠点を置いた方が成長スピードは早いでしょう。それでも新潟で起業したのは、世間からまだ理解されにくい・受容されていないサービスが、どのように受け入れられ浸透していくか見ていきたいからです。その背景には、私の研究テーマである「顧客側のアントレプレナーシップ」が関わってきます。アントレプレナーシップは、本来企業がイノベーションを起こすために考えられた概念です。イノベーションといえば商品・製品といったモノがイメージしやすいですが、近年ではサービスでのイノベーションも確認されています。一方、サービスはモノと違って再現性が非常に難しいんです。例えば大学の講義で例えると、毎年同じ講義をするつもりでも、私のコンディションや生徒の態度によって、講義内容は多少変わる可能性があります。つまり、サービスの価値を最大化してイノベーションを起こすには、企業側と顧客側、双方のアントレプレナーシップが必要です。このことを、私の造語として「デュアルアントレプレナーシップ」と呼んでいます。自らデュアルアントレプレナーシップを実践したいと思って、あえて新潟で起業することを決めました。1番攻略しにくい場所、いわゆるラスボスから攻める感覚ですね。おっしゃる通りです。私は、最も必要ないと感じそうなクライアントにサービスを提供できることが、“勝ち”だと考えています。メインバンクも、ほとんどの新潟の会社が選ぶ第一北越銀行ではなく、あえて燕三条信用金庫にしました。燕三条地域には、自分自身の経験知で長年会社を続けてきた、職人気質な経営者さんがたくさんいらっしゃいます。当然、いきなり私のサービスを持っていっても、「いらん」と言われるのがオチです。実際、自分たちが考えていることを理論的に補強する朝ゼミを企画したんですが、「いらない」「高い」「朝は忙しい」って言われて、案の定惨敗しました(笑)。だからと言って、相手に寄せては意味がありません。寄せずに受け入れられるよう、サービス内容やアプローチの仕方をブラッシュアップして、日々再挑戦しています。起業の原点となった、シリコンバレーでの共同研究起業した背景には、先生の研究テーマが関係していたんですね。何がきっかけで、顧客側のアントレプレナーシップを扱い始めたんですか?コールセンターのオフショアリング(企業がサービス業務を海外に移すこと)研究がきっかけです。研究するには、理論・分析方法・現象の3つが必要です。私の場合、3つ目の現象をなかなか選べず、当時の指導教授からヒントをもらったのがオフショアリングでした。ただ、オフショアリングはいろんな仕事で活用されているので、何かしらの側面に焦点を当てないと、研究するのが難しかったんです。そんな中、シリコンバレーでマーケティング領域でのオフショアリングを共同研究する機会に恵まれました。シリコンバレーには、マーケティングで世界的権威がある研究者が集まっています。当時の私は駆け出しの研究者で、彼らと研究するには「この領域なら私が一番詳しい」という、私だけの強みを求めていました。強みとなる具体的な研究対象を調べた結果、コールセンターのオフショアリングが最もマーケティング寄りだと気づき、今でも共同研究を続けています。そこから、どのように顧客側のアントレプレナーシップへ行き着いたんですか?コールセンターのオフショアリングを分析し続けると、顧客が海外に繋がっていると気づいた場合、急に態度を変えることが判明しました。スタッフは日本語名を名乗って違和感のない日本語を話すので、海外に繋がっていることは基本的に気づきません。ただ、何かしらの理由で「海外に繋がってる…?」と感じた瞬間、良い意味でも悪い意味でも、話し方やサービスの満足度が変わってしまうんです。この現象を説明できる考え方は何か、研究を進めてみた結果、顧客側のアントレプレナーシップにたどり着きました。起業と研究は別々におこなっていると思っていましたが、裏ではしっかり繋がっていたんですね。文化を作って、お世話になった場所に恩返ししたいここまで、先生の事業内容や起業までのエピソードを聞きました。今後のビジョンについて教えてください。新潟に加えて、福岡・東京・シリコンバレー、この4箇所に会社の拠点を出すことを目標としています。なぜかというと、この4箇所が私にとって大切な場所で、恩返しがしたいからです。福岡で生まれ育ち、学生として東京で学び、私の研究に大きなきっかけを与えてくれたシリコンバレーを経て、今は新潟で研究をさせてもらっています。会社経営の目標というと、売上〇〇円が一般的かもしれません。でも私の場合は、その4箇所に拠点を出して、サービスを提供し雇用を生み出し、私のサービスが浸透する文化を作りたいんです。文化を作っていく、素敵な言葉ですね。研究者としては、何を追求していきたいですか?個人的な感覚ですが、私は世の中のイノベーションに対して、偏りを感じています。その偏りのメカニズムを解明することが、研究者として生涯をかけて追求したいことです。お客さんの悩みを解決する商品・サービスの組み合わせをすべて考える場合、解明するには膨大な時間がかかります。例えば、世の中には50の「何か」しかないとします。一方、お客さんの悩みの構成要素は10だとします。そうすると、単純に組み合わせだけを考えてみても膨大なパターンが考えられますよね。しかし、世に次々と出てくるイノベーションは従来の商品・サービスと似ており、私はどうも生まれ方に偏りを感じるんです。政府の政策といった外部的な要因も十分考えられますが、私は起業家と顧客との出会い方に原因があると考えています。だから、起業側と顧客側、双方のアントレプレナーシップの研究が必要だと思って研究しています。また、自身でも身をもって観察してみようとも考えて、自ら起業にも挑戦しました。研究も教育も起業も、何かの残り香を社会に残したい先生が企業した理由は、研究の一貫でもあったんですね!そう考えると、先生はとてもチャレンジングな方だと思いました。私、世の中に「私がいた!」っていう証、残り香を残したいんです。寂しがり屋なので、忘れられたくないんですよ。なので、論文の執筆や学生への指導、会社を作ることは、ある意味世の中へのマーキングです(笑)。もちろん、自分が死んだ後の世の中なんてわかりませんが、少なくともやりたいことをやらないと、自分の生きた痕跡は残せないんだろうなって思っています。だから、私は挑戦しているつもりはなくて、単純にやりたいことをやっているだけです。その結果、将来誰かが「伊藤がいたおかげで助かった」って、言ってもらえる世の中にできたら良いなと考えています。やりたいことをやっているだけ、そう考えたらシンプルですね。ちなみに、やりたいことをやるために、どのような工夫をしていますか?人には見せないんですが、やりたいことリストを作っています。結構細かく書いていて、大きいこと小さいこと関係なくまとめていますね。それこそ、思いつきで「0時を回った後にラーメンが食べたい!」とか書いてますよ(笑)。普段は思いつく度に箇条書きでメモしていますが、ある程度たまったタイミングで、自分にとって幹になる部分と分けて整理しています。あと、1〜2分だけでも毎朝見るようにしています。やっぱり人間なんで、どうしても忘れちゃうんですよ。どれだけ本当にやりたいことでも、目の前の仕事ややるべきことで頭から抜けてしまう。毎日見ることで、思い出すきっかけを作ることが大事じゃないでしょうか。