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日常生活に生かせる会計情報の知識|愛知学院大学 経営学部 西海学教授
投資先を調べる方法の1つとして、会計情報が挙げられます。日本では元々独自の会計基準を設けていますが、任意で国際会計基準を導入することも可能です。この2つの会計基準には、どのような違いがあるのでしょうか。企業情報を正確に調べるために、会計基準の違いや会計情報を読むポイントを知りたい方もいらっしゃるでしょう。そこで、HonNeでは愛知学院大学で主に財務会計を研究されている、 西海学(にしうみさとる)教授にインタビューを実施。先生の研究テーマに触れつつ、国際会計基準の特徴や日本の会計基準との違いをお聞きします。会計情報が読めるようになりたい方や、国際会計基準について詳しく知りたい方は、ぜひ当インタビュー記事をご参照ください。インタビュー日:2023年10月20日国際会計基準と日本の会計基準の違い国際会計基準を導入するメリット先生は国際会計基準について研究されています。日本の上場企業は任意で導入できますが、導入することでどのようなメリットがありますか?1番大きなメリットは、外国人投資家に対するアピールです。文字通り、国際会計基準は世界基準の会計基準なので、外国人投資家にとって他国企業と比較がしやすく、その分投資するハードルが下がります。日本独自の会計基準で海外投資家にアピールする場合、会計情報を英語に翻訳し、日本ならではの話も英語で説明しないといけません。当然、海外投資家に理解を促すことは困難になるでしょう。国際会計基準に基づいて会計情報を作成する際、メインである財務諸表は英語を使います。国際会計基準を採用すれば、自然と海外投資家にとって読みやすい会計情報が作成可能です。なので、海外投資家から資金を集めたいなら、国際会計基準で作ったほうが断然有利になります。国際会計基準は2009年から任意移行が可能ですが、既に15年近く経過しました。なぜ、近年になって移行する企業が増えているのでしょうか?国際会計基準を率先して採用した企業の株価変動や利回りの動きを見て、大きな変化はないという学習効果が得られたからです。日本の会計基準と国際会計基準は、組み立て方が異なります。日本の会計基準は、細則主義的な基準で、どのように処理、記載すべきか細かく指定されています。一方、国際会計基準は原則主義的な会計基準で、世界中の様々な企業に適用可能なように、大枠を定めるにとどめ、細かなところまでは規定されてません。国際会計基準に移行すると、移行前までの会計情報と比較しにくくなります。連続性のない情報となり、参照できる会社情報が実質的に減って情報の非対称性が大きくなります。なので、日本企業が国際会計基準に移行することは、当時はかなり戸惑いがあったでしょう。ただ、実際に導入した企業に対する市場の反応を見てみると、大きな違いがなかったため、ここ数年で移行する国内企業が増えていると思います。国際会計基準で書かれた会計情報の特徴日本の会計基準と国際会計基準で組み立て方が違うなら、会計情報の見え方にも違いが出てきますよね。はい。国際会計基準で書かれた会計情報は、日本の会計基準で書いた会計情報よりも資産が大きくなる傾向があります。その理由の一つは、企業買収して計上された「のれん」を、日本の会計基準なら規則的に償却し、必要なら減損処理しますが、国際会計基準では減損処理のみで、償却不要だからです。かつて、企業結合した場合、会計における処理方法は2種類ありました。1つはパーチェス法と呼ばれる会計処理で、この場合はのれんが計上され、のちの年度に規則的に償却されます。もう一つは持分プーリング法と呼ばれる会計処理で、この場合は2社の財務諸表をただ合わせるため、のれんは計上されません。敵対的買収を含む子会社化など他社を買収するタイプの企業結合はパーチェス法が、対等合併のような企業結合は持分プーリング法が適しているといえます。ただ、のれんが大きくなってしまうような買収をおこなった場合、のれんの償却を回避するために、持分プーリング法を使おうとする企業が多く問題となりました。その結果、2001年に米国で持分プーリング法が廃止され、2003年に国際会計基準も追随しました。この持分プーリング法の廃止に合わせ、米国と国際会計基準ではのれんを償却しないことにしましたが、我が国ではのれんの償却は残しています。そのため、買収を頻繁におこなう企業にとっては、のれんが償却されない国際会計基準を採用するほうが、見栄えがよく見えます。頻繁に企業買収をしていて、かつ国際会計基準を採用した日本企業の代表例として、どこが挙げられますか?わかりやすいのはソフトバンクですね。貸借対照表を見ると、のれんの金額が多く、資産に占める割合がとても高くなっています。2023年3月末の連結貸借対照表では、資産総額が約14.7兆円のところ、のれんは約2兆円あり、資産全体の13.6%も占めています。また、同期の売上高は約6兆円、当期純利益は約6,540億円です。もしのれんを20年で償却すると、この年の償却額は1,000億円となります。赤字になるわけではないですが、当期純利益は15%程度減額します。当然、国際会計基準を採用してのれんを償却しないほうが、明らかに財務諸表の数値は良くなりますよね。仮に、ある企業買収によって思いの外売上が伸びなかったとしても、のれんを償却しないので業績は著しく悪化せず、投資家から悪い印象を持たれにくいでしょう。比較のために、同業他社で国際会計基準を採用しているKDDIを見ると、資産総額は増えてきていますが、のれんはほぼ横ばいです。一方、ソフトバンクは国際会計基準を採用してからさらに多角化を進めていく中で、のれんはほぼ毎年増大しています。ソフトバンクとKDDIののれんの推移(単位:百万円) ソフトバンク 2019年3月末 2020年3月末 2021年3月末 2022年3月末 2023年3月末 資産総額 5,775,045 9,792,258 12,226,660 12,707,913 14,682,181 うち,のれん 198,461 618,636 1,256,593 1,257,889 1,994,298 3.44% 6.32% 10.28% 9.90% 13.58% KDDI 2019年3月末 2020年3月末 2021年3月末 2022年3月末 2023年3月末 資産総額 7,330,416 9,580,149 10,535,326 11,084,378 11,917,642 うち,のれん 539,694 540,886 540,420 540,962 541,060 7.36% 5.65% 5.13% 4.88% 4.54% そのため、ソフトバンクは経営戦略の一環として、国際会計基準を採用した側面もあると私は推測しています。ということは、国際会計基準を採用した企業の会計情報を見るときは、のれんに注視する必要がありますね。のれんの価値とは?国際会計基準でのれんを減価償却しない理由なぜ、国際会計基準ではのれんを償却しないのでしょうか?確かに日本の会計基準だと、のれんは20年間で償却する必要がありますね。国際会計基準でのれんを減価償却しない理由は、敵対的買収をしたのに、会計上では合併したと見せかける恐れがあるからです。その背景を説明するために、米国の会計基準についてお話する必要があります。企業買収が頻繁におこなわれる米国では、企業の負担を考慮して2001年までのれんの償却期間が40年でした。しかし、40年という長期間だと不正する企業がいたため、20年に変更する議論が出てきました。減価償却の期間が半分になるので、単純に言うと企業の負担が2倍に上がりますよね。そこで一部の企業が危機感を抱き、実際は敵対的買収をしたのに、会計上では合併したように見せ、持分プーリング法を採用することが問題になりました。そのため、米国の会計基準では、持分プーリング法を廃止し、のれんは償却しないと変更されました。その結果、国際会計基準も米国の会計基準に準じて、のれんは償却しないと決められたんです。では、なぜ日本の会計基準では今でも償却するのですか?のれんとはいえ、基本的にのれん分の対価は支払っています。損益計算書で企業結合という投資の成果を計算する、つまり投資の回収計算をおこなうのであれば、稼得した収益にのれんに対する支払対価を賦課、対応させた方が良いと言えます。これまでの財務諸表の機能を維持したと言えるでしょう。なお、のれんを償却する意味として、商法の影響もあります。商法は、債権者を1番保護するように考えられています。のれんは換金できないものなので、少しでも早く貸借対照表から抜いた方が、債権者保護の観点にかないます。そのため日本の会計基準では、現在では20年で減価償却できますが、1997年の連結財務書表原則の改訂までは、のれんはわずか5年で償却することとなっていました。のれんの価値を正確に測る方法ここまで、会計基準によってのれんの考え方が違うことがわかりました。投資家がのれんの価値を正確に測るには、どうすればいいでしょうか?買収された企業の「超過利益力」を見定めることですね。のれんは、言い換えたら企業の超過利益力を指します。平均的に市場で10万円で販売される商品を15万円で売ることができれば、超過利益は差額の5万円です。つまり、将来の超過利益を現在価値と合計して資本化したものが、のれんの価値になります。しかし、これはのれんの価値の話で、財務諸表上の「のれん」とは分けて考えた方が良いです。企業買収の場合、買収される企業の純資産(資産―負債)の公正価値を超えた額で買収した場合、基本的にその超過分が財務諸表上の「のれん」となります。例えば、純資産の一株あたり構成価値が800円のところ、一株あたり1,000円で全株式取得して買収すれば、財務諸表上の「のれん」は一株あたり200円です。さらに、TOB(株式公開買い付け)を実施して、1株1,500円で買収したら、さらに500円分財務諸表上の「のれん」が増大します。つまり、買収価格が高いほど財務諸表上の「のれん」は大きくなりますが、裏を返せば高い買収コストを支払っていると言えます。そのため、財務諸表上の「のれん」がそのまま超過利益力を表しているかというと、必ずしもそうではなく、単純に買収コストをかけ過ぎている可能性があるんです。株価には、すでに市場が評価したのれんがある程度含まれています。市場の株価は投資家の企業利益に対する期待が反映されているので、財務諸表の一株あたり純資産より、高くなることが一般的です。単純ですが株価が高いほど、その分超過利益力も高いと考えられます。しかし、企業買収を行った場合、株式取得に対して支出している以上、のれんに対しても支出がなされているので、財務諸表上の「のれん」は、全額が超過利益力を指していると考えない方がいいでしょう。どうしたら、具体的な超過利益力を見定められますか?上場企業に限られますが、買収された企業の買収直前の時価総額とその時点での純資産額を比較すれば、買収時点での市場が評価するのれんの価値がおおよそ推定できます。これを買収した企業の財務諸表に計上された「のれん」と比較すれば、のれん価値以上に買収対価を支払っているかどうか予想可能です。TOBによる敵対的買収の場合だと、買収される前後の時価総額を調べたら、TOBの金額がある程度算出できます。このように、買収価格と買収された企業の株価を調べれば、超過利益力を推定する参考になります。のれんの研究を始めたきっかけインタビューが盛り上がり、お話は先生の研究テーマに移りました。先生は、何がきっかけでのれんの研究を始めたのですか?実は学部生時代、私の専攻はミクロ経済学で会計学とは無縁だったんです。ある日、いつものように大学へ向かっていると、普段なら見向きもしなかったガラス板工場が目に止まりました。「ガラスって、日本板硝子と旭硝子の2社がほぼ独占してるから、価格競争って起こりにくいはず」と、独占市場の価格設定のメカニズムに興味を抱きました。その研究を論文にまとめる際、大学院から会計学を専攻する予定だったので、担当教官から「研究論文は会計学寄りに書いた方がいい」とアドバイスをもらいました。その際、「独占市場は超過利益が得やすいから、その分のれんが大きいよな」と思って、のれんに注目して論文を書いたんです。ちなみに、私は大学に進学する前、音大で作曲を学んでいました。そのことを担当教官は知っていて、のれんを選んだことを伝えたら、「作曲って雲を掴むようなものだから、不確定な要素が多いのれんは西海くんに合っているかもね」と言われたことを、今でも覚えています(笑)。見たこと・経験したことが、今の研究テーマに繋がっているんですね。のれんについて、現在どのような研究をしているんですか?国際会計基準を導入した国で、情報の非対称性が解消されたのか研究しています。その中で、国際会計基準を全面的に採用したカナダに注目して、一時期は現地に行って研究を進めてきました。カナダの上場企業の数は米国と比べて10分の1程度しかなく、その分経済規模は小さくなっています。理屈で考えたら、自国の経済事情に合わせた独自の会計基準を定めたほうが良いんですが、既に完成された国際会計基準を導入した方が負担が少ないと判断したんです。要は、多少合わなくてもお金がかからない方を選ぶ、プラグマティズム(実践主義)的な考え方が進んでいる国なんです。例えば、カナダでは1セントといった少額硬貨を発行していません。少額硬貨を発行してもみんな捨てて市場に出回らないからです。なので、カナダでは四捨五入でお金の計算をします。正確に計算できないことより、1セント硬貨を作るコストのほうが経済的損失が高いと考えてるんです。日常生活も同様で、例えば家や車などの大きな買い物をする際、書類上の手続きが不要でクレジットカードを切るだけで購入できるんです。会計や買い物に対する考え方が、日本と比べて全然違いますね。とはいえ、実際に国際会計基準を導入し始めると、ほとんどのカナダ企業が混乱していました。そこで印象的だったのは、企業同士で国際会計基準の導入をサポートしていたことです。カナダ人は困った人がいたら助ける習慣が根付いていて、差別・区別を嫌う国と言われています。市場も同様で、お互い経営スタイルが異なることを認め合い、相手の企業が困っていたら助けるそうです。そのため、国際会計基準の導入方法がわからない企業があれば、証券委員会や競合他社、監査法人までもが導入のサポートをしていました。そのおかげで、導入における混乱を最低限に抑えられたんです。ただ、他に国内に似たような企業がない航空機メーカーのボンバルディアはかなり苦労したと聞いています。なので、日本の国柄との違いに、大きなカルチャーショックを受けましたね。国際会計基準やのれんについてお聞きするつもりでしたが、先生の研究対象であるカナダの国柄も知れて新鮮でした。やっぱり何事も違いを知ると、新たな学びが得られますね。今回はインタビューを受けていただき、本当にありがとうございました! 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経営者を見極める重要な手がかり「利益予測」とは?財務諸表の関係性も解説|阪南大学 経営情報学部 中條良美教授
株式投資で銘柄を選ぶには、さまざまな分析方法があります。その中でも特に重要で知りたいのが、経営者の資質に関する情報ではないでしょうか?しかし、個人投資家が経営者と直接会う機会は非常に限られており、何を考えて企業を経営しているか知ることは難しいのが現実です。少しでも経営者のことがわかれば、より正確な投資判断が下せるでしょう。そこで今回は、阪南大学で主に会計情報と株価の関係を研究されている中條良美(ちゅうじょう よしみ)教授にインタビュー実施。先生によると、「利益予測」が経営者を知る重要な手がかりだと言います。経営者の利益予測とは何か、投資判断でどのように活用できるか財務諸表と絡めながらお聞きします。企業の銘柄選定の方法を知りたい方、企業の将来性を正確に分析したい方は、ぜひ当記事をご参照ください。この企業に投資できるか、より明確に判断できるヒントが得られるでしょう。インタビュー日:2023年9月27日経営者を知る手がかり「利益予測」とは?利益予測からわかる経営者の4タイプ――――中小企業であれ大企業であれ、経営者の存在は企業に大きな影響を与えます。優秀な経営者かどうか判断するには、どうすればいいでしょうか?投資先の経営者がどのような人か、誰もが知りたいですよね。経営者を知るための手段として、私は利益予測が有効だと考えています。なぜなら、経営者が不確実な将来を適切に予測できるかどうかで、企業経営の成否が決まるからです。もちろん、経営者も神様じゃないので全知全能ではありませんが、将来を見通す能力は経営者の必須条件と言えるでしょう。幸いなことに、日本の上場企業では経営者による利益予測の公開が半ば義務付けられています。毎期の利益予測が確認できるので、その推移を分析することで、経営者の学習能力を予測することが可能です。――――経営者の学習能力が予測できるとのことですが、具体的にはどのようなことがわかりますか?大きく4つのタイプに分かれることがわかりました。どのようなタイプがあるかお話するために、まずは以下のグラフを確認してみましょう。縦軸は、利益予測の誤差を表します。ゼロを正確な利益予測とした場合、正の値は楽観的、負の値は悲観的な利益予測となります。横軸に時間軸を設定し、予測誤差の時系列変化をグラフで表します。1つ目は初期値がプラスで、その後の利益予測が増加傾向にある自信過剰な経営者。私は「最強」パターンと読んでいますが、正直私の1番苦手なタイプですね(笑)。2つ目は「最強」の真逆で、初期値からマイナスでさらに下がってしまう「最弱」パターンです。どんどんネガティブな利益予測を立ててしまう経営者と言えます。上図のグラフはイメージしやすいよう、予測誤差のパターンをあえて単純化して示しています。現実の予測誤差の推移は、これほど滑らかではありません。――――時系列変化とともに、正確な予測値からどんどん離れていますね。そうなんです。正確な利益予測から離れているので、ポジティブ・ネガティブ関係なく、学習能力があまり高くないと判断できます。そして、残りの2パターンは初期値がプラスかマイナスでも、徐々にゼロに向かっていくタイプです。言い換えれば、最初は自信過剰でも徐々に慎重な予測を立てる、または初めは慎重な予測でも時間が経つほど客観的な予測に寄せる経営者と考えられます。経営者のもともとの心理的偏りを示す初期値がどこにあるかも重要ですが、予測誤差がゼロに向かって縮小していくことが、学習能力の高い経営者の特徴と言えます。利益予測からわかるのは経営者の学習能力――――最初ははずれたとしても、そこからどう修正するかが重要なんですね。その通りです。うまく学習されている経営者は、自分自身の心理的な偏りを冷静にコントロールできているのでしょう。一方、利益予測がはずれ続けていても、自信過剰・慎重のままでいる経営者も意外と多いんです。良い意味でも悪い意味でも、ブレていないと言えます。そのため、1期の利益予測だけでその企業の経営者が優秀かどうか、判断するのは早計です。短くても5年、可能であれば10年以上の利益予測の推移を見るのをおすすめします。――――なぜ10年が目安になるんですか?景気循環もさることながら、リーマンショック・東日本大震災・コロナ渦など、世界的な大事件も10年に1回は起きているからです。余談ですが、投資の時間分散を考えるなら、10年でも短く、30年は見越しておくと良いと言われています。30年くらいコツコツ投資を続ければ、大恐慌が起きても立ち直る機会があるからです。とはいえ、歴史が浅い上場企業もあるので、10年以上のデータが使える企業は少なくなります。なので、利益予測に限らず、使えるデータはすべて使うのが望ましいでしょう。――――ちなみに、利益予測から経営者の学習能力を分析するときの注意点はありますか?利益予測のグラフは、経営者の能力そのものを表していないことに注意してください。なぜなら、経営者は立場上さまざまな影響を受けているからです。代表的な例として、企業文化をはじめとする組織特性が挙げられます。周りを自分自身と同じようなタイプの人で固めることで、伝達される情報に偏りが生じると、さらに自信過剰になったり慎重になったりするかもしれません。そこで自分の能力を補完してくれる人を置けば、自身の強みを発揮しつつ、客観的な意思決定が下せるでしょう。実際、私は2023年4月から大学院の研究科長を担当していますが、副研究科長にすごく助けてもらっています。私は心理的にブレてしまうタイプで、いきなり判断を求められるとYESもNOも言えないんです。ただ、副研究科長が良いトスを上げてくれるおかげで、意思決定の精度が上がっていると実感しています。なので、経営者も周りにどのような人を置くかで、学習能力は変わります。もっと言えば、組織全体の情報処理システムが、経営者の学習能力そのものと言い換えられます。学習能力に大きく影響する要素とは――――つまり、企業の組織作りが経営者の学習能力に影響する、ということですか?はい。経営者のタイプや会社の状況によって必要な情報は変わるので、必要に応じて正しい情報が入ってくる組織作りが大切です。おそらく、多くの経営者は組織作りに関われておらず、ましてやどんな情報が欲しいのか明確に伝えられていないと思います。「気づいたことがあったら、なんでも言ってね」という雰囲気だけでは、必要な情報がほとんど上がってこないのが実情でしょう。そのため、どのタイミングでどのような情報が必要か明確に伝え、情報処理の仕方とルートを整理できていれば、正確な利益予測に繋げられるでしょう。――――先生にとって、欲しい情報が上がる組織を作れている経営者として、誰が挙げられますか?私が知る限りでは、Panasonicの松下幸之助さんやリクルートの江副浩正さんですね。おふたりとも、従業員のことを真剣に考えて経営されていたと思います。特に江副さんは「人たらし」な経営者として有名で、従業員を動かすのがすごく上手かったと言われています。末端の従業員の誕生日も覚えていて、自ら誕生日プレゼントを渡しに行くくらい、従業員1人ひとりの情報を把握していたそうです。やっぱり、経営者が従業員を大事にしていることが伝わると、従業員のモチベーションが上がるのはもちろん、情報伝達を遮る「壁」も低くなるのではないでしょうか。世間ではリクルート事件で悪者扱いされている印象ですが、経営者としては非常に優秀だったと私は思います。経営者の学習能力が影響を及ぼすもの経営者の学習能力と財務諸表の関係性――――企業分析の手段といえば財務諸表がありますが、経営者の学習能力と何かしら関連性はありますか?はい。経営者の学習能力は経営判断と密接に関わっており、その影響は財務諸表の質にも及びます。ここで言う質とは、投資家が投資判断する際に財務諸表からどこまで有益な情報を得られるかを指します。しかし、財務諸表を見るにしても、ほとんどの投資家は損益計算書しか見ません。損益計算書は端的にどれだけ儲けたかを表しているので、直感的に理解しやすいからです。私としては、損益計算書と一緒に貸借対照表、特に資産の部を見て欲しいと思っています。――――それはなぜでしょうか?貸借対照表は企業の財政状態を表すだけでなく、どのような事業にフォーカスして経営しているのか把握できるからです。例えば、現金の割合が大半を占めていたら、極端に言うとその企業は何もしておらず、投資家から預かったお金を増やす努力をしていないと言えます。なので、企業の現状を理解するなら、損益計算書と貸借対照表をセットで見るのがおすすめです。――――では、ちゃんと本業をおこなっている企業の財務諸表には、どのような特徴がありますか?売上や利益に対して、資産がどれくらい増えているか確認してください。売上や利益が拡大するにつれて、自然と資産も増えているはずです。企業は売上・利益を増やすために生産設備の増強や店舗増加など、いろんな活動をおこないますよね。事業活動の拡大に伴って投資が活発になると、貸借対照表に計上される資産も大きくなります。そのため、売上・利益が上がってくると、貸借対照表も同時に拡大するのが普通です。――――確かに、企業は資産を活用して売上・利益を生み出すから、売上・利益が増えたら資産も増えるのは当たり前ですね。もし、売上・利益が増えても資産が増えていない場合は、資産の中身を見てください。資産構成がどのように変化したことで、売上・利益が増えたか理解できると面白いですよ。ただ日本企業の多くは、売上・利益に対して貸借対照表が拡大し過ぎているんです。例えば、自信過剰な経営者はM&Aを頻繁に実施する傾向があります。M&Aも大事な経営戦略ですが、多角化するため経営の難易度はグッと上がります。また、M&Aで買収した企業の価値より多く支払った分は「のれん」として貸借対照表に計上されますが、現実には減損処理されることが大半です。つまり、支払う必要のないお金を出してしまった。売上・利益を増やすことよりも、企業規模を大きくすることが目的になっているのかもしれません。今の日本企業に求められること――――なるほど、売上・利益に対して、身の丈に合った資産管理ができているかが重要ということですね。はい。学習能力の高い経営者は、企業の資産をきちんと管理しているはずなので、きちんと将来の利益に裏付けられた資産が増えるという意味で、財務諸表の質も高くなると考えられます。だから、今の日本企業の経営者に求められているのは、資産のやみくもな拡大ではなく選択と集中だと思います。ただ単に資産を減らすのではなく、不要なものを整理する。成熟し切って減退局面に入った事業セグメントは、ある程度清算したほうがより良い経営に繋がるはずです。始めるだけでなく終わらせることも、経営者の大事な仕事ではないでしょうか。とはいえ、経営者にとって撤退は1番やりたくない意思決定でしょう。今まで自社が長年頑張ってきたことを自分の代で清算したら、余程やり方が悪かったと思われるので、やりたくても怖くてできないと思います。――――良い形で終わらせるには、どうしたらいいんでしょう?トップダウンしかないと思います。強力な経営者でないと、なかなかできないかもしれません。それこそ松下さんや江副さんのような、オーナー社長であれば実行しやすいでしょう。20世紀は民主的な会社が伸びやすく、21世紀はオーナー社長の会社が伸びやすいと考えられています。周りの意見を聞くことも大切ですが、そこで悩み過ぎて意思決定できなくなるのは本末転倒です。思い切った行動が必要なとき、権限が強いオーナー社長なら、いち早く決断できます。ただ、オーナー社長の将来に対する見方に偏りがあると怖いですね。人間なので、どうしても何かしらの色眼鏡を持っています。大胆にリスクをとれるのがこうした企業の魅力ですが、大胆さは無謀さと背中合わせです。決断力のある経営者こそ、冷徹な現状認識が求められます。だからこそ、学習能力が重要なんです。最初は偏りがあっても、徐々に客観的な地点から予測できるようになれば、誤った決断を避けて地に足のついた企業の舵取りができるでしょう。――――トップダウンだからこそ、高い学習能力が求められるということですね。経営者の利益予測は、財務諸表や組織作りとの関係性が高く、経営者を知る重要な手がかりだと理解できました。今回はインタビューを受けていただき、本当にありがとうございます!