2024.01.24

経済学における“幸福”の深層探訪


“お金と幸福”の関係は、資本主義社会を生きる我々にとって、一つの重要なテーマではないだろうか? お金と幸福を考察する際、従来の経済学は客観的な数値を用いて研究していた。

ところが近年、経済学に「幸福」を採り入れた「幸福の経済学」が注目を集めている。幸福という、客観的な数値を持たない主観的な感情を、経済学に取り組むことで、経済と幸福の関係値、そしてお金と幸福に関しての一つの答えが出るのではないだろうか―― そこで今回は、駿河台大学経済経営学部・教授・佐川和彦氏を取材した。

佐川 和彦
インタビュイー
佐川 和彦氏
駿河台大学 経済経営学部
教授
専門は、医療経済学。
徳島県出身。
早稲田大学大学院経済学研究科 博士課程単位取得満期退学[博士(経済学)]
著書に、『日本の医療制度と経済―実証分析による解明』( 薬事日報社、2012年)
『少子・高齢化と日本経済』(共著、文眞堂、2014年)
『これからの暮らしと経済』(共著、文眞堂、2023年)など
趣味は、音楽(チェロ演奏)


幸福の経済学とは?


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―――先生のご専門についてお教えください。

私の専門は医療経済学です。医療経済学と聞くと、特殊な学問に思う人もいると思います。ですが「経済学」という学問は、基本的にお金が関係する現象すべてを対象としているのです。
例えば、医療の場合、お医者様が患者を治すことがメインになりますが、新薬開発や医療保険といった医療に関連するものにはお金が絡んでいます。医療の分野でも、経済学は重要な役割を果たしています。私はその分野の研究を行っています。

幸福の経済学という学問領域については、3年生、4年生のゼミで指導しています。ゼミ生には、幸福の経済学の分野で学んだことを中心にして、卒業論文を書いてもらいたいと考えています。

幸福の経済学を研究していると、人の幸福にはさまざまな要因が絡んでいることがわかるんです。例えば医療や健康は、幸福感に対して大きな影響を及ぼしています。このような医療や健康と幸福感との関連性についても研究しているところです。

実は、私は幸福の経済学という分野の研究をずっと続けてきたわけではありません。むしろ最近になって幸福の経済学の重要性を認識するようになったのです。私の専門である医療経済学分野にも、幸福の経済学の考え方を絡めて考えていくことは非常に重要であると考えています。

幸福とGDPとの関係性について


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―――昨今、こういった幸福の経済学が注目を集めている背景についてお教えください。

幸福の経済学について説明をしなければならないのですが、そもそも経済学の究極の目的は、人間を幸福にすることです。

ただ、従来の経済学は、幸福は主観的なものであり、それを定義づけることや人と人との幸福を比較することは難しいという立場をとってきました。

従来の経済学は、幸福感というあいまいな指標の代わりに、GDPを使ってきました。1人当たりのGDPが大きくなると、それだけ物質的に豊かになるので、皆が幸せになるという考えです。

さて、ここでひとつの問いかけが、「私たちは本当に幸せなのか?」なのです。先進国である日本は1人当たりGDPが発展途上国と比べれば大きいので、物質的に豊かな国であるとは言えるでしょう。そのため従来の経済学では、私たちは幸福である、となります。

ですが、幸せに対しての根本的な疑問はぬぐいきれません。

これは、『幸せはお金で買えるのか—-』、と言い換えることも可能です。場合によっては、お金に執着することで、逆に不幸になることだってあるかもしれません。

――なるほど…『幸せはお金で買えるのか』『お金があれば幸せなのか』というのは永遠のテーマというか…私自身も常に考えさせられますね。

そうですね、実際にOECD加盟国における1人当たりのGDPと生活満足度との関係を国際比較したデータがあります。GDPが上がれば、基本的には生活満足度、いわゆる幸福感みたいなものが上がっていく関係が見られます。

1人当たりのGDPと生活満足度
国際的に見て、1人当たりGDPが増えると幸福感も比例して上がっていくものの、一定のところで頭打ちになるのが全体的な傾向です。

一方、日本での1人当たりGDPと生活満足度の関係について時系列で見てみましょう、ここでは通常経済学で用いる実質GDPでなく、名目GDPを使います。なぜなら、日常私たちが目にする数字、例えば給与の明細の数字は名目値だからです。

1人当たり名目GDPと生活満足度の推移(日本)
1960年代から1990年代において、名目GDPは増加しましたが、生活満足度は多少の上がり下がりはあるものの、ほぼ横ばいです。つまり、1人当たりのGDPと生活満足度とはリンクしていないのです。

このような現象が起きることは、リチャード・イースタリンという学者が発見しました。所得と幸福感が連動しないことは、「イースタリン・パラドックス」と呼ばれています。

所得が増えても、幸福感が伸びない理由として3つあります。1つめは、人間の幸福度はその人の周りの人たちとの比較で決まるという点、2つめは比較対象が変わってしまう点、そして3つめはそもそも慣れてしまう点です。

所得が増えても幸福感が伸びない理由① 所得が増えても幸福感が伸びない理由② 所得が増えても幸福感が伸びない理由③
では、所得は大事ではないのか、といえばそうではありません―― 所得は絶対に大事です。

物質的な豊かさを享受しているので、所得がもたらす幸福感に対する感覚が鈍くなっている方も多いと思いますが、所得がもしなくなった時のことを考えたら、人は幸福ではいられなくなるということは容易に想像できると思います。

経済学と幸福の経済学が交わることで、社会はより良い方向へ――


ソウグウ,幸福の経済学
所得が上がったとしても、幸福度は伸びないことがある一方で、所得が絶対に大切というお話をしました。所得以外の要因もありますので、人は自分がおかれた状況の中でどれだけの幸せを感じることができるのか―――ということが重要です。

私は、従来の経済学を否定しているわけではありません。実際に大学ではマクロ経済学というオーソドックスな経済の理論を教えています。強調したいのは、これまでの経済学では捉えきれなかった「幸福」という側面を、「幸福の経済学」という視点で考察していく―――従来の経済学と幸福の経済学が合わさり、より良い方向に社会の歩みを進めるということです。

話は変わりますが、日本の健康指標についても興味深いデータがあります。1つは、OECDの加盟国それぞれの平均寿命で、客観的な健康の度合いを表すものとして一番有名です。

もう1つは、自己報告による、いわゆる主観的な健康度です。これは実際に病院等で行った健康診断の結果のような客観的なデータではありません。

1つめのOECDの加盟国それぞれの2019年の平均寿命データですが、日本はトップです。一方、2つめのデータの自己報告による健康度では、低いところから2番目のところに日本があります。両極端な結果となっています。

自己報告による健康度
このような結果についてですが、私は日本人特有の国民性みたいなものの影響もあるのではないかと推察します。日本は、昔から災害が多い国、地震や台風が多い国です。いつどこで大きな災害が起きるかわからないことを、いつも意識しながら生活しています。

日本人は、今は普通に暮らしていても、いつ健康を害することがあるかわからないと、控え目に考えるようにしているのではないでしょうか。もちろん、実際にデータとしてはないので分析できないのです

一方で、日本についての私の最近の研究では、病床数などの医療資源量の違いが主観的健康度と客観的健康度の乖離につながる可能性があることもわかっています。

これからの幸福と経済の関係性における推察


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―――先ほど、他者との比較が出てきましたが、昔と比べて結構強く出てきている時代ではないかと思います。幸福の考え方みたいな部分だったりと、他者と比べたときの幸福にならないといけない、というハードルが高まっている気がしますが、いかがでしょうか?

他者との比較については、2つの例が挙げられます。1つは、デジタルデバイスが普及したことで、色々な情報が一瞬に自分の中に入ってきてしまう状況です。さらに、スマートフォンやコンピューターを通してみる世界は、自分と対象のコンテンツだけの一人だけの世界に入っています。

若い子たちが、SNSを通して誰かの幸せそうな情報を見てしまうことで、対象の情報をじっくりと考察する時間がないまま、ストレートに享受してしまう可能性が高いかもしれませんね。

情報過多のネット社会においては、情報をうまく取捨選択していかなければなりません。ですが、若い子たちは、情報の取捨選択を上手にできないのが現状です。そのまま間違った情報を受け入れ、取捨選択を誤り、道に外れた場合はその子の人生が悪い方向に進んでしまう可能性がありますね。

そして2つ目ですが、親と子どもの関係です。今に始まった話ではありません。昔の親は世間体を気にしていました。世間体も他者との比較なのです。もっとも昔は兄弟姉妹がたくさんいたので、親も1人の子どもだけに構ってはいられませんでしたが...

現在は一人っ子が多くなったため、その1人の子どもに一点豪華主義で期待をかけるので、親がよその子どもと比較して、「もっと勉強して」となってしまいます。とはいえ、親であれば皆そう思うのではないでしょうか。

ですが、世間体から子どもに過度な期待をかけ、親が理想とする人生のルートを強制しようとすると子どもの視野は狭くなってしまう可能性があります。

―――以前に比べて情報の取捨選択のハードルは上がっている気がしますし、他者と比べるというのは顕著に現れている気がします…。自分のなかで本質的な価値を追求したり、心の器のような精神的な軸をしっかり持っていないと、流せれてしまいますよね…。

そうですね、今後一層このような現状は、顕著になるでしょう。情報の入ってくる速度や量が進化しています。昔なら、自分の周りの情報しかなかったので、ある意味幸せでした。昔だったら、たとえ貧しくとも周りの人たちもみんな貧しい状況だったら、自分だけじゃない、と感じられたのです。

―――日本人ならではの、仲間意識の強さみたいなところが経済的な幸福を感じられない要因になっているのではないかと思うのですが、その点はいかがでしょうか?

私は徳島県出身なんですが、子どもの頃に、地域では「お念仏」という行事がありました。近所に住む人たちがグループになって、月に1回お経を唱える内容です。終わった後でみんながお茶を飲みながら雑談するんですよ。いわゆる情報交換ですね。

このような地域のグループの中に入って交流を持つという風習が、昔からありました。

全部自分のことが筒抜けになるので、今の若い人たちからしたら信じられないかもしれませんが私自身、お念仏のような集まりは悪くなかったと思います。

周りの人がどのようなことを考えているかがわかります。つまりコミュニケーションロスがなくなるわけですよね。そしてグループの繋がりもあるので、いざ困ったことがあったら助けてくれます。

これから世代が変わることで、価値観も変わってくると思いますが、昔だったらそのグループの中にいたら幸福でした。今は、グループの助け合いみたいなのがなくなってきています。

今は、人との繋がりが希薄になってきており、幸福の基準もあいまいになってきています。よくいえば、多様化しているのです。人間が幸福になるというのを誘導していくことはすごく難しいです。だからこそ、我々個人個人がどう考えるか、というところに行き着くんだろうと思います。

―――個人的に、お金の価値観はそれほど幸せにつながっていないように思っています。

私は、人とのつながりとか、精神的な安定性っていうところに幸せを感じるので、人それぞれですね。 自分にとっての幸せを考えた時には、趣味を持つことがとても大事だと思います。私は音楽が趣味で、なおかつ研究もある意味趣味なのです。教育や校務を行うことが仕事であり、それによって給料をもらい生活しています。個人的にはすごく満足しています。

私の父親は現在92歳ですが、80過ぎても自営で菓子屋をやっていました。朝から晩まで働いてました。父にはこれといった趣味がないのですが、決して不幸ではないと思います。人それぞれといえるのではないでしょうか。

何から満足感、幸福感を感じるかというのは、私の親のように生まれた世代ごとの価値観もあるかもしれません。言い方を変えると、働きづめの生活が不幸かといえば、まったく不幸ではありません。

もちろん先程お話したように、ある程度の経済的な豊かさや所得は、必要不可欠です。ですがお金に人生を振り回せれないように、自分の心を理性的にコントロールするための、人間性や心の器を持っていることはこれからの時代は、とても大切なのかなと思っています。

GDPそのものは維持でき、生活水準も維持できる可能性がある?


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―――5年後10年後の幸福と経済の世界観について、何かイメージされていることはありますか?

今、日本は確実に人口が減少していっています。これから5年10年とか、あるいはそれ以降、10年20年先には人の数が少なくなり、高齢化率が上がり働く人の数も少なくなっていくでしょう。

世界の中での日本のGDPの相対的な地位は、今後下がっていく可能性があると思います。

しかし、ベースとなる1人当たりのGDPは維持できると考えています。働き手が少なくなっても、代わりにコンピュータや機械に置き換えていくだけの研究開発を進めれば、1人当たりのGDPそのものは維持でき、生活水準も維持していけるだろうと私は思うのです。

あとはいかに経済水準をキープするかですが、5年、10年の間で生活水準が急激に悪化することはないと私は考えています。

私は、大学院で研究している留学生たちと研究以外でもよく雑談を交わします。彼ら彼女らは、日本は急進的ではなく、戦争をしない国といった印象を持っているようです。今後も特段変わることはないであろうと思ってくれているようです。

個人的には、日本人の多くの学生たちは、大学院で研究する留学生たちのような、いい意味での貪欲さがなくなっていると感じています。高度経済成長期の日本人だったら、もう少し泥臭く自分の夢を叶えるために努力する、生活の水準を上げるために行動するような、ある種のストイックさを持っていたと思うんです。

一方で留学生たちは、いい意味で貪欲です、学問に対して。学問だからすぐ就職に直結するわけではないですが、貪欲に吸収しようとするのです。もう少し日本人の若い人にも貪欲さを持ってもらいたいと考えています。

趣味を持ち、心に余白を持つ。


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―――最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。

最大限努力して、一生懸命自分の仕事も頑張っていることを前提で申し上げると、趣味を持っていてほしいですね。

幸福感にもつながるのですが、仕事に真面目な人ほど、万が一仕事でうまくいかなかったときに絶望します。いい意味での逃げ場を作るためにも、趣味はとても大事です。

趣味があれば、切り替えが可能となります。切り替えるものを持って生活していくと、追い詰められることがなくなります。

追い詰められたら駄目です。もちろん、趣味を持つことは、限られた時間の中でそのための時間まで確保する必要があるので、体力も使います。大変なのですが、いざというときのシェルターの役割を果たしてくれるでしょう。その意味でも、社会人になってもやっぱり趣味を持ってやってほしいと思います。

新井那知
ライター
So-gúd編集部
新井 那知
埼玉県・熊谷市出身。渋谷の某ITベンチャーに就職後、2016年にフリーランスライターとして独立。独立後は、アパレル、音楽媒体、求人媒体、専門誌での取材やコラム作成を担当する。海外で実績を積むために訪れたニューヨークで、なぜかカレー屋を開店することに—-帰国後は、クライアントワークを通してライターとして日々取材や編集、執筆を担当する。料理と犬、最近目覚めたカポエイラが好き(足技の特訓中)。
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