2024.05.21

仕事と生活の間で:ワークライフバランスの社会的格差を探る


「ワークライフバランス」という言葉を見聞きする昨今。仕事とプライベートの調和を保つために用いられたこの言葉だが、この言葉の裏にはとある問題が存在しているのだ。
一見すると簡単な言葉だ。

ワークライフバランスは、単なる労働時間の問題だけではない。

家庭環境や就労環境、社会的地位や所得水準、ライフスタイルに対する価値観など、様々な要因なり前提条件が影響を及ぼす。

本当の意味でのワークライフバランスを実現するには、経済面だけでなく、精神面での充足が欠かせない。同時に、最低限の生活保障と、生き方の選択肢があることが不可欠である。

果たして、現代社会において、本当の意味での働き方の質と生活の質の両立は可能なのか?

本インタビュー記事では、専修大学商学部の神原理教授と、新しい視点から理想のワークライフバランスを考える。

神原 理
インタビュイー
神原 理氏
専修大学 商学部
教授


商品研究からワークライフバランスの分析へ


専修大学 取材イメージ画像
―――まずは、普段の研究領域について教えてください。

私は商品研究が専門で、社会的課題の解決に役立つ商品やサービスの研究、いわゆるソーシャルビジネスやチャリティービジネスの研究に従事しています。

具体的には、環境に配慮したエコグッズやオーガニック商品、途上国の生産者を支援するフェアトレード商品、地域の多様な人たちによる支え合いの関係づくりを目指すコミュニティ・カフェなどの商品特性や普及課題について研究をしています。また、こうした商品の認知度や購買経験、環境問題やSDGsに対する認知度など、社会的な消費に関するアンケート調査をとおして、社会的な課題に対する人々の意識やライフスタイルについても研究しています。

その関連で、地域コミュニティのあり方について研究したり、様々な不平等によって生み出される社会格差の現状、そうした社会における人々の幸福度(well-being)について研究したりしています。

そうしたなか、公益財団法人「年金シニアプラン総合研究機構」の方から、「第7回サラリーマンの生活と生きがいに関する調査」にお声がけ頂きました。そこで、サラリーマンのワークライフ・バランスをとおして、格差や幸福度を明らかにできないかと考えた次第です。

私は、労働問題の専門家ではないのですが、ライフスタイル研究という点からすれば、示唆に富む成果を得ることができ、貴重な経験になりました。

就労者の二極化するワークライフバランス


専修大学 取材イメージ画像>
―――通常とは違う専門分野とのことですが、違った視点から見えてくる分析結果がありそうですね。その上で、神原教授の考えるワークライフバランスとはどのような概念ですか?

ワークライフバランスとは、仕事とプライベートとの両立を図ることで、より充実した生活の実現を目指すものだと思います。でも、そこにはいくつかの前提条件があって、ワークライフバランスの良し悪しは、労働環境や収入水準に大きく左右されます。格差社会が進むなか、そもそも、ワークライフバランスなどという贅沢なことを言っていられない生活状況におかれている人たちがたくさんいる訳です。

大手企業に勤める人は、手厚い福利厚生と適切な休暇が用意されています。収入も一定以上確保されているため、休日には旅行や遊びに行き、友人や同僚と交流を深めて人脈を広げることが可能なんですよね。そうした活動を通じて新たな就労機会に恵まれたり、収入がさらに増えたりと、良い循環が生まれていきます。

一方で、家庭の事情などにより働き方に制限が生まれ、アルバイトをかけもちするなどの就業スタイルをとらざるを得ない人たちは、休みが取れず、所得も低い状況に置かれてしまいます。毎日の生活に精一杯で遊びに行く余裕はありません。 ダブルワークやトリプルワークをこなしながら、何とか生計を立てている人や、残業代で何とか給与レベルを維持している人たちにとって、残業の制限や休日の増加は、収入減に直結します。

また、低所得層の若者のなかには、休日は家でゲームなどに時間を費やしており、外出して人と会ったり、旅行をしたりするといった、人脈や視野を広げる機会に乏しい人たちが一定数います。結果として、彼らは現状維持を余儀なくされ、物価高騰に伴い生活レベルが低下の一途を辿ります。

つまり、恵まれた環境にある人はさらに恵まれる一方で、厳しい生活環境にある人はさらにその状況が深刻化するという、所得や社会的地位などの格差にともなうライフスタイルの二極化が顕著に表れているのが実態です。

ワークライフバランスの議論は、一定の経済的余裕がある人々を念頭に置いたものであり、厳しい生活環境にある人々にとっては贅沢な話と受け取られかねません。

生活に精一杯で食べていくことさえ難しい人々にとって、仕事と生活の調和を説くことは、何の説得力ももちません。

例えば、トラックドライバーの方々に対し、4月から新たな労働時間規制が導入されました。これにより、従来よりも長時間の運転ができなくなり、結果として収入が減少してしまったのです。

そのような状況下で、「労働時間が減ったのだから、余った時間を遊びに費やせばいい」と提案されても、トラックドライバーの方々は「遊ぶどころか、収入が減れば生活していけなくなる」と強く反発しています。テレビのインタビューでも、この規制による収入減に対する不満の声が相次いでいました。

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ワークライフバランスを語るには、まず一定の所得が前提条件となります。それ以前に、シングルマザーのように厳しい環境におかれている人々が、安心して生活できる社会を実現することが先決です。

しかし、一旦、貧困の悪循環に陥ると、抜け出すのは容易ではありません。

このような現実を目の当たりにすると、私自身、胸が痛みます。自分のように恵まれた立場から語るのは、無責任な気もしています。

ワークライフバランスは重要な概念ですが、すべての人々に当てはまるわけではないのが実情です。貧困から脱却できる社会的仕組みづくりが、何より優先されるべき課題であると考えます。

年齢別で分析すると、特に若年層が直面する厳しい現実をどう打開するかが、喫緊の課題となっています。

企業規模で見ると、大企業の方がワークライフバランスは取りやすい傾向にはあるものの、明確な差は統計的に出ていませんでした。業種によっては、大手でも長時間労働が常態化している会社などもありますし、中小企業でもワークライフバランスのとれている会社もあり、企業間での開きがあるためだと考えられます。

しかし、所得や社会的地位とワークライフバランスの間には、一定の相関関係が認められました。高収入で社会的に高い地位の人ほど、ワークライフバランスが取りやすい傾向にあります。ただし、例外もあり一概には言えません。

現状の日本社会では、中間所得層が次第に減少し、上位層と下位層の二極化が進行しつつあります。

その流れに沿って、ワークライフバランスの面でも3層構造が鮮明になり、やがては上位層と下位層の二極化が避けられない状況になりつつあると分析されます。

ワークライフバランスにも多様性を


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―――全ての人々が安心して暮らせる余裕のある社会、ワークライフバランスが実現した理想的な社会を構築するためには何ができるでしょうか?研究で得られた気づきなどがあれば、教えてください。

ワークライフバランスについては、個人の価値観や人生設計によって理想の形は異なります。
いわゆる「社畜」と呼ばれる長時間労働を全てにするスタイルも、ある人には合っているかもしれません。

一方で、子育て中や人生の節目などでは、より休暇を重視したいニーズが出てくるかと思います。

重要なのは、食べていくための最低限の収入が確保されていること、そして仕事と生活のバランスを自由に選択できる選択肢があることです。例えばダブルワークやトリプルワークを強いられている人たちは、本人が望むのであれば、そうした状況から解放されること、生き方の選択の幅が狭められてしまっては本末転倒です。

結局のところ、個人個人が理想とする生き方ができる社会が最良だと言えます。

最近では、東京で働くIT関連の30~40代が、田舎暮らしを選ぶケースが増えているそうです。いわば、大都市でのストレスフルな仕事環境よりも、ゆったりとしたマイペースな生活を重視するワークライフバランスの見直しと言えます。
地方には、そうした人々を受け入れる環境が部分的にあり、多様な生き方の選択肢が残されていることは重要な点だと思います。

東京で仕事一筋の生活を望むのであれば、そこに全力を注げるでしょうけど、東京でワークライフバランスを実現したい場合は一定の収入が必要です。お金へのこだわりが薄ければ、田舎でのマイペースな生活を選ぶのも一つの道かもしれません。

地方都市にとっても、人口流出などで衰退してきましたが、若者を受け入れ、一人ひとりが人並みの生活を営める環境を整備すれば、活性化の好機になります。

適度な人口規模を維持しながら、若者に雇用の場を提供することで、地方経済を安定的に運営していくことができます。

東京と比べて給与水準は低くとも、自然の豊かさや地域コミュニティーの絆、子育て支援などの「見えない資本」を最大限に活かせば、決して生活水準が落ちるわけではありません。

むしろ収入は東京よりも低くとも、全体的な生活の質が向上するのであれば、地方移住は合理的な選択肢となり得ます。
収入だけでなく、生活環境の良さを重視する考え方が広がれば、若者を惹きつけられる地方都市が増えていくでしょう。

日本社会には、まだ様々な生き方や価値観を受け入れる土壌があり、そうした選択肢の存在自体が重要だと考えます。今後この動きがどう変化していくか注目していきたいです。

―――研究の中で発見した昨今のワークライフバランスの課題は何でしょうか?

ワークライフバランスというと、何らかの一定の割合で仕事と生活を両立しなければならないといった固定観念が生まれがちです。しかし、7:3がいいのか、6:4がベストなのか、それとも仕事に人生を捧げる「社畜」スタイルがいいのかは、個人の生き方次第であり、一概に言えるものではありません。

重要なのは、労働時間を一律に規制するのではなく、個人個人のライフステージや家族構成に応じて、柔軟に対応できる選択肢があることだと思います。残業時間を削減され、休日を増やされても、何もやることがなくて困ってしまうヒマ人が増えるだけでは意味がないでしょう。ライフの部分でも自己実現の機会が得られることが肝心です。

日本には画一的な生き方を是とする風潮がありますが、ワークライフバランスも個人の問題だと感じます。地方での穏やかな生活を選ぶも良し、東京で高いキャリアを求めるも良しなのです。

さらに、職種によって「仕事」の意味合いも異なります。
生計を立てるためだけに仕事をしている人もいれば、仕事自体が生きがいであり自己実現の場である人もいます。ケーキ職人や料理人、ミュージシャンやアーティストは、仕事自体が自らの価値観の表現でもあり、自己実現であり、世の人々に喜んでもらうためでもあり、誰のためとも言えません。もちろん、働き過ぎはよくないけど、彼らに残業削減とか休暇を増やせとか言っても、どれだけ説得力をもつでしょう。

このように、ワークライフバランスには一つの答えはなく、個人個人の価値観や環境に応じて柔軟に捉えるべきなのです。 画一的な基準は適切ではありません。多様なライフスタイルを受容できる社会システムを確立することが何より重要だと思います。

仕事への情熱と夢、そして生き残るためのスキル


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―――最後に読者の皆様にメッセージをお願いします。

仕事そのものに熱意を持ち、やりがいを感じることができれば、ワークライフバランスを気にする必要はありません。
まずは一人一人が、そうした自分の情熱や夢に応えられる仕事に就けることを願っています。

そして、同時に、どこに居ても最低限の生活は送れるような、何らかの実践的なスキルを身に付けておくことも必要不可欠です。 将来、資本主義社会自体が限界を迎え、日本経済が大きな転換期を迎える可能性があります。中国経済の先行きも不透明であり、世界経済が大きく変動する不安もあります。

そうした時代の変革に備えいつでも自分の身は自分で守れるよう、生き抜く術を持っておくことも必要です。農業に従事することで、国民の食料確保に尽力することも選択肢の一つでしょう。

人的資本、文化的資本、生産資本など、多様な形の資本を蓄えておけば、環境が変化しても生き延びられる可能性が高まります。

実際にグローバル人材となり、海外で活躍できる人は一握りです。大多数の人は国内で生計を立てていかざるを得ません。だからこそ、国内での生存力を高めておく必要があるのです。

時代が大きく変わろうとしている今こそ、生き残るためのスキルや態勢を整えることが極めて大切だと考えています。

新井那知
ライター
So-gúd編集部
新井 那知
埼玉県・熊谷市出身。渋谷の某ITベンチャーに就職後、2016年にフリーランスライターとして独立。独立後は、アパレル、音楽媒体、求人媒体、専門誌での取材やコラム作成を担当する。海外で実績を積むために訪れたニューヨークで、なぜかカレー屋を開店することに—-帰国後は、クライアントワークを通してライターとして日々取材や編集、執筆を担当する。料理と犬、最近目覚めたカポエイラが好き(足技の特訓中)。
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