空中の未来画:オプティクス技術で紡ぐ新時代
マーベル・コミックの実写映画『アイアンマン』を見たことはあるだろうか?
主人公のトニー・スタークは、アイアンマンを製作する際に自室のラボのハイテク技術を用いる。空中にディスプレイが現れ、設計、改造、チューンナップまで空中ディスプレイを通しておこなうことができるのだ。
SF映画で幾度となくみた「空中ディスプレイ」の技術だが、実用化される日が近い―― そんなSF映画の世界を現実にしたのが、宇都宮大学の山本裕紹教授だ。
山本研究室では、空中ディスプレイの研究開発と標準化に取り組んでいる。空中に浮かぶだけではなく、触れる体験まで実現したのが山本教授だ。今回は、そんな最先端の空中ディスプレイの魅力と可能性についてお話をお伺いした。
工学部 基盤工学科 情報電子オプティクスコース 教授
研究推進機構 オプティクス教育研究センター 兼担
研究推進機構 ロボティクス・工農技術研究所 兼担・副所長
地域創生科学研究科 博士前期課程 工農総合科学専攻 光工学プログラム 兼担
地域創生科学研究科 博士後期課程 先端融合科学専攻 オプティクスバイオデザインプログラム 兼担
映画のような空中ディスプレイの研究に携わる宇都宮大学・山本氏
―――まずは、山本様の経歴や研究領域について教えてください。
私は、和歌山県出身で、東京大学の計数工学科で学んだ後、石川正俊教授の指導のもと光コンピューティングについて研究を深めました。
大学院修士課程を修了してすぐに徳島大学の助手になりました。徳島らしい研究として、日亜化学工業で実用化されたばかりの青色発光ダイオード(LED)を用いたを使用した3Dディスプレイに着手しました。1996年から始まったこの研究は、私が記憶している限りでは、その種の技術としては世界初のものでした。
さらに2010年になると、3D映画「アバター」の影響もあり、一般的な家電店でもステレオの3Dディスプレイが普及し始めました。その流れの中で、映画のシーンを実現したいと考える学生たちの熱意に触れ、空中ディスプレイの研究に本格的に乗り出したのです。そして、画面の奥行きよりも、映像が空中に浮かぶことの意義に気づき、私たちの研究は新たな次元へと進展しました。
経歴を続けますと、和歌山、徳島での生活を経て、私は宇都宮大学オプティクス教育研究センターで2014年から准教授、2019年からは教授を務めています。首都圏に近い宇都宮では、多くの企業との共同研究や見学対応など、積極的な交流を行ってきました。
さらに、「REAL」というロボティクス・工農技術研究所の副所長も務めており、ここでは農作業の支援ロボットや葉っぱも含めたイチゴをまるごと活用する技術開発など社会実装志向の研究が行われています。私はは、空中ディスプレイに関する国際標準化プロジェクトのリーダーとしても活動しており、私の研究と役割は日々拡大しています。
―――続いて、空中ディスプレイのポイントについてお伺いしてもよろしいでしょうか?
空中ディスプレイのポイントは「宙に浮かぶ・横から見える・手で触れる」の3つです。
まず第一に、実際に存在しない映像が空中に浮かんで見えると映画のようなシーンを現実のものとして体験できるわけです。
第二に、どの角度から見ても映像が維持される全方位性です。全方位性があることによって、複数人が同じ映像を共有することが可能になります。
そして第三に、ユーザーが映像を手で触れるかのように操作できるインタラクティブな要素です。
これらの3点を満たす空中映像技術により、ただの映像表示を超えた、新しいコミュニケーションの形が生まれるのです。
空中ディスプレイを実現するために、視差やピント調節を含む視覚的手がかりを利用しています。特に重要なのが「運動視差」です。運動視差とは、視点が移動しても物体が実際にその場に存在しているかのように見えることを意味し、片眼で見ても3D映像を位置と奥行きがわかる手がかりです。
また、触感を再現するための技術も進化しており、遠赤外線を利用した熱感知や、超音波による圧力感知を通じて、ユーザーに物理的なフィードバックを提供します。
実際に私たちの研究では、2014年にはマルチタッチできるディスプレイをYouTubeで公開しました。指の動きをカメラがとらえるので、画面を振り回せるような動作が可能であったり、画面を突き抜けたりたり、ディスプレイ上に線を描くことが可能になりました。
目や手の動きに合わせて即座に動く応答速度の向上が課題
―――ありがとうございます。一方で、空中ディスプレイの課題はありますか?
空中ディスプレイは目覚ましい進歩を遂げていますが、技術的な課題も存在してます。一例に私たちがYouTubeに投稿し、JSTプロジェクトの成果として公開したデモンストレーションを紹介します。
デモンストレーションの内容は、空中に浮かぶボタンを通じてマルチタッチ操作が可能というものです。これは高速カメラが指の動きを捉え、その動きに応じた映像を生成することで実現しています。このデモンストレーションでの課題は、低レイテンシー、つまり応答遅延の短縮でした。
低レイテンシー化の課題は、タブレットが登場した当初にも起こっていました。ディスプレイ分野では、指先やペン先が描いた絵が画面に追いつくかどうかが重要で、遅延があると直感的な操作感が損なわれます。空中ディスプレイにおいても、手の動きに対する即座の反応が求められるため、フレームレートを上げるなどの対策が必要です。
低レイテンシー化以外では、運動に応じて表示内容を変える技術も課題です。自分の目の位置に応じて正確な奥行きを再現することは、空中ディスプレイにおいて非常に複雑な技術的挑戦です。
これらの課題を解決することが、空中ディスプレイ技術をさらに実用的なものにし、広く一般に受け入れられるようにする鍵となります。
―――ところで空中表示というのはいつ頃から実現されているのですか?
空中表示技術は2000年から研究が始まりました。
上記の図は空中浮遊映像の表示技術の代表例です。一番左の図が空中表示技術の基礎となる「フローティングビジョン」という技術です。
空中表示技術の研究が始まる10年以上前にパイオニアによって開発されていました。これは、小さなレンズを多数配置したレンズアレーを用い、2回結像することで空中に像を投影する方法です。この光学系は、コピー機と同じ原理に基づいており、2層のレンズアレーを使用することで正立像を作り出すことができます。
この技術を活用して、液晶パネルの前に映像が浮かぶ装置が開発されましたが、その時代にはまだ受け入れられませんでした。指を検出するセンサーも搭載されていたものの、「いかにも仕掛けがありそうなところから浮かび上がる」ことに対して人々の驚きが少なかったからです。
その後、プロビジョン社が凹面ミラーを用いた装置を開発し、クーポン端末としてアメリカで使用されました(図の左から2番目)。同様の映像はフレネルレンズ(英:Fresnel Lens※)を用いても可能で、水族館に使われたことがあります。これらの装置は映像が見える角度が限られる課題があります。
続いて、NICT(情報通信研究機構)の前川さんによって新しい空中表示技術が開発されました(図の真ん中)。 開発された技術は、ザリガニの目の光学系を応用したものです。その隣の左から4番目の図は、前川さんが大阪市立大学(現在 大阪公立大学)の宮崎准教授と共に、ミラーを高速回転させることで3次元の浮遊画像を作り出すという研究のものです。
一番右のアスカネット社の空中ディスプレイが、2010年ごろのものです。
■Fresnel Lensとは?
Fresnel Lens(読み方:フレネルレンズ)とは、球面レンズや非球面レンズを同心円状に分割して、レンズとしての厚みを減らしたノコギリ状の断面を持つレンズのことを意味します。
空中ディスプレイによる豊かで新しい社会の創出
―――技術的な課題を伺いましたが、空中ディスプレイが一般に浸透するうえでの課題点はありますか?
市場を伸ばしていくという点と一般利用される点でそれぞれ課題があると思います。
まず、市場を伸ばしていく点についてですが、一般利用よりも先に、市場規模の大きい産業で市場基盤を築くことが必要です。自動車産業がその起点となり得ると見ています。将来的には完全自動運転車の普及により、車載技術が家庭にも導入されるでしょう。
一般利用されるための課題は、品質の標準化と安全性です。模倣品や怪しい商品が出回る中で、正当な製品や高品質な製品を示すためには基準が不可欠です。そのため、私は空中ディスプレイに関する国際標準化のプロジェクトリーダーとして、標準化作業に取り組んでいます。
安全性にも社会的な合意形成と空中ディスプレイを利用する際の課題があります。赤青眼鏡のような3D眼鏡をつかうような立体表示とは光学的原理が全く異なり、空中ディスプレイは実物を見るときと変わりません。しかしながら、3D眼鏡を誤って使うと子供の視覚に悪影響を及ぼしかねない問題と同じように不安に思われる場合があります。PL法(製品責任法)の下、製造者としての責任を問われないよう、安全性に関する知見の蓄積と合意形成も必要です。
空中ディスプレイを利用する際の安全性に関しては、極端な映像投影や意図しない使用方法に対する安全機能、例えばセンサーを利用した映像の自動消去機能などが有効になるかもしれません。自動車の場合は、現状ハンドルがあるため、空中像がハンドルの間に表示される程度であれば問題が生じることはないと考えています。
―――いくつかの課題があるものの、空中ディスプレイが一般利用されるようになったらSF映画のような世界になりますね!この技術の発展がもたらす社会への影響や変化はどのようなものと予測しますか?
空中ディスプレイ技術の発展は、社会における情報と物理空間の関係性を根本的に変化させる可能性が高いです。特に、タッチレス技術としての重要性が高まりつつあるこの時期において、空中ディスプレイは人々の生活や働き方に新たな次元をもたらすことが期待できます。
市場予測に関しては、コロナ前の状況を踏まえると、2040年までには数兆円規模の市場が形成される可能性があります。これは自動車関連やエンターテインメント、表示技術など様々な分野に影響を及ぼすことでしょう。非接触が重視される現在の状況を考えると、その成長はさらに加速する可能性が高いと考えています。
―――現段階で、空中ディスプレイの研究が進むことで期待される成果や変化について教えてください。
空中ディスプレイの研究が進むことで、まず期待される大きな成果は、タッチレス技術の普及です。コロナ禍での衛生面への意識の高まりにより、非接触のインタラクションへの需要が急速に増加しています。
この流れは、コロナ後も続き、特にエンターテインメント業界での実用化が加速している状況です。各社も商品をカタログに掲載し、市場のニーズに応え始めています。
実際にVR能『攻殻機動隊』では、世界初のVR技術として再帰反射による空中結像である「AIRR(以下:エアー)」が採用されています。このエアーは、空中に映像を映し出す技術ですが、光源から出た光を1点に収束させる技術です。
引用: VR能攻殻機動隊 事務局
従来のVRはメガネやゴーグルを個別に装着する必要がありました。しかしエアーは、無拘束・非装着で、誰がどこから見ても同じ位置に空中像が現れる可視化を実現しました。
またこの技術は、将来的に高速道路の逆走防止の看板に活用できたり、タッチレスとして社会で広く使われることが予想されます。
さらに、空中ディスプレイは、内閣が掲げるサイバー空間と現実世界が融合するソサエティ5.0(英:Society5.0)という新しい価値観において重要な役割を果たします。
5G技術の進展によって、インターネットが現実世界に統合されていく過程で、スマートフォンや他のハードウェアを超えた形での情報アクセスが可能になるでしょう。
ARグラスやVRゴーグルが現在は独立したデバイスとして存在していますが、将来的には空中ディスプレイによって実空間への映像の統合が実現される可能性があります。
この技術革新を日本の強みとして活かし、素材や精密加工などの上流工程から、社会の進化に合わせた直接的な応用へと繋げることを目指しています。
これにより、新たな産業が創出され、経済的にも大きなインパクトをもたらすことが期待されているんです。空中ディスプレイの研究は、新しい社会の在り方を模索し、現実とデジタルの境界を曖昧にすることで、我々の生活を豊かに変える可能性を秘めています。
■Society5.0とは?
Society5.0(読み方:ソサエティ5.0)とは、簡単にいうと現実空間と仮想空間が一体となり、さまざまな社会問題の解決と経済発展を実現する社会のことです。
現実空間の情報がセンサーやIoT機器を通じて仮想空間に集積され、これらのビッグデータをAIが解析。 現実空間に還元していく仕組みです。
使いやすさ、直感的な操作性、そして新しい技術への適応を追求して技術革新と向き合う
―――これから挑戦していきたいことはありますか?
出典: 株式会社矢野経済研究所空間投影ディスプレイ技術動向(2016年10月調査)
空中ディスプレイは、国内・国外ともに成長市場です。空中ディスプレイが安全・安心な形で、世の中に広がるためには空中ディスプレイの国際標準の創成に取り組みたいと思っています。これは、「日本型標準加速モデル」として国内で推奨されているんです。
世界共通の基準で画質を測定できる手法を開発することで、この分野での競争力を高めるとともに、高品質なディスプレイ素子の設計につなげたいです。現状では他の競合に後れを取っている部分もありますが、新しい技術要素の導入により画質を向上させることに成功しました。
その他には、高速道路の看板など遠距離に映像を投影する技術にも挑戦したいと考えています。50メートル先の空間に映像を浮かばせるなど、まだ手付かずの領域に挑むことで、新たな可能性を切り開くことができるでしょう。
さらに、私たちの研究はサイエンス分野にも及んでおり、動物へのVR技術応用に興味があります。すでに魚を対象とした研究は行っていますが、次はブロイラーや乳牛といった家畜への応用を探りたいと思います。
無眼鏡VR技術を用いて、家畜が実際よりも広い空間にいると錯覚するような環境を作り出すことができれば、農業や水産業への大きな進歩につながるかもしれません。これが、今後の挑戦の中で最も革新的な取り組みの一つになると確信しています。
―――先生の挑戦を聞くとワクワクしますね!最後に、昨今の技術革新の変化と私達はどのように向き合うべきかお聞かせください。
技術者側と一般の方々で技術革新への向き合い方が変わると思います。
まず我々技術者は、技術革新を推進するうえで、人間の直感にフィットする製品設計が求められていることを理解する必要があります。ユーザーに無理強いせず、誰もが自然と使えるデザインを目指すべきです。
過去には、特定のジェスチャーを覚える必要があったデバイスもありましたが、それらは使いやすさを欠いていたために市場から淘汰されました。その一例が、スマートフォンの登場以前に流行ったパームパイロットです。
私の研究室では、大画面を持ち歩くのではなく、必要な時にだけ画面が出現する直感的なインターフェースを実現する技術を追求しています。これは、SF映画に描かれるような世界ですが、現実にも可能です。
一方で、一般の方々は新しい技術が導入された際には、それに慣れることが重要です。人々は旧来の方法に固執することがあります。たとえば、タッチレスエレベーターのような新しいシステムが導入された時に、エレベーターのボタンを押してしまうという現象がありました。
新しい技術に対する適応は、アーリーアダプターの存在によっても促されますが、社会全体が利便性を理解し柔軟に受け入れることが技術革新の普及には不可欠です。
結局のところ、使いやすさ、直感的な操作性、そして新しい技術への適応が、今日の技術革新の変化における私たちの向き合い方の鍵となります
出典: 日本産業標準調査会・基本政策部会『日本産業標準調査会 基本政策部会 取りまとめ ―日本型標準加速化モデル』
はい
100%
いいえ
0%
はい
100%
いいえ
0%