2024.01.10

バイオテクノロジーの可能性と未来の農業とは? 長浜バイオ大学・蔡晃植氏が語るバイオサイエンス。


植物の歴史は約4億7千万年前にさかのぼるとされ、最初の植物は苔のような存在だったと言われている。また植物は食料や薬品の原料として人類の生命を支えてきた――つまり人類の歴史は、常に植物とともにあったと言っても過言ではない。

そして現在、科学技術の進展により、植物の細胞構造や免疫システムが徐々に解明されてきた。本記事で取材した長浜バイオ大学の蔡晃植教授は、日本の研究機関として初めて、植物が病原細菌の鞭毛に存在するフラジェリンタンパク質を認識し免疫反応を誘導することを発見した。

この植物免疫システムに関する研究は、将来的に農業だけでなく医療分野での応用が期待されている。今回の取材を通して、蔡教授によるバイオサイエンスの無限の可能性を活かした取り組みを通じて、植物の免疫システムに関する研究が現代社会にどのように貢献しうるのかだけでなく、現代農業の実態と問題点についての知識を深めることの重要性が浮き彫りとなった。

蔡 晃植
インタビュー
蔡晃植氏
長浜バイオ大学
バイオサイエンス学部
フロンティアバイオサイエンス学科
教授


長浜バイオ大学・蔡晃植教授が追求するバイオサイエンスの概要


取材画像
——まずは研究概要とテーマについて教えてください。

私は長年に渡り、植物による外部情報の認識について研究してきました。人と植物の違いとして、“動かない”という特徴があります。

植物は光と二酸化炭素があれば、光合成によって糖を作ることが可能なだけでなく、それ以外のアミノ酸、タンパク質も自分で生成することが可能です。つまり植物は、栄養を摂取するために動く必要がなく、植物が自ら動いてエネルギーを消費しなくても良いことになります。

しかしここである問題が発生します。それは、植物はさまざまな環境の状況変化がおきても、動いて逃げることができなくなってしまいました。例えば、極端に気温が下がったり、病気が蔓延したりした場合でも、逃げることができません。

ですが植物は、病気や疫病が蔓延しても、絶滅するわけではありません。これは植物が病原菌を認識し、独自の免疫システムで撃退していることに他なりません。

―――なるほど…ありがとうございます。植物の免疫研究における新しい発見は何かありますか?

植物は、病原菌のさまざまな分子を認識して植物独自の免疫システムを誘導していることが分かりました。この研究領域は、数十年前までは不明な点が多かったのですが、科学技術の進歩に伴って徐々に明らかになってきました。

研究の結果、植物は病原菌が持つさまざまな分子に対応した認識システムを有しており、これを用いて高度に階層化された植物免疫を発動することで、自身を防御していることがわかりました。これによって、育種で作り出した野菜などのさまざまな品種が、特定の病原菌によって加害されやすい現象についても分子レベルで説明できるようになりました。

また、植物と病原菌の間には認識と免疫誘導においてせめぎ合いがあったこともわかりました。つまり、植物が病原菌のある分子を認識し免疫を誘導するシステムを確立したら、病原菌の中にはその分子の構造を変えることで認識を回避したり、植物の免疫自体を抑制することで感染を成立させようとするものが生まれました。

これに対して植物もその病原菌の戦略を克服する手段を獲得してきました。このようなせめぎ合いの中、植物と病原菌の間には、「中程度の抵抗性」と呼ばれるシステムが確立し、お互いが絶滅し合わないバランスがとれるようになりました。

フラジェリンとゲノム編集が、未来のバイオサイエンスの鍵


取材画像
——植物のフラジェリンとは? 植物の免疫システムの可能性とは?

「フラジェリン(英:flagellin)」とは、細菌の鞭毛を構成するタンパク質のことを指します。

我々は、イネなどの単子葉植物を宿主とする褐条病菌(かつじょうびょうきん)を用いて植物による病原菌認識と免疫反応誘導について研究を行ってきました。この菌にはさまざまな菌株が存在しますが、宿主として病気を引き起こせる植物種はほぼ一種です。例えば、K1菌株は、イネを病気にできるが、N1141菌株はシコクビエを病気にできるけどイネは病気にできません。この現象から、なぜこの菌は菌株ごとに宿主が限定されているのかという素朴な疑問が生まれます。

そこで、この疑問について研究したところ、イネはN1141菌株を認識して免疫反応を誘導しますが、K1菌株は認識できず免疫反応が誘導できないことが判明しました。このイネによって認識される物質を調べたところ、この菌の鞭毛を構成するフラジェリンであることがわかりました。

―――素晴らしいですね!この研究は、農業や医療などさまざまな分野でも活用できそうですが、研究における課題は何かありますか?

イネはN1141菌株のフラジェリンを認識して免疫反応を誘導するので、イネにこのフラジェリンを発現させたらいつも免疫を誘導した状態にできるのではと考え、フラジェリン遺伝子をイネに導入した遺伝子組換えイネを作成しました。このイネは予想どおりいもち病に対する耐性を持っていたことから、イネに免疫反応を誘導するワクチンなども開発できる可能性が示されました。

フラジェリンの研究での課題はイネがどのようにしてフラジェリンを認識しているかということです。この研究のためには、特定のタンパク質を作れなくなった変異株が必要です。ところが、特定の遺伝子を破壊することは動物や微生物では可能でしたが、なぜか植物では難しかったのです。これは研究を進める上での障壁でしたね。

―――なるほど… 今は植物の特定の遺伝子をノックアウトすることはできるのでしょうか?

実はここで重要になってくるのが、2020年にノーベル化学賞を受賞した「ゲノム編集」です。ゲノム編集は特定の遺伝子をピンポイントで編集(書き換え)できる技術で、植物にも応用できました。

ここ数年、私たちはイネのゲノム編集をおこない、フラジェリンを認識する受容体候補タンパク質の遺伝子を編集して、フラジェリンを認識して免疫反応が誘導されるかどうかについて研究しています。植物でのこのような研究は、ゲノム編集が確立するまでは行うことが難しかったので、一気に研究が加速しましたね。

■ゲノム編集とは?

生物の特徴や機能といった情報すべてが集まっているのが、ゲノムです。ゲノム編集とは、酵素の「はさみ」を使ってゲノムを構成するDNAを切断し、遺伝子を書き換える技術です。従来の遺伝子組換えと比較して、安全に、そして狙った遺伝子を編集できる技術として、農業や水産業で応用が進んでいます。また、遺伝子が要因となる疾患の治療など、さらなる応用が期待されています。



植物中の免疫性がわかれば、より免疫力の高い植物や穀物野菜を作ることが可能


取材画像
——ここまでのお話を聞いていると、将来社会に与える影響が大きい研究領域という印象を受けました。先生の研究領域は、将来的に社会にどのような影響を与えるのでしょうか?

植物免疫の機構が解明できれば、特定の病菌に対して強い免疫力を誘導させることも可能です。その結果、病気に強い植物を作ったり、植物の免疫自体を高める薬剤を開発することも可能になると思います。すなわち、このような研究によって持続可能な農業の構築に貢献できると考えています。

——素晴らしい研究ですね…。

先ほど述べたゲノム編集は、植物免疫の研究だけに使われているのではなく、ゲノム編集技術を用いた分子育種という分野を新たに開きました。

これまでの新品種を作成する育種では基本的には自然にできた突然変異体を利用している場合がほとんどでした。このような突然変異はいつどこで起きるのかはわかりませんでしたが、ゲノム編集を利用して、特定の遺伝子を編集することができるようになりました。このような人為的突然変異体を用いることで、新しい形質をもった新品種を作り出すことが可能となったわけです。

例えば、GABAという栄養素の含量が高いトマトやいつまでも褐色にならないホワイトマッシュルーム、単位面積あたりの収量が高いイネなどがすでに作られています。

このことから、ゲノム編集という技術は育種を根本的に変える可能性があり、世界中でも多くの研究者が注目しています。

日本の食料自給率の向上と農業基本法を改めて見直す時期


取材画像
―――農業や育種という根本的な概念を変える研究ですね!個人的には、日本の農業は少し保守的なイメージがあります…こういった技術は日本でも受け入れられるのでしょうか?

今の日本の農業従事者は*2023年では116万人、平均年齢は68.4歳(2022年)となっています。一方、毎年新たに農業に従事する若い方は少ないことから、5年後には農業従事者の平均年齢は70歳を超えるのではないかと考えられています。

実際に、農業を継続できなくなり耕作を放棄する方や、跡継ぎの不在や経済的な問題で解散する農業法人も多いと聞きます。

さらに昨今の国際情勢により、農業資材が高騰しており、農業を継続するうえで大きな困難が立ちはだかっています。

―――なるほど…ここまでのお話を聞くと、明るい未来が見えませんね…。

このような状況から、日本の農業においては付加価値の高い作物やコストのかからない作物を作る必要があるのではないでしょうか。私は、この状況の改善にゲノム編集やさまざまなバイオサイエンス研究が貢献できるのではないかと考えています。

欧米では農業や畜産というのは安全保障であると考えられているようです。そのような観点から考えると、日本においても食糧自給率を上げていくことを本気で考えていかなければならないかと思います。

―――食糧自給率の増加に成功した国の例などはありますか?

2013年にスイスは、食料の安全保障について国民投票をおこなっています。その結果、食料の安全保障は、国として必要な政策と位置づけられ、税金を投入して国として農業を守る方針を定めました。その代わり農業就業者側には、徹底したガイドラインを設け、安全を保障してもらう仕組みを国が実施しました。その結果、スイスでは食糧自給率が向上したといわれています。

・出典:農林水産省『農業経営をめぐる情勢について
・出典:日本貿易復興機構(ジェトロ)『スイス農業政策の改革


バイオサイエンスの可能性


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―――植物バイオサイエンスや免疫システムの研究は、これからどのように進化しますか?

バイオサイエンスという分野は非常に広く、基本的には生物の仕組みやさまざまな生命現象を対象とした研究がすべて含まれます。これまでもバイオサイエンスの研究は我々の生活に大きく貢献してきました。発酵食品の原理、ワクチンの開発、抗生物質を含めた新規医薬品の開発、遺伝子組換え技術を用いた新品種の作出など例をあげればきりがありません。

このことから、バイオサイエンスが今後も人間社会と福祉に大きく貢献していくことは間違いないでしょう。

農業分野もバイオサイエンスの発展により大きく変貌するかもしれません。植物を生産工場として利用し、さまざまな医薬品などを植物に作り出させるという新たな農業も生まれるかもしれませんし、高温に適応した新品種を作出することで地球温暖化に対抗することや、水の少ない場所や乾燥地でも育つ作物の開発なども夢物語ではないでしょう。

―――ありがとうございます。最後に読者の方へメッセージはありますか?

バイオサイエンスの発展が人類社会に大きく貢献するのは間違いありません。しかし、新しい技術は必ず不安も増長します。我々研究者は、このような不安の解消に全力を尽くさなければいけませんが、皆さんも「知ること」を積極的に行ってほしいと思います。

実は私は、長浜の伝承野菜「尾上菜(おのえな)」で「さいさい」という新品種を作りました。

尾上菜の「さいさい」の紹介
これは、長浜市の六次産業化プロジェクトの一環として開始しました。

滋賀県の尾上地区では古くから尾上菜という野菜を栽培していました。この尾上菜は自家採種されていたため、形質が一定ではなく商品価値としては高いとは言えませんでした。そこで我々は、F1ハイブリッドを作ることで付加価値を高めた新品種「さいさい」を作りました。この品種を一般化する上で一番重要だったのは、どのような技術を用いて作ったのかを皆さんに知っていただくことでした。

こうして皆さんに納得していただくことで広く栽培が可能になるのではないかと考えます。新しい技術は、まずは知ることで、多くの人に受け入れられ、普遍化していくのではないでしょうか。

昨今はさまざまな情報が、多種多様な方法で発信されるので、間違った情報によって意思決定がなされてしまうケースも認められます。『皆が言っていたから…』『SNSで著名人が言っていたから…』『なんとなく見聞きしたことがあるから…』ではなくて、正しく知る機会を自ら作り、自分で判断することが重要になっていると思います。是非、正しい知識を得る努力を続けていただきたいと願います。

新井那知
ライター
So-gúd編集部
新井 那知
埼玉県・熊谷市出身。渋谷の某ITベンチャーに就職後、2016年にフリーランスライターとして独立。独立後は、アパレル、音楽媒体、求人媒体、専門誌での取材やコラム作成を担当する。海外で実績を積むために訪れたニューヨークで、なぜかカレー屋を開店することに—-帰国後は、クライアントワークを通してライターとして日々取材や編集、執筆を担当する。料理と犬、最近目覚めたカポエイラが好き(足技の特訓中)。
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