2024.01.19

心の奥深くを読み解く:脳波科学における新たな地平


日本人の約15人に1人の割合が、「鬱病(うつびょう)」を発症すると言われている。
鬱病になると心が沈み、身体がだるくなったり、食欲がなく睡眠不足になったりと、人により様々な症状が現れる――

健康状態に明らかな不調を来たす鬱病だが、鬱病状態の脳、そして脳波はどのように作用しているのだろうか?

学習や熟練をテーマに研究する東海大学の中谷裕教講師は、これまで各分野のエキスパートを対象に直感や思考のメカニズムを研究してきた。

そのノウハウを基に、どんなメカニズムで鬱になるのか、通常の脳の状態との違いを紐解いていく。

本取材では、病院に行くほどではないけれど、少し気持ちが塞いでしまうなどといった、日常生活で陥りやすい鬱状態に焦点を当て、脳波科学から見た予防策やアドバイスもお伝えしていく。

*厚生労働省:『こころもメンテしよう

中谷 裕教
インタビュイー
中谷 裕教氏
東海大学
講師
学位:博士(工学)
専門:認知脳科学、生体情報工学
著書:「次の一手」はどう決まるか、勁草書房


学習と熟練に関する研究をしてきた中谷氏が語る、「鬱」とは?


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―――まずは、研究領域について教えてください。

私の研究テーマは、鬱病ではなく、学習と熟練についての研究が専門でした。私たちが何かを勉強すると、技術とか知識は向上しますよね。勉強すると、色々なことができるようになりますが、その時に脳がどういった動きをしているのか――

特に一番興味があるのが、何かしらのエキスパートになるための学習の研究や直感や思考に関わる脳のメカニズムを調べています。

社会におけるエキスパートと呼ばれる人材は、他の人よりも極めて高い能力を発揮しますよね。その時脳ではどのような何が起こり、どのようなメカニズムになっているのか興味があったんですよね。
また人が学習するには小脳が関わってくるので、小脳の研究もしています。

―――ありがとうございます。学習領域の研究からどのように鬱の研究に繋がっていったんですか?

人が、学習するためには心身ともに健康でないといけません。やっぱり気分が沈んでいたり、体調が悪かったりすると何かを学習するのは難しいですよね。

どのような脳のメカニズムによって鬱が発病し、通常の脳の状態との違いに興味を持ったのが、きっかけです。

ちょうどそういったアイディアが浮かんで、計画を立てて実験を始めようと思った頃に、新型コロナウイルスが流行し始めました。
ニュースでも「コロナ鬱」の流行が報道され、これはやらなければ、と実際に実験を始めたのが、鬱の研究の始まりです。

―――コロナ鬱は、かなり流行しましたよね…当時、様々な過度のストレス要因があったと思うのですが、具体的にはどのようなことが鬱の原因になったのでしょうか?

コロナ鬱の発病の原因はいくつかありますが、一つは人と人との繋がりがなくなったことです。オンラインで会えたとしても、直接会えないということが、こんなにも人の心身に影響を与えるのかと思いました。

そして2つ目の原因は、過度なストレスです。コロナ禍では、飲食業をはじめとした様々な職種・業種の人たちが仕事をできない状態でしたよね。このような困難な状況から不安が増幅され、ストレスがかかり鬱病の発症につながっていくんだと思いました。

このように鬱病の原因に関しても調査と平行して、鬱病になる一歩手前というよりは、普通に日常生活を送っている人を対象にして研究を行いました。
気分が落ち込んだりなどの鬱の症状は誰にでもあります。そういった、誰でも抱えているいわば普通の症状が脳にどのような影響を与えているのか?ということに興味があったからです。

―――鬱病の予備軍を調査したのはなぜですか?

私は医師や心理士ではないので、病気としては研究対象として扱えなかったんです。ですが調査した一番の理由は、日常生活を送っている人の中には、通院するほどでなくても気分の落ち込みで悩んでいる人が多くいるからです。

一番の理由は、日常生活を送ることはできても、気持ちが沈んでしまって苦労している人の脳のメカニズムは通常の脳とどのように変化しているんだろうと研究を始めました。

医学的に見ると、「健常者」だけれども、鬱症状がある人の脳活動を見ることが出来たら、早期発見や早期治療に繋げられると思ったんですよね。

実際に健常者であっても鬱の症状が強い人と弱い人では、脳活動は大きく異なっていました。

今後は鬱症状がある人とない人の学習中の脳波を調べた時の違いについて調査したいと思っています。

―――ありがとうございます。「鬱」という言葉は世間でよく聞かれるようになりました。改めて鬱を定義するとしたら、どういう状態なのでしょうか?

気分が落ち込んでいる状態、活力やエネルギーがなくなっている状態が鬱だと思っています。例えて言うなら、スマートフォンの充電が切れている状態です。

医学的に言うと、いわゆる病名としての「鬱」と、健常者が言う「鬱っぽい」は症状としては同じで、重症度が違うと言われています。

健常者は鬱の度合いが低いので、日常生活が送れる状態にあるけれども、重症度が高くなると、日常生活が送れなくなります。そこで、病院に行って鬱病と診断されるというだけで、基本的にはそこまで変わらないということです。*

ただし、鬱の特徴として、本人が気づかないうちに進行してしまうということがあります。気持ちが落ち込むと、悪いことしか考えなくなり、さらに気分が落ち込む……といったように、掛け算式に症状が悪化してしまう。

だからこそ、今後は脳波という客観的なデータで、「あなたは今鬱症状が少しずつ始まっています。気分転換を始めましょう」というような注意喚起をしていけたら、と思っています。

鬱の測定をもっと手軽に、客観的に


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―――鬱に効果的なものって何があるんでしょうか?

もちろん鬱病の治療には、薬を使うこともあるのですが、瞑想やマインドフルネスは効果的だと思います。*

瞑想やマインドフルネスの目的は、何かに集中させることです。集中することで、悪いことを考えなくなるので、鬱の進行を食い止めることができます。

病気になる手前の状態であれば、気持ちの程度で治せると思うんです。

だからこそ、日常生活が送れるうちから、自分の鬱の程度を客観的に測れたら良いなと思っています。

参照:日本医師会『うつ病・抑うつ状態と、うつの違いってなあに?
参照:厚生労働省eJIM『瞑想やマインドフルネスとは?


―――病院で診断されるレベルの鬱状態と、日常生活は送れるものの気分が落ち込んでいる状態では、脳波はどのように違ったのでしょうか?

鬱の症状が強いと、脳波の反応が小さいという特徴を発見しました。脳波というのは、脳における情報処理の過程を反映するという特徴があります。

例えば、一つの実験として、写真を画面に出して、脳波を計測しました。鬱症状が軽い人は、脳波が大きく波を打つのに対し、重症度が上がる程、波が小さくなったり、遅くなったりすることが分かりました。

何か提示されたものに対して、反応を早くするためには、注意を向けなくてはなりません。それが出来ていないから、反応も遅いし、振幅も小さくなったのかと思います。

鬱という状態が、元気がなく、エネルギーがない状態と考えると、実験で判明した反応にも納得ができます。

―――鬱と脳波の関係について、研究を進める上で、障壁や今後の課題はありますか?

課題の一つは脳波が、日常生活で測定しづらい点です。現在、脳波の測定には、髪に専用のジェルを塗って、電極を装着して行っていますが、日常生活でそれを毎回出来るかと言われたら、難しいかと思います。

多くの研究者が、額に絆創膏みたいなものを貼り、スマートフォンにデータを送信して、計測する形には出来るように応用化を進めています。血圧を測るような手軽さで、脳波を測れるよ未来は将来実現できるはずです。

「好き」を続けて、脳の形を変えていく。それが鬱の予防になる。


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―――元々の研究は、エキスパートの脳活動に関するものがメインだとお聞きしました。学習や熟練の脳のメカニズムの観点から、エキスパートになるにはどうしたら良いのでしょうか?

心理学や認知科学において、エキスパートになるために必要なことは、「集中して、努力して、練習したことが一番身につく」と言われています。*

「好きこそ物の上手なれ」という諺にあるように、好きが故に、集中して、繰り返しやってしまうから、上達します。そういう状態が、一番実力を伸ばすので、エキスパートになるための近道です。

集中すると、頭の中の前頭葉という場所が活発になるのですが、鬱になると、その部分の動きが鈍くなるので、それが学習を妨げる要因になるのではないか、と予想しています。

また、集中して、何度も繰り返してトレーニングすると、脳内の関連する部分が大きくなります。実際にあった実験では、カーナビがなかった時代にタクシードライバーの試験に合格した人は、途中で諦めた人と比べて、空間認知を司どる海馬が大きく発達していました。*

逆に言うと、鬱症状の場合、不安な思考を繰り返すので、不安になりやすい扁桃体が発達していきます。* その部分の発達を抑えるために、医療では、電気刺激や投薬をする、もしくはマインドフルネスによって、脳活動の抑制を図ります。

悪いことを繰り返し考えることも、一種のトレーニングです。病気もそうですが、何かをすることによって、脳は形を変えていき、精神も変わっていくということが見えてきました。

参照:岡本真彦『熟達化とメタ認知ー認知発達的観点からー
参照:八木透、向井利春、大西秀憲『前頭葉脳活動計測とその応用
参照:Eleanor A MaguireKatherine WoollettHugo J Spiers『ロンドンのタクシー運転手とバス運転手:構造MRIと神経心理学的分析
参照:北里大学『扁桃体外側基底核の機能結合が恐怖記憶の形成促進に特異的に関わることを発見-ストレス関連精神障害の発症メカニズムの解明および予防に役立つ可能性-


―――そんな風に脳は変わっていくんですね。接する人や環境によっても、脳の形は変わっていきますか?

例えば接客業のように、お客さんがどんなことを考え、何を求めているかを察することも、素人には難しい技術です。そうしたことを瞬時に出来るようになっているのは、脳の特定の部分が発達しているということなので仕事を通して繰り返し行ってきたことによるスキルの賜物といえますね。

また私は仕事によって、性格も変わっていくんじゃないかと予測しているんです。

鬱とは少し話が変わりますが、「天職」という考え方に関しても、その人に合う仕事があるというよりは、繰り返し続けていくうちに性格が変わっていって、天職になるのではないかと思います。

―――興味深いですね。では、「合わないことでも我慢して続けていく」ことと、「好きなこと、楽しいことを選択していく」ことは、どちらも脳の形を変化させると思うのですが、どちらが脳にとって良いことだと思いますか?

結論からお伝えすると、自分の気持ちに素直に生きた方が良いと思います。

「楽しい」とか「辛い」という感情は、全て脳の価値判断です。「楽しい」とか「面白い」と感じると、脳はそれを良いことだと判断し、より集中しようと考えます。

一方で、「辛い」と感じると、脳が対象の行為を自分にとって悪いと判断します。結果として対象になる行動を避けたり、離れようとします―そして最終的には強いストレスを感じ、鬱に繋がっていくというメカニズムです。

同じことをやっても、嫌々ながらやるとストレスに繋がり、楽しく一生懸命やると学習として身についていきます。

別の視点から考えると、「好きなことを見つける」という行為は、鬱病の予防に繋がっていくはずです。
好きなことを一生懸命やっているうちに、鬱が治っているという方法を確立できたら良いなと考えている所です。

気持ちはポジティブに、身体には余白を。自分も相手も受け入れる社会へ。


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―――脳科学的な観点から、鬱にならないために私達が日頃から出来る予防策として、何かアドバイスはありますか?

ストレスを溜めないこと、自己肯定感を下げるようなことをしないことです。ポジティブに自信を持って生きることが一番です。

失敗しても、自分を責めるのではなく、次に生かすための学習教材となったと、ポジティブに捉えてください。何かあった時に、見方を変え、ポジティブに受け取ることを心がけてほしいですね。

―――例えば、何も辛いことがなくても、身体的な疲れから気持ちが沈んでしまうこともあるかと思うのですが、そういった場合はどうしたら良いですか?

身体的な疲労には休息、生活の中で余白が必要です。記憶を整理したり、次の活動に向けての準備をするには睡眠が欠かせません。

休まなければ、いくらポジティブに考えようとしても、脳が物理的に弱ってしまいます。休養や規則正しい生活というのが、必要になってきます。

―――ありがとうございます。今後、ご自身の研究での目標や展望を教えてください。

鬱や精神疾患はいまや社会問題になっていますから、医療を中心に研究が進んでいます。その領域は医師や心理士に任せるとして、私は日常生活を対象とした鬱に関する研究を進めていきたいですね。

日々の生活の中で、気軽に額や手首に機械をつけて脳波を測り、それに基づき行動指針をアドバイス出来るようなシステムを作っていきたいですし、数年後には実現できると思っています。

責任感が強く、なかなか休みたいと言えない人も、体温計のように鬱波のデータを客観的に可視化できれば、休みやすくなるのではないかと思います。

こういうデバイスを作って、人々の生活に余白を作るきっかけを作りたい、というのが、私の目標です。

―――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

日常生活が送れていたとしても、少しでも気分が沈んでいる日が続けば、確実に脳に影響は及ぼしています。

そういった時にはきちんと休息を取り、気持ちというのは身体と繋がっていることを覚えていてほしいです。

職場などでも、辛いと思ったら休める雰囲気が大切ですし、自分だけでなく、他人のアラートにも気づける寛容さが社会に必要だと思っています。

自分も受け入れてもらえる環境、自分も相手を受け入れる環境の双方が大切です。

一人一人のこうした心がけが、社会を少しずつ変えていってくれると信じています。

新井那知
ライター
So-gúd編集部
新井 那知
埼玉県・熊谷市出身。渋谷の某ITベンチャーに就職後、2016年にフリーランスライターとして独立。独立後は、アパレル、音楽媒体、求人媒体、専門誌での取材やコラム作成を担当する。海外で実績を積むために訪れたニューヨークで、なぜかカレー屋を開店することに—-帰国後は、クライアントワークを通してライターとして日々取材や編集、執筆を担当する。料理と犬、最近目覚めたカポエイラが好き(足技の特訓中)。
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