「プランニング」の本質は、未来への希望を組織化すること。
2024.06.12

「プランニング」の本質は、未来への希望を組織化すること。


「知識は大切だが、それを実践に結びつけることがプランニングの重要な役割だ」

清泉女子大学地球市民学科の鈴木直喜教授が注目するのは、プランニングという学問分野です。

伝統的な学問は知識を築き発展させることを追求してきたが、その知見を具体的な実践へと橋渡しする領域は必ずしも十分ではありませんでした。

紛争地エチオピアで支援活動を行うとき、政治・経済・文化の理解があっても、それだけでは被災者を幸せにする実践につながらない。

ここにプランニングの出番がある。

プランニングは学問の知見を踏まえつつ、現場での様々な課題に対処し、効果的な実践へと導いていく役割を担う。

既存の学問の枠を超えて、知識と実践の間に立つ「繋げる学問」としてのプランニングの可能性を力強く説く鈴木直喜教授のインタビュー。

鈴木 直喜
インタビュイー
鈴木 直喜氏
清泉女子大学 地球市民学科
教授


「知識が本当に人間の豊かさに繋がっているのか」と疑問から始まった研究


清泉女子大学 取材イメージ画像
―――まずは、研究概要と研究テーマについて教えてください。

私は、知識と実践がどのように関係し合うのかを研究する「プランニング」の分野に長年携わってきました。

プランニングとは、子どもに自転車の乗り方を教える例えでいえば、物理学の知識では自転車に実際に乗れるようにはならず、子どもが怖がらずに挑戦できるようにする実践的なサポートが必要になることを示します。

この分野に携わるきっかけとなったのは、1980年代にエチオピアで起きた大飢饉でした。

当時、冷戦下にあった欧米諸国は、高度な知識を持つ先進国と見なされていましたが、実際にはエチオピアでは100万人以上の人々が飢餓で命を落としていました。

この現実を目の当たりにし、私は「知識が本当に人間の豊かさに繋がっているのか」と疑問を持つようになったのです。

そこで、この問題の根源を探るため、アメリカに留学してプランニングを学びました。

私は10歳の時に起きた出来事が原因で、元々学業が嫌いでした。

雨の日、カタツムリが家の塀を這っているのを見かけ、テストでその場所を尋ねられて「へい」と答えたところ、大きな×を付けられてしまったのです。「正解」は教科書に示されている「はっぱ」だったのです。 この経験から、学校に対する嫌悪感を抱くようになりました。

しかし、後に同僚から「カタツムリは雨の日には塀に付着したカルシウムを食べに来るから、塀にいる」と教えられ、答えは現場にあると気づかされます。 この出来事から、現場での実践的な経験の重要性を学びました。

清泉女子大学 取材用写真
―――先生がプランニングを学ばれたきっかけである、エチオピアでの経験について、教えてください。アフリカでの経験から市民社会計画論に何を学びましたか?

当時のエチオピアは内戦状態にあり、政府側と反政府ゲリラ側がそれぞれ東西陣営から支援を受けながら対立していました。

私が現地に赴任したのは、この緊急状態が終焉を迎えつつあった時期であり、緊急支援から復興支援に移行する過渡期にありましたが、支援活動は容易ではありませんでした。

私が代表として駐在したプロジェクトサイトは、政府側と反政府ゲリラ側の中間に位置していたのです。 両陣営は、飢饉に苦しむ住民が生活する地域の制圧を巡って争っていたため、中立的立場の支援団体は望ましくありませんでした。

エチオピア政府は、外国の支援団体が紛争地での飢餓状況を国際世論に訴えられることを強く警戒しており、私たちは常に政府との間で緊張関係にありました。

やがてプロジェクトサイトは反政府ゲリラに占拠され、政府軍の空爆を受けてしまいます。

私たちは首都に避難を余儀なくされましたが、自らのプロジェクトサイトが空爆の的となったことに衝撃を受けました。

この経験から、支援活動は現場での食料配給などのミクロな視点だけでなく、国際政治的な大局的な視点が不可欠であることを学びました。

現場で起きている出来事が、実は大きな国際関係の文脈に組み込まれているということをきちんと認識する必要があるのです。

自分たちの活動が、武器産業など特定の利害に加担させられかねないということも思い知らされました。

知識があるから、実践が必ずしも善意的なものになるわけではありません。知識は、しばしば利己的な目的に活用されてしまうこともあるのです。

そこで私は、「知識と実践をどう結びつけるか」という問題意識を持つに至りました。

単に知識を持つことに意味があるのではなく、どのような目的で知識を活用するのかが重要だと考えるようになりました。

経済的な合理性と社会的な合理性の間には緊張関係があり、プランニングではそこに目を向ける必要があると気づいたのです。

プランニングの根底にある「同じ川には二度と入れない」という概念


清泉女子大学 取材用写真
―――プランニングとは具体的にどのような学問ですか?その学問を通じてどのような影響を望んでいますか?

清泉女子大学 取材用写真 引用:Friedmann, John. 1987. Planning in the Public Domain: From Knowledge to Action. Princeton University Press.

これは、様々な伝統的学問の系譜がどのように実践と関係しているかを示した図です。

系譜を大きく二つに分けると、政府が適切な統治をするための知見を提供する社会改革の伝統と、市民が自分たちの考えを社会へ反映させるための様々な試みから築かれた社会運動の伝統になります。
社会改革の系譜には政策科学、システム分析、制度経済学などがあり、社会運動の系譜には、歴史唯物論、フランクフルト学派、社会的学習などがあります。

ヘラクレイトスは紀元前400年頃の古代ギリシアの哲学者で、「同じ川には二度と入れない」と述べました。 つまり、川は常に流れており、その形や構造は一定ではなく、絶えず変化し続けているということです。

しかし、川の形が変わらないように見えるのは、その中を流れる水の動きのパターンが同じだからです。
水の流れそのものは変わらずに続いているため、構造に変化がないように見えているにすぎません。

ヘラクレイトスはこの言葉を通じて、物事には不変の構造があるのではなく、行動やプロセスそのものがが重要だと説いたとされています。

このヘラクレイトス的な伝統は、プランニングの考え方にも通底しています。

プランニングは単に「プラン(計画)」を立てるのではなく、様々な関係者と対話を重ね、プロセスの中で変化や可能性を見出していく営みなのです。

プランニングは特定の単一の専門分野ではなく、実践を中心に様々な学問分野の知見を活用する学際的な領域です。
経済学、政治学、社会学、教育学、組織論などの幅広い分野が関係してきます。

実践の中から、どのような思考が語られているかを読み解き、様々な学問の視点から分析することがプランニングの手法なのです。

例えば、中高生の英語学習を取り上げた場合、建前として世界と繋がるための道具であったり、情報収集力向上があったりしますが、生徒が実際に直面している学習理由は受験が大きいわけです。プランニングの視点からは「なぜその目的のために英語を学ぶのか」と問うてみます。
つまり、実践の背後にある本当の目的や動機を探ることが重要なのです。

さらに私は、プランニングにおいて「情報」と「知識」を明確に区別することが重要だと感じています。

一般に人々は情報と知識を混同しがちですが、プランニングではそれらを厳密に分ける必要があります。

「情報」は、理に適ってなかったり、情報源の信頼性が定かでないものも含まれるため、玉石混淆です。

「知識」の構築には、理に適っているか、経験に照らし合わせても妥当か、情報源が信頼に足るか、といった分析と判断が重要条件になります。玉石混淆の「情報」から、峻別された「知識」だからこそ実践の指針となり得るのです。

問題は、人々が情報を十分に吟味せずに、それを盲目的に知識とし、実践してしまうことにあります。

プランニングでは、情報を無批判に受け入れるのではなく、それを知識へと高める過程、つまり認識論的プロセスが重要視されるのです。

そして、知識を実際に活用する際には、さらに「知恵(ウィズダム)」が求められます。
例えば核兵器開発への知識活用は、人類にとって賢明であったか、倫理的な知恵が問われるでしょう。

現代社会では、情報が溢れすぎているため、疑わしい情報を知識として受け入れてしまう危険が増しているように感じます。さらには知恵を働かせることなく知識を短絡的な利益のために活用することによる危険も増しているのではないでしょうか。
気候変動問題が深刻化しているにもかかわらず、有効な対策が講じられないことからも、そうした傾向がうかがえます。

このような状況下で、プランニングの立場からは、いかにして構造的な社会問題に取り組み、実践できるかが問われています。変革は容易ではないかもしれませんが、真に知恵があれば道は拓けるはずです。
プランニングとは、そうした知恵を発揮し、望ましい未来社会を実現するための指針を提示する営みなのです。

―――プランニングにおいて、最も重要視すべき点は何でしょうか?

プランニングでは、市場の合理性(経済的合理性)と社会的合理性の2つの側面を考慮し、その緊張関係の中で合理性を追求することが重要視されています。
合理性を問う際には、目的設定が極めて重要です。

例えばエチオピアの内戦のように、武器産業などが紛争の継続から利益を得ている場合があり、その産業に携わる人々にとっては経済的に「合理的」かもしれません。
しかし、社会的視点に立てば、そういった紛争の継続は決して望ましいことではありません。

このように、経済的合理性と社会的合理性は常に緊張関係にあり、プランニングではその調整が課題となります。
今後は、さらにグローバルな視点での「公共性」が重要になってくると思います。

伝統的に「公共性」は国家内での概念でしたが、地球温暖化問題などグローバル課題が顕在化する中で、国家を超えたグローバルな公共性が問われるようになってきました。

しかし、国家の合理性とグローバルな合理性は必ずしも一致しません。

例えば、防衛(軍備)は国家にとって公共財ですが、グローバル視点からは公共悪にすぎません。この乖離をどう乗り越えるかが、社会的合理性を追求する上での大きな課題になるでしょう。

また、プランニングでは時間軸の違いも考慮する必要があります。

一般的に市場の合理性は比較的短期的なリターンを求める一方で、社会的合理性の実現には長い年月を要する場合があります。

例えば、教育の成果が出るまでには10年、20年と長期的なスパンが必要です。
さらに、数十年の電力発電活動から生じる核のゴミは10万年の未来まで影響を与えます。今を生きている人たちの生産活動が、これから生まれてくる未来の世代の環境を蝕むことをどう考えるのか。世代間での合理性に大きな乖離があります。
グローバルな課題や世代間で生じる課題に取り組むためには、短期的利益よりも長期的な社会的リターンを追求できる発想の転換が求められます。

私は、「プランニングとは未来への希望を組織化すること」と考えていますが、現実にそれを実現するのは容易ではありません。

しかしながら、地球温暖化や紛争など、グローバル社会の課題に立ち向かうためには、様々な学問分野の知を結集し、長期的視点でプランニングを行う必要があります。

それが、経済的合理性を踏まえつつも国家から地球規模への広がりと、現在から未来の時代を含めた長期的視点での社会的合理性を実現し、それが持続可能な社会に繋がっていくと考えています。

人間関係における「力」を構成する3つの要素

清泉女子大学 取材用写真 ―――プランニングを実社会にて行う際に、注意しなければいけない点や課題はありますか?

プランニングでは、社会における「力」の存在を重視します。
「力」とは、ある主体が他者に影響を与えられる能力を指し、この「力」の行使には3つの条件があります。

第一には、影響を与える側が、相手側が持っていないものを持っていることです。
第二には、相手側がそれを欲しがっていることであり、第三には、相手側がそれを与える側からしか手に入れられないということです。

この3つの条件が満たされた時に初めて、「力」の行使が可能になります。

金銭的な富が「力」の源泉と一般的には考えられてきましたが、現代社会では情報や知識が重要な「力」の源となってきました。

情報や知識を開示・共有することで、社会や人々の力関係が大きく変化する可能性があります。

例えば、情報開示を求める市民運動は、国家などの権力機関に対して力関係を変えられる可能性を理解しています。
市民が政府の内部情報を入手できれば、政府は市民に行使できる力を失う可能性があるためです。

反対に、政府が情報をコントロールし、国民から隠蔽すれば、政府の「力」を維持できます。このように、情報や知識をめぐる主導権が、力関係に大きな影響を及ぼすのです。

そのため、プランニングでは、このような社会の力関係を明らかにすることが、変革を促す重要な視点となっています。

情報や知識の開示と活用を通じて、既存の力関係を変容させることが可能になります。

―――プランニングに関し、鈴木先生が個人的に実践していることがあれば、教えてください。

プランニングの根底にあるのは、「実践してなんぼ」という考え方です。
知識や理論は重要ですが、最終的には実際に実践し、行動に移すことが何より大切なのです。

しかし実践への一歩を踏み出すことは、勇気や不安が伴うこともあります。
そこで教育学者ジョン・デューイの言葉「Learning by doing」(体験によって学ぶ)が示すように、学ぶことは体験することだ、という姿勢が重要になります。

個人の日常生活の中でも、様々な行動の可能性があります。
例えば、歩行者用信号に赤が灯っている見晴らしの良い狭い道路で、明らかに車が来なければ安全だと判断して渡ることがあります。判断して行動することが盲目的にルールに従うより重要であるという意志表示でもあります。

模倣好きな小さな子どもたちがいないことを確認しつつですが、この行為は、大人に対して「なぜあなたは渡ってはいけないと思うのか」と問いかけ機会になるでしょう。日常生活の小さな行為でも、社会の規範や構造へ問いを投げかける機会になります。

プランニングでは、こうした問いかけや実践を通じて、社会の在り方そのものに働きかけていくことが目指されています。
知識だけでなく実践という行為そのものが、社会を変革する原動力になり得るのです。

ルールや規範に疑問を投げかけ、新たな視点から実践を重ねることで、徐々にではあれ、社会の在り方自体を更新していくことができます。

ユニークな存在で、多様な選択肢を持ち、柔軟に生きてほしい


清泉女子大学 取材用写真
―――鈴木先生のお話から、実際に実践し、行動することの大切さがよく分かりました。実際の社会では安易に行動してはいけないという風潮を感じることもあります。プランニングに関する将来的な展望を聞かせてください。

私は、日本の小中学校教育に対しては、冒頭でお話しした個人的に辛い経験があるので問題を感じています。儒教の倫理観に基づいた協調性や責任感を育む側面が根底にあるのは理解できますが、一方で、それが結果として画一的教育を助長し、個性を軽んじることになっていないでしょうか。

複合的な要因で受験競争が激化している日本では、それに勝ち抜く手法として詰め込み教育が実施されてきました。これが画一的教育に拍車をかけていることは言うまでもありません。小中高と12年間、受験を意識した詰め込み教育を受けてきた生徒たちに、個性や主体性の大切さを訴えても、説得力がありません。偏差値を重要価値基準とする規範が生徒たちを「ソーシャライズ」してきたのですから。

私が20年以上にわたり大学教員を務める中で体感したのは、学生たちが「先生の考える正解を探り当てる」ことに熱心で、自由な考えを述べたり教師に質問や疑問を投げかけることがほとんどないことでした。12年間の小中高教育の影響は大きすぎます。

そこで私は、極論ですが、子どもたちにこのような「教育」を受けさせるなら、学校に通わず、そのような「勉強」はしない方がましだとも感じてしまいます。

受験競争に勝つことを目的した教育実践が今後も継続すれば、画一的教育が維持され、残念ながら個性ある人々を協調欠如と問題視し、ひきこもりや自殺などの問題を引き起こしてしまう危険性がさらに高まると感じるのです。

一方で、そこから「はみ出した人々」は、自由な思考と生き方を手にする個性を失っていない人たちであるとも言えます。

競争する必要のない「希少言語の習得」や「自身の好きな領域の追求」など、他者と比較できない独自の価値観を貫き、社会の常識にとらわれない生き方を実践して、いろいろな生き方があることを具現してほしいです。

プランニングの「体験による学び」が目指す、個人が自由な実践を行うことで、新しい生き方や社会の在り方を切り拓いていけるはずだと強く思います。

これからの時代においては、知恵とオリジナリティを磨くことがますます重要になってくると感じています。

従来の日本社会では年長者の言葉を無批判に受け入れる雰囲気がありましたが、そうした価値観に縛られるべきではありません。

私は日頃、学生に対して一方的な知識の押し付けをせず、質問を投げかけて自らの考えを引き出す方法を採用しています。
例えば「学生のAという考え方に対して、Bという見方はどうか」といった具合に、多角的な視点から物事を捉えられるよう働きかけるのです。

また、知識を身につけるだけでなく、実際の体験から学ぶ機会を重視しています。

私が学生を連れてアフリカへ赴いた際は、危険がない限り学生に全てを任せ、失敗を許容します。

例えば航空券の購入にあたり、乗り継ぎ時間が短くて、乗り継げない可能性があっても、あえてアドバイスはせず、その体験から学んでもらうようにしています。

学生自身が考え、体験することで、本当の学びが得られると考えています。

失敗を恐れずにチャレンジできる環境を提供し、そこから自らの知恵を引き出せるようにサポートすることが必要です。

これからの社会は、既存の価値観や構造から「外れた存在」が増えることが重要です。

例えば、大統領を補佐する重要ポストには、権力者に対して「それは違うのではないか」と正面から意見できる人物を置くといいます。

組織においても同様で、安定志向に流されるのではなく、既存の価値観や体制に疑問を呈し、新しい視点や変革をもたらす「異質な人材」を積極的に登用していく必要があります。企業でいえば、自社のスタッフよりも優れた人材を引き抜いてくることが重視されるようです。

社会が健全に機能するためには、既存の構造から「外れた存在」、「異質な価値観を持つ人々」が一定数存在し、これまでの常識に風穴を開けていく役割が求められるのです。

そうした「社会不適合者」が、新しい発想を生み出す原動力となり得るというわけです。

社会の多様性と持続的発展を実現するためには、こうした異質な価値観を許容し、むしろ積極的に受け入れていく姿勢が不可欠になってくると思います。

―――最後に、読者の皆様にメッセージをお願いします!

読者の皆様の中には、社会で働いてみて、このままでは自分の人生が行き詰まってしまうのではないかと不安に思っている方もいるかもしれません。そういった思いがあるなら、今がちょうど良いタイミングです。

今の社会では終身雇用制度がほとんどなくなり、30代や40代でも新しいことを学び直して、職業を変更することが十分に可能です。現在の仕事に見切りをつけて、新しい道に挑戦することをお勧めします。

具体的には、1年や2年の間、仕事を離れて旅をしたり、大学院に行ったりするのも良いでしょう。
また、青年海外協力隊に参加して、現地の生活や言葉を学ぶというのも面白い選択肢です。

2年間そうした経験をすれば、新しいネットワークも広がり、原資も得られると思います。

それを元手に海外の大学院に進学するなど、次のキャリアを展開する良い機会になるはずです。

最低1年から2年くらいの期間を区切って、環境を変えてみることで、人生が大きく変わると思います。

様々な国の人々と触れ合えば、ガシガシと働かずとも生きていける人生があることに気づけるかもしれません。
そうすれば、日本だけでなく、別の場所でも生きていける選択肢があると実感できます。

一か所の拠り所しかなければ、そこで失敗したら人生が終わってしまうと感じてしまいますが、複数の選択肢があれば、リスクが分散されます。

さらに、いくつかの組織・場所で働いたり活動したりすれば、アイデンティティも複数持てます。そうすれば、一つの組織・場所で失敗したとしても、他のアイデンティティーがまだあります。その結果、失敗を恐れずに自由に思うことを言えるようになります。

そういった多様な選択肢を持ち、柔軟に生きていける人が増えることを願っています。

一番大切なのは、自分がユニークな存在であることです。皆さんには、他の人と違った興味や趣味、特徴があるはずです。

日本では、残念ながら今でも大学受験などで、偏差値が重視されますが、入学時の偏差値などは一時的なものに過ぎません。偏差値などに捉われず、個性を自由に発揮できるようになってください。

私の所属する地球市民学科では、そうした体験の機会を提供しています。

ぜひ皆さんには、この機会を活用して、自身の個性を発見し、成長していってほしいと思います。

予想に反する出来事に遭遇することを恐れず、かえってそれを楽しんでください。もはや「失敗」は、失敗でなく新たな発見と学びなのです。

新井那知
ライター
So-gúd編集部
新井 那知
埼玉県・熊谷市出身。渋谷の某ITベンチャーに就職後、2016年にフリーランスライターとして独立。独立後は、アパレル、音楽媒体、求人媒体、専門誌での取材やコラム作成を担当する。海外で実績を積むために訪れたニューヨークで、なぜかカレー屋を開店することに—-帰国後は、クライアントワークを通してライターとして日々取材や編集、執筆を担当する。料理と犬、最近目覚めたカポエイラが好き(足技の特訓中)。
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