テレイグジスタンス技術によって「満員の通勤電車」や「深夜労働」や「介護離職」が 消滅する日がやってくる!?
2024.07.18

テレイグジスタンス技術によって「満員の通勤電車」や「深夜労働」や「介護離職」が 消滅する日がやってくる!?


「テレイグジスタンス」は、「遠隔臨場制御」と呼ばれる通り、遠隔地にいるロボットの感覚情報を操縦者に高い臨場感で提示し、あたかもロボットと一体化したかのような感覚で操縦できる技術のこと。

近年、進歩が目覚ましい「VR(仮想現実)」や「AR(拡張現実)」、「MR(複合現実)」と多くの技術を共有する分野で、大きな成果が期待されている先端技術である。

だが、意外なことに、テレイグジスタンスとバーチャルリアリティの権威として知られている舘暲(たち・すすむ)東京大学名誉教授が世界で初めてこの技術を提唱したのは、1980年のこと。なんと40年以上もの歴史がある研究分野なのだ。

今回、登場していただく大山英明氏は、特定国立研究開発法人(※1)のひとつ、産業技術総合研究所(産総研)において36年の間、テレイグジスタンス研究にたずさわってきたテレイグジスタンス型遠隔作業支援の第一人者である。

テレイグジスタンスは、人類を時間と空間の制約から解放する、画期的な技術なのだという。果たしてこの技術が未来の私たちの社会に、生活に、どんなインパクトを与えてくれるのか?その壮大な話に耳を傾けてみよう。

大山 英明
インタビュイー
大山 英明氏
富山県立大学 工学部情報システム工学科
教授


製造業や医療・福祉の現場作業をガラリと変える可能性


―――2023年4月より富山県立大学に赴任されている大山先生ですが、産総研では1987年以降、36年もの長い間、テレイグジスタンスの研究をされていたそうですね。初期のころにはどんな研究をされていたんですか?

具体例をお示しするのがわかりやすいと思いますので、下の画像で説明しましょう。 これは1989年ごろに撮影された、テレイグジスタンス実験システムの様子です。舘暲先生がリーダーとなって、開発されたシステムで、私もソフトウェア開発に参加しました。右側の赤い人型ロボットを操縦しているスーツ姿の男性は、現在、大阪大学工学部で教授をつとめている前田太郎先生の若き日のお姿です。

富山県立大学 取材用写真
装置の名前は「TELESAR I」といって、人間型ロボットとその移動装置、それから操縦装置から成るロボットシステムをそう呼んでいます。

操縦者は顔全体を覆うヘルメットをかぶっていますが、ヘルメットには液晶ディスプレイが取り付けられていて、ロボットが見ている視界を投影しています。いわゆるヘッドマウントディスプレイですが、現在のヘッドマウントディスプレイに比べると、相当頭でっかちな装置であることがわかります。ディスプレイだけでもかなりの重さになるため、それを支える支持機構もかなりゴツい構造になっていると思います。

しかしヘッドマウントディスプレイのおかげで自分の手のあるところにロボットの手が見え、自分がロボットになりきったような、あるいはロボットのなかに入り込んだような感覚を生じさせることができるのです。

この装置では、積木を積み上げる作業や金属棒を穴に差し込む作業など様々な作業の操縦性の評価を行いました。 すでにごく初期の段階において、テレイグジスタンス技術は、様々な作業を遠隔で行う装置を作り出すことに成功しています。

―――すごいですね!しかし、「装置が大がかりになってしまう」というのがテレイグジスタンス技術の弱点のようです。その後、どのように改善されていったのでしょう?

それでは、次の画像をご覧ください。

富山県立大学 取材用写真
これはバーチャルリアリティ元年(※2)と言われる2016年に販売されたヘッドマウントディスプレイ、Oculus Rift CV1を利用したVRインターフェイスです。ヘッドマウントディスプレイが1980年代後半に開発された「TELESAR I」と比べて画期的にスリムになっているのが一目瞭然だと思います。

なお、舘先生はTELESARの開発を継続され、2020年には、触覚フィードバック機能を持つ「TELESAR VI」を開発されています。富山県立大学の同僚の井上康之講師も研究に参加しています。次の写真は舘先生に提供いただいた、TELESAR VIの操縦の様子です。

富山県立大学 取材用写真
―――現在、先生の研究室ではどのような研究に力を入れておられるのでしょうか?

富山県立大学に着任して2年目で、人と同じようなサイズの人型ロボットが無いのと、まだまだ人型ロボットの普及には時間がかかると考えているので、遠隔地のロボットの代わりに人に作業をやってもらうためのテレイグジスタンス型遠隔作業支援技術の研究に力を入れています。遠隔地にいる専門家が現場にいる作業者に、AR(Augmented Reality、拡張現実、※3)/MR(Mixed Reality、複合現実、※3)表示機能を持つヘッドマウントディスプレイを利用して分かりやすい指示を与え、高度な作業を実現する技術です。

富山県立大学 取材用写真
上の画像は現場の作業者が装着するデバイスですが、2016年から3年後の2019年11月、マイクロソフト社が発売した「HoloLens 2」を利用しています。このデバイスは、装着した人の視野にCG図形を重ねて表示することができるAR/MRデバイスです。

富山県立大学 取材用写真
上記の画像は、遠隔地にいる専門家が現場にいる作業者に指示を与え、高度な作業を実現するテレイグジスタンス型遠隔作業支援システムの実験風景です。

右のモニタ画面は、作業者と指示者の視界を示しています。緑色の部分が手の向きや動かし方を指示していて、長方形の罫線は見るべき方向を指示しています。また、両者は音声通話でもつながっていて、作業者は専門家の指示をリアルタイムで受けることができます。

製造業などの現場では、熟練したベテラン作業員の高齢化にともない、技術の継承をどのように行っていくかが課題になっていますが、もし、この技術が実用化されれば、課題解決に一役買ってくれるかもしれません。

インターネットが整っている環境であれば、専門家は地球の裏側からでも現場の作業員を指導できるわけですから。

「HoloLens 2」はヘッドマウントディプレイ(HMD)として、2019年当時は非常に優秀な性能を有していましたが、CG表示可能な範囲が狭く、専門家のCGの手を見失う問題が有り、表示機能を強化しているところです。また、重量が566グラムあり、長時間の装着は難しいです。さらに軽量化すれば軽作業だけでなく、さまざまな現場に活用できる可能性があるので、さまざまなメーカーから発売されている軽量小型のARグラスを用いた試作機の開発を進めています。

富山県立大学 取材用写真
―――製造業のほかに、テレイグジスタンス技術の活用例はありますか?

私たちは、法政大学理工学部の中村壮亮教授の研究室と共同で、遠隔医療に活用する方法も模索しています。以下の画像は、遠隔超音波検査の実験の様子です。

富山県立大学 取材用写真
これは、救急隊員が遠隔地にいる医師とコミュニケーションをとり、患者の超音波画像検査を医師の指導をあおぎながら行う場面を想定しています。

遠隔医療というと、現状では通話と動画による問診に限られるケースが多いですが、このような技術が実用化されれば、現場にいる救急隊員の処置の範囲は画期的に広がると考えています。

時差を利用すれば「深夜労働の削減」を実現できるかも


―――日本でのテレイグジスタンスの研究開発の状況はいかがでしょうか?

内閣府は2020年1月に開催された第48回総合科学技術・イノベーション会議での議論を受けて「ムーンショット計画」を立案しました。

ムーンショットとは、第35代アメリカ大統領のJ.F.ケネディが前代未聞の「アポロ計画」を有言実行したことを意味する言葉です。 少子高齢化、大規模な自然災害、地球温暖化など、現代社会が直面している困難な課題を解決する大型研究プログラムを推進するため、「ムーンショット型研究開発制度」を実施しています。

この制度では、9つの目標を設定していますが、その筆頭に挙げられているのが「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現する」という目標です。

具体的には、「複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることによって、大規模で複雑なタスクを実行するための技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する」とのことです。私は参加していませんが、研究プロジェクトには、優れたテレイグジスタンス研究者が何人も参加しています。

―――「身体、脳、空間、時間の制約から人を解放する」というのは、テレイグジスタンス技術が目指す方向と、ピタリと一致しそうですね?

おっしゃる通りです。なぜならテレイグジスタンスは、ネットワークで人とロボット、人と人とをつなげて、時間的空間的な距離を実質的になくす技術だからです。

現在のテレワークは、電子データを加工して、やり取りする作業に限定されていますが、テレイグジスタンス技術により、体を使って行わなければならない作業もテレワークで行えるようになり、「満員の通勤電車」を利用しなければならない回数を大幅に減らすことができます。

先ほど、製造業の現場で地球の裏側にいる専門家が、現場の作業員を直接指導するケースについてお話しました。

日本とブラジルの時差は、約12時間です。日本の深夜12時は、ブラジル時間の正午12時にあたります。

例えば、24時間ラインの製造工場で深夜の作業をブラジルにいる作業員に任せられる技術があれば、深夜労働の削減を実現することができます。

あるいは、育児や介護などの理由で労働に参加できる時間が限られている人、それから障がい者や高齢者など能力的な面で問題がある人にも、就労機会の幅を広げてくれることになるでしょう。 さらにテレイグジスタンス技術の強みは、ロボットを操縦する際、臨場感をもって直感的に操縦できるので、むずかしい訓練を必要とせずに使いこなすことができます。

―――ありがとうございます。最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

テレイグジスタンスは1980年頃、ロボット学とバーチャルリアリティの権威である舘暲(たち・すすむ)先生が世界で初めて工学的に提案した概念です。同じ時期に人工知能の大家であった故マービン・ミンスキーが、類似の概念であるテレプレゼンスを提案しています。

ただ、そのルーツをさらにたどっていくと、SF作家のロバート・A・ハインラインが1942年に発表した『ウォルドゥ』という短篇小説までさかのぼることができます。当然と思う人も意外と思う人もいると思います。

この小説の主人公は筋無力症の科学者で、重力の弱い地球軌道上で生活しながら、遠隔作業ロボットアームを開発し、立体ディスプレイの前でロボットアームを操って、地上のロボットを操縦し、様々な活動をしているという状況から始まります。

テレイグジスタンスの概念は、館先生らによって科学・工学的に提案される40年近く前から、生まれていたのです。 SFで生まれたアイデアが実用化され、社会に出て、社会を変えるのには、アイデアにもよりますが、かなりの時間がかかります。脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現するという「ムーンショット計画」の研究開発でも、5年程度の研究期間では、目に見えて社会を変えるような成果は出ないかもしれません。でもテレイグジスタンスの研究開発は、長い目で見れば、社会を変える成果を出せると確信しています。

テレイグジスタンスの可能性に多くの人が期待し、支援し続けていただけることを願っています。

《脚注》
※1/特定国立研究開発法人
産業技術総合研究所(産総研)のほかには、理化学研究所(理研)、物質・材料研究機構(物材研)が特定国立研究開発法人として指定されている。

※2/バーチャルリアリティ元年
VR体験をする際、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)が欠かせないアイテムだが、2016年にOculus(現Meta)、HTC、Sonyといったメーカーが当時としては劇的に安価で高性能のHMDを相次いで発売し、VR体験を身近なものにした。

※3/AR(Augmented Reality、拡張現実)/MR(Mixed Reality、複合現実)
ARはAugmented Realityの略で、拡張現実という日本語訳が定着している。カメラ画像にCGを重ねて表示する技術である。MRはMixed Realityの略で、複合現実という日本語訳が定着している。元々は現実(Reality)から、AR、VR(Virtual Reality)までを総称する用語だったが、現実とCGが相互作用するARや没入感のあるARと言った高度のARという意味で用いられることもある。


《参考URL》
富山県立大学の公式HP

産業技術総合研究所(産総研)の公式HP

テレイグジスタンス(株)による館教授のプロフィール。提唱年は1980年とある。

「TELESAR I」の舘研究室(Tachi Laboratory)による説明

「TELESAR VI」のYoutube動画



新井那知
ライター
So-gúd編集部
新井 那知
埼玉県・熊谷市出身。渋谷の某ITベンチャーに就職後、2016年にフリーランスライターとして独立。独立後は、アパレル、音楽媒体、求人媒体、専門誌での取材やコラム作成を担当する。海外で実績を積むために訪れたニューヨークで、なぜかカレー屋を開店することに—-帰国後は、クライアントワークを通してライターとして日々取材や編集、執筆を担当する。料理と犬、最近目覚めたカポエイラが好き(足技の特訓中)。
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