暗黙知や勘を分析して共有する 「感性情報処理」研究のコミュニケーション支援
今回は、熊本県立大学・総合管理学部・総合管理学科・情報専攻の石橋賢准教授に登場してもらい、感性情報学の可能性について語っていただいた。
「感性情報」とは、外界からの刺激に対して、おのおのの個人が心の中に感じる主観的な情報のこと。感性情報がどのように処理されるのかを最先端のコンピュータ技術を用いて分析することで、人間と技術との関係によりよい影響を与えることを目的にしている。
生成AIが人間の感情やコミュニケーション能力に与える影響が注目されている昨今、感性情報学の研究はそうした流れにどう貢献していくのか? 感性情報学がもたらす未来の社会の変化について、 語っていただくことにしよう。
言語は万能のコミュニケーションツールではない!?
―――まずは石橋先生の研究内容について、お教えいただけますか?
はい。感性情報は、私たちの心の中にある、あいまいで抽象的な概念ですが、私たちの研究は、これを人に伝わりやすいようにとらえることでコミュニケーションを円滑にすることを目指しています。
生成AIなどの技術の進歩によって、さまざまな情報ツールが登場していますが、実はコンピュータというのは、感性情報のようなものを扱うのは苦手です。 なぜなら感性情報は、個々の人間の主観的な情報だからです。
その一方で、人間の中には人を感動させる絵画を生み出すアーティストもいれば、多くの人に支持されているインフルエンサーもいます。そのような発信力のある人たちがどのような知識、スキルを使ってそれぞれの主観的な情報を表現しているのかをひもとくことによって、誰もが発信力を手に入れるようにすることが目的なんです。
―――言語化されていない概念を、誰もが納得できるような形で言語化するようなものですか?
もちろん、言語は重要なコミュニケーションツールのひとつです。
ただ、日本人同士が日本語で話すときは問題は起きないけれども、外国語でコミュニケーションをとるときには日本語以外の知識が必要になりますよね。
要するに、言語はコミュニケーションツールとしては万能ではないのです。
文字のケースで考えてみましょう。
同じ文字でも、フォントの違いで「かっこいい」と感じたり、「おもしろそう」と感じたりすることがあります。これは、言語そのものの力だけではなくて、文字の太さや長短といった見た目の印象が大きく影響しているからです。
人に「かっこいい」とか「おもしろそう」と感じさせられるような文字を作るには、フォントの種類の違いや、それぞれの特徴についての知識が必要になります。そこで私たちの研究では、そのような知識のない人でも適切なフォントを簡単に選べるデザイン支援ツールを開発しています。
Edit-Based Font Search | SpringerLink
形状を変化させてリアルタイムにフォントを検索するツール
あいまいで多様な情報をデータサイエンスで科学的に把握
―――感性情報を伝達するにあたって、取りわけ課題になることは何でしょう?
先ほど、コンピュータは感性情報を扱うのが苦手と申しましたが、データサイエンスの手法をうまく使うことで情報の伝達が円滑になることがあります。
情報を伝達するにあたって、どんな知識が必要なのか? どんなスキルが用いられているのか? といった要素を分析する際、膨大な量のデータを取り込み、その中から共通した要素を見つけ出すことができる技術は大いに役立つのです。
味覚を例に挙げて考えてみましょう。
感性情報の中でも、味は味覚以外の五感要素も関係している、マルチモーダル情報です。
これを把握するには、医学的な領域と心理学的な領域を考える必要があります。
まず、医学的な側面から見てみると、舌には五味(酸味・甘味・塩味・旨味・苦味)を感じる受容体があることが知られています。最近の研究では「油脂」を感じる神経が発見されていますので、そうした要素を考慮する必要があります。
心理学的には受容体が受けとって知覚された味覚情報を、人間がどのように解釈して「おいしい」とか「まずい」という味を感じているのかを解き明かす作業になります。
実際、「お茶」と言われて渡された容器に、実は「コーラ」が入っていたとき、それを飲んだ人は混乱して吹きだしてしまうでしょう。
「コーラ」をおいしく感じるのは自然なことなのに、どうしてこういうことが起こるのかというと、私たちが味覚だけでなく、見た目やその場の雰囲気などから味を評価しているからです。
LED発光が透明液にもたらす味覚への影響 (jst.go.jp)
味の異なる溶液に対して異なる光色を当てて味覚への影響を調査
―――コンピュータは、味覚のようなマルチモーダル情報を扱うのに向いているのですね?
その通りです。「おいしい」とか「まずい」と感じる感性は、人によって違いがあります。ただ、その感じ方にどんな要素が関わっているかをデータサイエンスの手法によって知ることで、自分が他人とどんな点がどれだけ違っているのかを科学的に検証することができるのです。その際に、味覚だけではなく、視覚や触覚などを含めて明らかにする必要があります。
「このお酒はこの酒器に入れるとおいしい」という情報があったとして、現時点ではその根拠が「過去の歴史から醸成された文化的なもの」から導き出されたものかもしれません。科学的な手法により、「この酒器に入れるとこんなメカニズム(視覚や触覚によるクロスモーダル効果)でおいしくなる」ということを解明できれば、それをコンピュータの力で理解できるわけです。
あらゆる産業に応用できる「感性情報」研究の成果
―――感性情報処理の研究で得られた知見は、産業界にどのような影響を及ぼすのでしょうか?
感性工学という分野では、顧客の感性の分析を新商品の開発に活かしたり、消費者の購買意欲を高める研究が進められています。
例えば、店舗のディスプレイ。
たくさんの種類の商品を闇雲に並べるのではなく、見た人の感覚に訴える形で選別して並べる手法が開発されています。
また、照明の当て方とか、インテリアの内容など、商品の選別や陳列方法以外のさまざまな要素も影響しているので、それらを複合的に分析していく必要があります。
―――そのほかに感性情報を活かせる分野には、どのようなものがありますか?
その領域は、非常に広いです。
例えば、レントゲンの放射線技師で、普通の人には写せないような部分を一発で撮影するスキルがある人がいたとして、その人がどのようにして機器を扱っているのか、そのスキルはどのような知識、経験から導き出されたものなのかを分析すれば、特殊な人ににしかわからない暗黙知や勘のようなものも明らかにしていけるかもしれません。
3Dプリンタで地域資源のレプリカを制作、質感を評価して印象を調査
情報は、受けとる人によって最良にも最悪にもなる
―――感性情報研究の今後の課題は何でしょう?
最初に私たちの研究が「あいまいで抽象的な感性情報を人に伝わりやすいようにすることでコミュニケーションを円滑化する」ことを目指していると申し上げましたが、これを忘れてはいけないと思っています。
インターネットが普及して、誰もが簡単に情報に触れることができるようになりましたが、それを受けとる人によって最良の情報にもなれば、役に立たない情報にもなり得ます。
例えば、MLBの第一線で活躍している大谷翔平選手の情報は、すぐに集められますが、野球好きの子どもに上手な球の投げ方、打ち方を教えようとするとき、役に立つのは初心者向きの基礎的な練習方法だとか、リトルリーグ強豪チームの監督の情報だったりすることもあるはずです。
そのように誰がその情報を受けとるのか、何のためにその情報を必要としているのかということをよく考慮した上で情報と向き合う必要があります。
そして、個々のニーズに合わせてカスタマイズできる余地をいかに残しておくかということが課題になるでしょう。
―――ありがとうございます。最後に石橋先生の今後の抱負を語っていただけますか?
日常生活に溶け込んで、意識されなくなった行為や意志決定の中にも、日々を楽しくハッピーに過ごすヒントが隠されているように思います。
私たちの研究がそうしたものをより多く発見することで、人々の生活のクオリティを改善していくことに貢献していきたいですね。ひいてはそれが多くの人々が生きやすくなる社会の構築につながってくれればと願っています。
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