化学の目で見る水の不思議:岡山大学研究・松本正和准教授の最前線の研究
地球の表面積の7割は海の多量の水であり、それは97.4%を占めている。その深さは平均すると約3700メートルと言われている。しかし、「地球は水の惑星」だと言われるこの地球が、完成した46億年前にはまだ、地球上に水は存在しなかったとのこと――
ではなぜ、「地球は水の惑星」と呼ばれるほどの水がこのように多量に増えたのだろう?太陽から2.7倍以上遠く離れた境界線と呼ばれる”スノーライン”を超えると、そこには水ではなく大量の氷でできた複数の惑星。それらが地球に影響を与えたであろう理由は諸説あるが、いずれにせよ「氷」から「水」が地球にもたらされたのだ。
そこで今回は、岡山大学・異分野基礎科学研究所理論科学研究室の松本准教授を取材。松本准教授は人間の最も身近にある「水」の性質を、30年近く研究し続けている。
「水」はシンプルで簡単な分子を持ち、少なからず地球の生命には必要不可欠にも関わらず、その性質は、まだまだ謎に包まれている。
そんな「水」について、現在どの程度まで解明されているのか、奥深き水の面白さについて取材を実施した。
異分野基礎科学研究所理論化学研究室
“水という異常”、岡山大学・松本正和准教授が深ぼる水の神秘。
―――まずは、研究概要について教えてください。
私は「水」について研究をしています。ただ、「水の研究」と伝えるととても幅広いイメージを抱かれやすいかと思いますが、私達は、分子シミュレーションを用いて分子レベルで水がどのように振舞っているか(動いているのか)を研究しています。
基本にあるのは一つの水分子で、その水分子が集まり繋がる事でネットワークを作り出します。そのネットワークが作られることで、どのような水の性質が出てくるのかを調べる研究を行っています。
―――水の性質の特徴はどのような性質があるのでしょうか?
水ならではの異常性として、例えば、とても小さくて水素と酸素だけでできたシンプルな分子の割に、融点が高く、常温で液体であることが挙げられます。
同じくらいの大きさの分子では「メタン」、水よりもやや大きな分子の「二酸化炭素」などがありますが、これらは常温で気体です。水分子ぐらいの大きさの分子は、通常なら気体になるのですが、水は分子の引きあう力が強いので、常温で液体になります。
水分子と水分子が強く引き合う力を専門用語で「水素結合」と呼びます。氷の結晶も水素結合で作られます。水素結合で6つの水分子が環を作り、氷の六角形の結晶構造ができてくるわけです。
水分子をつないでできる形は六角形だけではなく、五角形や七角形も作れます。そしてそれらを組みあわせてできるネットワークの組み方もまた多種多様です。私たちは、水がどんな結晶構造を作れるのかも、分子シミュレーションで調べてきました。
―――なるほど!この組み合わせから生成される構造は、無限に生まれてくるのでしょうか?
新しい結晶構造が実験で見つかるたびに、番号が付与されます。冷凍庫の氷は「氷1」と呼ばれています。1900年頃に、水に圧力をかけて凍らせることで、最初の新しい氷「氷2」が発見されました。その後、氷3、氷4、氷5、と次々に発見されて、20世紀の間に「氷12」まで見つかりました。これらはすべて結晶構造が違い、四角形から10角形まで、いろんな環の組みあわせでできています。
21世紀になってからもその数はまだまだ増加しており、今年中に氷20にまで到達するのではと予想しています。
同じ物質でも圧力や温度を変えることで結晶構造が変わることは、ほかの物質でもあることです。また、2種類以上の物質を混ぜれば、もっと多様な結晶構造ができます。それ自体はそこまで珍しくありません。しかし、水は純物質(単一成分の化合物)にも関わらず、20種類もの結晶構造があるのです。
私たちは、分子シミュレーションの利点を生かして、実験に先んじて新しい結晶構造を予想しようと考えています。実際に私たちの研究で予想された新しい氷「プラスチック氷」が実験により実際に作れるかもしれないという話もでてきています。
水分子の形は、酸素と二つの水素でできたとてもシンプルな「への字型」の分子ですが、それがたくさん集まると次々に変な性質を持ち始めます。
例えば、玩具のレゴのような簡単でシンプルな部品でも、組み合わせ方によって何でも作れてしまうように、究極にシンプルな形の「水分子」でも、組み合わせによって究極に複雑なものが作れてしまいます。どこまで複雑化できるかという観点で研究を行っています。
―――興味深いですね…非常にシンプルなのに構築できる構造や世界は無限大というのは面白いですね。
調べ切れていないだけで、水以外の分子でも同じようにいろんな構造があるのかもしれません。ただ、複雑な部品をたくさん集めて複雑な性質が出てくるのは、あまり意外じゃないですよね。とても簡単な部品から複雑な性質が次々にうまれてくるところが、水の一番面白いところです。
―――水の研究をはじめたきっかけはありますか?
もともと私は計算機が好きだったのですが、大学入学とともに違うことをしてみようという思いから化学の道へ踏み込みました。分子シミュレーションを始めたきっかけはここからです。また、教わっていた先生が水の専門家だったこともあり今の研究に繋がっています。
当時はまだ分子シミュレーションがやっと使えるようになった段階で、まだまだ実験と比較できるほどの信頼性はありませんでしたが、最近は分子シミュレーションの信頼性も高まってきました。
計算機のスピードは、1.5年で2倍速になります。30年近く水の研究を行っている間に、計算機のスピードは100万倍近く速くなりました。私が学生だった時は水200分子を計算していた覚えがありますが、今では100万個の分子でもシミュレーションできます。
計算機のスピードが上がることで、いろんな結晶構造を試せるようになり、また一度に計算できる分子の個数が増えたことで、新しい氷の種類がどんどん発見されています。
現実の氷には10^24個(1億の1億倍の1億倍)もの水分子が含まれていますが、シミュレーションで扱えるのは今のところ100万個にすぎません。それでも、1000個の水分子で計算したのでは見付からなかった性質が、100万個で見えてくるということも実際にありました。もっと分子の数を増やしてはじめて見えてくる氷の性質もあるのだと思います。
―――そうなんですね。水をどのように観察されていますか?
雪の結晶が六角形なのはみなさんよくご存じですよね。あの形を見れば、氷の結晶構造の中で、水分子が六角形に並んでいることは想像が付きます。しかし、液体の水の中で、水分子がどんな風になっているのかは、水滴の形を見ただけではまったくわかりません。
顕微鏡で見ればわかるのでは?と思うかもしれませんが、水分子に電子線を当てると分解してしまうので、電子顕微鏡でも見ることはできません。でも、分子シミュレーションなら、液体のなかの水分子の動きをそのままアニメーションにできます。
360度動画です。マウスでぐるぐる回せます。
▲水を分子のスケールで眺めると、水素結合(黄色)でつながった、乱れたネットワークが無限に広がっている。水素結合が切れるとすぐに別の分子とつながり、それが流動性を生む。
水はネットワークを作って繋がっているとお話ししましたが、綺麗な六角形のネットワークではなく、とても乱れたネットワークを作っています。また、ただ適当に動いているわけではなく繋がったままギクシャクと動いていて、時々結合が切れると別の分子と繋がり直すということを繰り返しています。それにより、徐々に分子の場所が変化し流動性がうまれます。
よく観察すると氷のような六角形以外にも、五角形や七角形が存在し、氷に似ている部分とそうでない部分があることもシミュレーションで見ることができます。
最近、水の研究者の間でホットな話題として、水には液体状態が2つあるらしい、と言われています。この2つの液体は水と油のような関係で、水1と水2がお互いに弾き合って二つに分かれるという驚く状況が起こるというのです。
こういった状況を実験で確認するのは大変難しいのですが、分子シミュレーションによって2つの液体の性質を詳しく調べることができます。片方は密度が高くサラサラした流れやすい液体、もう片方は密度が低く流れにくい液体であり、粘度の差は1000倍ほど、密度が1.2倍ほども違います。
水は温度を下げることで体積が縮み4℃で最小になり、4℃以下に冷やすとこんどは膨張し始めます。小学校の理科でも教えているそうですが、実は水でしか起こらない異常中の異常な性質であり、なぜそんなことが起こるのかは諸説ありました。しかし、昨今研究が進む中で、縮んで圧縮し密度の上がる水と、膨張して密度が下がる水の2種類のバランスで、水の異常な膨張が起こることが見えてきました。
圧縮度の違う氷と海が折り重なっている可能性も――
―――現在の水の研究の進行状況について教えてください。
この10年でメタンハイドレートなどの包接水和物(水とガスが凍ってできたた氷)の基礎研究がとても進んでいます。メタンハイドレートの見た目は普通の氷と同じで、重さも透明感もそっくりですが、中に大量のメタンが溶けています。現在のところ日本は脱炭素化を目指しているため活用はされていませんが、エネルギー源として非常に良い素性をもつ物質です。
メタンハイドレートは、深海底の温度圧力条件によって存在することは分かっていますが、取り出す方法がありませんでした。最近では、メタンハイドレートの分解を加速させる、逆に分解しにくくするための基礎的な原理が分子シミュレーションや理論的なアプローチによって解明されつつあります。
―――氷の衛星の表面と内部の実態で判明していることはありますか?
木星や土星の衛星の多くが氷におおわれています。表面は液体窒素なみに冷たいのですが、地球の構造から類推できる通り、中核は温かいようです。そのため、最近では、表面と中核の間に液体の水でできた海があると考えられるようになってきました。
例えば木星の衛星ガニメデの質量の半分は水で、表面の氷(あるいは海)の深さは800 kmもあるといわれています(地球の海は最も深いところでも10 km) 。地球に比べて重力が弱いことを考慮しても、海底の圧力は地球よりもはるかに高いため、地球では存在しない、結晶構造の異なる(水に沈む)氷が生じていると考えられます。
圧力によって結晶構造が変わるという水の性質を考えると、ガニメデの深い海は圧縮度の違う何種類もの氷と海が折り重なってバームクーヘンのようになっていると予想できます。こういった仮説は、地球でさまざまな高圧実験やシミュレーションを行い、水の性質を詳しく調べることではじめて浮かびあがってきます。
太陽系の中で、水は最も大量に存在する固体(一部は液体)の一つです。水のことを知らないと太陽系のことも分かりません。ただ、水はかなり変わった物質なので、実際はまだまだ解明されていないことばかりです。だからこそ、水のみに絞って研究しなければ間違いが生じやすい部分でもあります。
地球以外の生命体に関しては想像のお話にはなりますが、恒星系が一つできるときには必ず水もたくさん生じるでしょうから、どの恒星系にも水は存在すると思います。また、それをきっかけに生物も生まれやすいのではと考えます。
惑星や衛星の内部よりも、表面が何でできているかが生物には重要です。岩石に比べれば水は軽いので、高い確率で表面は水か氷におおわれている可能性があり、水は生命のきっかけとなる物質ではないかと思います。ただ、水以外の要素もあるはずです。例えば、窒素化合物が多ければそれを必要として生活する生物がうまれるかもしれません。
水は発見が多い物質ではあるが、解明されていないことも多い
―――水や氷に関して解明されていないことも多いですが、その原因となる課題は?
化学反応というとA+B→Cのように、分子と分子の1個ずつの掛け合わせで考えることが多いですが、その点で言えば、水のような小さく単純な分子のふるまいにはあまり面白みがありません。水の面白い性質は、水分子がたくさん集まってはじめて生まれてきます。単純な要素をたくさん集めることで、複雑な性質が生まれてくることを、物理のことばで「複雑系」と呼びますが、水はまさにそれにあたります。計算機の性能があがれば、まだまだ新しいことが見えてくるでしょう。
現状、私たちは、ターゲットを水に絞って、分子シミュレーションで深堀りしていますが、他の分子にも同じようにそれぞれの独特な面白い性質があるのだと思います。ただ、水は分子が単純なおかげで、より大規模に、より長時間のシミュレーションができ、ほかの物質よりも一歩先の解析ができます。 あと10年、20年もしたら、もっと速いコンピューターができて、いま私たちが格闘しているような解析を、サクサクとみんなができてしまう日がくるかもしれませんね。
水にはどれほどの変わった性質があるかを網羅しているサイト(https://water.lsbu.ac.uk/water/water_anomalies.html)があります。それによると、水の変な性質は直近で75個発見されているそうです。その中には、すでにしくみが説明されている性質もあれば、未解明の性質もまだ多くあります。また、そこには掲載されていない、私が見つけた変わった性質もあります。未解明の性質をひとつひとつ解明していくうちにまた新しい謎がうまれ、その繰り返しです。
AIにより化学反応が、起きる状態をシミュレーションできる
―――将来的には水の研究はどのように進化・発展を遂げるのでしょうか?
化学反応が関わる分子シミュレーションは非常に時間がかかるため、これまでは多数の水分子が関わる化学反応をシミュレーションで再現することは諦めていました。ところが、AIのニュートラルネットワーク技術を用いることで、計算量を減らして化学反応が起きる状態をシミュレーションできるようになってきているといいます。まだ私は経験していないのですが、近い将来、水の中で、水分子自身が化学反応に関わる複雑なシミュレーションもできるようになるのだと思います。
例えば、酸性度、またはpHによって化学反応がコントロールされる現象があります。水溶液のなかで水分子が分解して、生じた水素イオンが化学反応に関わる場合、水は水溶液のいたるところにあるので、どれが反応するのかを予測することができません。
たくさんの観客の見ている舞台の上で、役者(分子)が別の役者に帽子(水素イオン)を渡す場面を想像してみて下さい。これが通常の化学反応です。観客は反応に関わらないので、反応のしかたは誰の目にも明らかです。
これに対して、水溶液の中の水素イオンの反応は、帽子をかぶった群集がもみあうなかで展開し、誰かが誰かに帽子を渡す状態に例えられます。そういった水の中で起こるとても複雑な状況も、ニュートラルネットワークの技術や計算機性能の向上により、シミュレーションできるようになってくるのだと思います。
常識がいつも成り立つかわからない、だからこそ好奇心を持つことが重要。
―――読者に方にメッセージがあれば。
大学に高校生が見学に来る時、いつも「当たり前だと感じていること」を文章に起こし、最後に「?」を付けるように言います。そうすると、それに疑問が生まれるんですよね。
「ぞうきんを絞れば水がでます。」これを疑問文にしてみて下さい。ぞうきんを絞った時に、なぜ水が出るのか、どうして出るのか、どこに染み込んでいたのか、絞っても水の出ないぞうきんは作れるかなど、そう簡単には説明できないことばかりなはずなんです。実は、まだ答えがない疑問かもしれません。未解決な問題は探してみたらいくらでもあるのではないかと思います。
常識だとみんなが思っていることでも、何かの仮定の上でなんとなく成り立っているだけで、いつも成り立つかどうかは分からないんです。それを、こういった条件なら成り立つけど、こういう時は例外もある、ときちんと分けられるか。
例えば、ある物質を凍らせるとどんな結晶構造になるかという有名な未解決問題があります。水は凍らせることで氷となり、結晶構造が分かりますが、水分子を見ただけでは結晶構造はわかりません。分子を見ただけで結晶構造を予測できるのか、という問いはシンプルですが、その答は今の科学ではまったく歯が立ちません。
高校までは、答がはっきりしていることだけを教わるので、ほとんどのことには答があると考えがちですが、問いは簡単でも、答えがとても難しい問題はたくさんあります。「当たり前」と思わないで深く考えることで、その先に面白いことが見えてくるのだと思います。
ChatGPTは人間の常識を集めてできています。今後は常識についてはAIに聞けば確実でしょうが、常識的ではないところは人間が考えて導きだすことが大切だと考えています。常識にとらわられず、常識を疑い、好奇心を持って様々な物事に向き合ってほしいですね。
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