クリーンな息吹: 空気環境の革新と挑戦
2024.06.05

クリーンな息吹: 空気環境の革新と挑戦


空気は、人間の生命維持に欠かせない存在だ。

空気の品質が損なわれれば、呼吸器系疾患などの健康リスクを高める要因にもなり得る。

工場の作業現場から病院、一般家庭に至るまで、空気中に浮遊するミクロンレベルの微粒子や有害物質は、私たちの健康を脅かしかねない。

さらに新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行により、空気中を漂う微粒子による感染リスクが深刻な問題となった。

こうした空気汚染に対し、工学院大学先進工学部環境化学科の並木則和教授率いる研究チームは、革新的な空気浄化技術の開発に取り組んでいる。

空気清浄技術の最前線に迫るこのインタビューは、現代社会における空気品質の重要性とその改善に向けた先端技術を紹介し、健康と安全の重要性に新たな視点を提供する。

並木 則和
インタビュイー
並木 則和氏
工学院大学 先進工学部環境化学科
教授


確立された従来技術を維持しながら、新しい空気洗浄技術の可能性を追求


工学院大学 取材画像
―――まずは、研究概要や研究テーマについて教えてください。

主に、空気中に含まれる有害な汚染物質を対象とした空気浄化技術に関する研究を行っています。

私は空気浄化において、対象となるのは基本的に空気中に浮かんでいる液体や固体の微粒子、いわゆるエアロゾル、有害なガス状の物質である揮発性有機化合物(VOC)などの有害なガス、そしてウイルスを含む微生物粒子の3つだと考えています。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックで、ウイルスを含む飛沫核による感染の深刻さが改めて認識されました。

従来から、エアロゾルを除去するにはエアフィルターが使われてきています。

一方で、従来からあるガス状物質を除去するための浄化技術には、光触媒や吸着材などの技術が用いられています。

COVID-19の流行前は、日本ではSARSの時のように国内で感染が広がらなかったため、粗大な飛沫による感染対策としてアクリル板を設置するなどの比較的簡易な対応で済んでいました。

しかし、COVID-19はより感染力が強く、微細な飛沫核の感染対策を強化する必要がありました。

空気浄化対策にはコストがかかり、直接的な付加価値の創出には難しい面があります。

そのため、将来のパンデミックにも対応できるように持続可能な空気浄化技術を構築することが重要になったわけです。

―――空気清浄技術の研究における最新の進展は何ですか? 新型コロナウイルスの流行以降、技術の進化や業界内での変化はありましたか?

市販の高性能な空気清浄機は、元々理にかなった浄化の原理を採用していました。
基本的には、ウイルスを含む微粒子を帯電させて、その後フィルターで捕集する技術を採用しています。

この静電気を使う技術は、COVID-19のパンデミックを経て、その有効性が改めて注目されました。

一方、工場での塗装作業など一部の特殊な環境では、溶剤の蒸発によって発生する揮発性有機化合物(VOC)への対策が必要になる場合があります。
発生時のVOCの初期は液滴ですが、蒸発すると気体になります。

しかし、一般的な家庭環境などでは、微粒子とVOCの両方が複合的に関係し合う汚染はあまり起こらず、特殊な工場環境に限られているんです。

一般家庭用と事業者用では、空気清浄機の性能やコストに大きな格差があります。
民間レベルの製品は比較的安価ですが、事業者用は高性能で耐久性に優れ、しっかりとした浄化性能を備えている代わりに高価になるんですよね。

そのため、様々な空気清浄技術はあるものの、その場所の用途に合った適切な技術を選ぶことが重要です。

かつては、一般家庭用の空気清浄機の主な役割は冬季の乾燥時の加湿にあり、加湿を行えばウイルス感染予防に役立つという考え方がありました。
例えば、冬場に加湿をすればインフルエンザにもかかりにくいと言われていたのです。

しかし、実際には湿度のみをコントロールすれば良いわけではなく、技術が進化する中で、空気清浄機の役割は変わってきました。

また、空気浄化対策において、最も重要なことは対象区間内の空気の流れをしっかりと理解し、解析することです。空気清浄機をただ配置するだけでは不十分なのです。

近年、数値流体解析(CFD)により、空間内の空気の流れを高精度にシミュレーションできるようになりました。
実際に、スーパーコンピューター「富岳」を用いた大規模な解析も行われています。
こうした解析を通じて、空気浄化装置の最適な設置場所や、空気の流れをコントロールする手法が検討されています。

空気清浄機自体の性能だけでなく、その設置位置等が浄化効率を大きく左右することが、改めて認識されたといえるでしょう。

これまで経験的に行われてきた空気浄化対策に対し、CFDなどの解析ツールを活用することで、空気の流れを科学的に把握し、合理的な対策を立案できるようになってきました。

空気清浄の分野においても、こうした総合的な最適化アプローチが今後ますます求められていくことになると思います。

工学院大学 取材イメージ画像
―――実際、並木教授の研究室はどのような形で社会に貢献していますか?

かつて日本の半導体産業が盛んな時代は、クリーンルームにおける極限の清浄化技術が重要視されていました。

しかし、その後半導体産業が低迷し、そうした最先端の技術への需要は一時的に減少しました。

一方で、エアフィルターの構造など、従来からの確立された技術については、ある程度の研究は継続されました。
最近になり、企業からフィルター性能の評価依頼が増えるなど、ニーズが再び高まっている状況です。

特に、最近ではナノファイバーと呼ばれる新素材が注目を集めています。
ナノファイバーは理想的な構造ができれば、省エネで高効率なエアフィルターとなる可能性があるのです。
しかし、実際には理想構造を実現するのが難しく、そのための技術的ブレークスルーが求められています。

長年にわたりエアフィルターの研究に携わってきたので、ナノファイバーの理想構造実現に向けた企業からの技術相談は多数寄せられているわけです。

確立された従来の技術を維持しながら、新素材の可能性を追求していきたいと研究を続けています。

過去の最先端技術から一旦離れた分野でも、社会のニーズに応じて再び重要となることがあるので、そうした基盤技術の継続的な研究の重要性を再認識しているわけです。

先進国でも発展途上国でも直面するコストの課題


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―――空気清浄技術は日進月歩で進化し、世の中に浸透していっていると思います。5年後、10年後の将来、この空気清浄技術はどのように進化していると思いますか?

日本は空気の浄化技術が進んだ国ですが、発展途上国では低コストで持続可能な浄化技術が切実に求められています。

電力やエネルギー資源に乏しい発展途上国では、エネルギーを無駄に消費することなく、最低限の空気清浄環境を作り出せる革新的な技術の開発が究極的な目標となるでしょう。

その一つの有力な候補が、先ほどもお話ししたナノファイバーと呼ばれる新素材を用いたフィルターです。
ナノファイバーは微細な繊維の集合体であり、理想的な構造を実現できれば、省エネルギーながら高い捕集効率を発揮できると期待されています。
しかし現状では、エネルギー消費を最小限に抑えつつ、適切な浄化性能を発揮する新技術の開発が重要な課題です。

一方で、先進国においても室内の空気質は人々の健康に大きな影響を及ぼします。
しかし、高性能な浄化対策にはコストがかかるというジレンマに直面しています。

そこで注目されているのが、センサーによる在室検知や外気の汚染状況の監視など、状況に応じて浄化装置を作動させる技術です。
不要な稼働を避けることで、消費エネルギーを最小限に抑えられる可能性があります。

発展途上国で利用可能な低コストかつ省エネルギーの浄化技術の実現が求められる一方で、先進国でも経済的な観点から無駄のない最適な室内環境維持が重要視されています。

空気浄化技術においては、それぞれの場所の事情や用途に合わせた最適なソリューションを見出すことが肝心なのです。

―――今後の空気清浄技術の発展に向けて、最も重要な課題は何でしょうか?

空気浄化技術は様々な物質を除去することができますが、ある種の物質は非常に対応が難しいものがあります。その代表的なものが、工場で発生するオイルミストです。

オイルミストとは、切削加工時に使用される油剤が微粒子化したものです。
切削油剤は金属加工の際に、工具と被削材の間の潤滑や切りくずの排出、加工熱の冷却などの役割を果たします。

初めはフィルターなどでオイルミストを除去できますが、長期間になるとフィルターの目詰まりまたは再飛散をおこすことになり、長期間の安定した捕集が困難になってしまいます。そのため、オイルミストの除去は永遠の課題です。

近年は環境対策から、工場では切削油の代わりに水溶性の作動液(作動油と冷却水の混合液)が使用されるようになっています。

しかし、この場合も水と混ざった複合的な成分のミストを除去するのは極めて難しい問題です。
様々な種類の作動液が使われているため、万能的な長期間の高効率な除去手段を見つけることが非常に大変だという指摘があります。

一般的にオイルミストの除去には静電気を利用した電気集塵機が用いられますが、ミストが長期間蓄積していくと、電極への付着や絶縁不良などの故障の原因となります。

そのため、使用される作動液の種類に合わせて最適な対策を立てる必要がありますが、なかなか解決策を見つけられていない状況が続いている実情です。

綺麗な空気は企業のブランドイメージにも繋がる


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―――日本と海外の空気清浄技術を比較した際、違いや圧倒されている点、逆に日本ならではの強みはあるのでしょうか?

空気清浄機の分野では、民間用(家庭用)と事業用(業務用)で大きな違いがあります。

民間用の空気清浄機は価格競争が激しく、海外ブランドの参入もあり、価格優先になりがちです。
そのため、日本の家電メーカーは積極的な新製品投入は活発に行われていないのが実情です。

一方、事業用の空気清浄機については、日本の企業は高い技術力を持ち、高性能な日本製にこだわっています。
工場などの業務用途では、コストよりも性能が重視されるため、日本製品の評価は高くなっています。
つまり、民間用と事業用のニーズの違いから、製品に求められる性能にギャップが生まれているのです。

国内では支持される日本企業の事業用の空気清浄機ですが、海外ではあまり積極的には販売されていません。

製品の用途が民間用か事業用かによって、求められる性能が全く異なり、それに伴ってコストも大きく変わってきます。

結局のところ、空気清浄機の製品戦略は、民間用か事業用かの用途で明確に区別されているということが認識できます。

―――空気清浄技術が一番求められている場所は、やはり工場や病院なのでしょうか?大きなニーズのある業界や場面を教えてください。

病院については、新型コロナ感染症対策で空気清浄機を導入する機会がありましたが、病院の予算は必ずしも十分ではありません。
補助金が支給されたため購入できた施設も多くありますが、通常予算からの大型投資は難しい状況にあります。

一方、工場などの現場では、空気環境対策は避けて通れない課題となっています。
有害物質の放出により、労働者の健康被害が生じれば、人材確保に支障をきたすためです。
働き方改革の観点からも、快適な労働環境の確保が求められているため、多くの企業は空気浄化対策に注力しています。

この対策は、単なる労働衛生上の配慮にとどまらず、企業のブランドイメージにも大きな影響を及ぼしているわけです。
環境対策が不十分な企業は、就職希望者に見限られかねません。
逆に、しっかりとした対策を講じている企業は、優れた労働環境として高く評価され、人材確保の強みともなり得ます。

汚れた環境で働きたがる人はいません。
工場における空気浄化は付加価値の一つとして認識され、インフラ技術の位置付けとされつつあるのです。

静電気×軟X線で、革新的空気浄化技術の誕生に貢献


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―――並木則和教授のこれまでの研究において、最も誇りに思う成果は何でしたか?

最近は企業からの依頼で研究を行うことが多くなりましたが、自身では大学時代にアメリカへ留学した経験が大きな財産となっています。

留学中の2001年、同時多発テロが発生した直後のできごとでした。
その際、コロナ放電を用いた静電気技術と軟X線を組み合わせた新しい空気浄化技術の研究に取り組みました。

コロナ放電によりで粒子を帯電させ、軟X線の照射によってイオン化された空気と反応させることで、微生物粒子を不活化しつつ微粒子も高効率で除去できる技術を開発したのです。

この技術はアメリカで特許を取得し、学術論文も発表しました。
現在では、その特許はすでに失効していると思いますが、20年以上前の自身にとって最も重要な研究成果の一つとなりました。

テロ後の米国では、炭疽菌(Anthrax)が使用される恐れがあり、そうした微生物テロ対策としても期待がかけられていたのです。

静電気を応用した空気浄化は、研究者としてのキャリアの中で大きな自慢の一つだと感じており、その後の研究の糧となった大切な経験です。

―――最後に、読者の皆様にメッセージをお願いします!

飛沫核感染症のリスクを抑えるためには、空気の換気が何よりも重要です。

人が集まる場所では、少しでも外気と室内空気を入れ替えることをおすすめします。換気を行うだけで、感染リスクは大幅に下がります。

計算上でも示されているように、ある程度の換気があれば、マスクを着用しなくてもリスクは非常に小さくなります。扉を開けるなど、些細な換気対策を心がけるだけで十分な効果が得られるのです。

従来は様々な感染症対策が求められてきましたが、根本的には外気との空気の入れ替えがなされていないことが最大のリスクです。
工場や一般家庭を問わず、室内と室外の空気が完全に遮断されていれば、どのような空間でも危険性が高まります。

そのため、今後はイベントなどの人が集まる場でも、換気にさえ気を付ければ、過剰な空気浄化装置を導入しなくてもリスクは抑えられるでしょう。

以前ほどの厳重な対策は不要で、適切な換気対策さえ行えば、感染症と上手に付き合っていくことができるはずです。

新井那知
ライター
So-gúd編集部
新井 那知
埼玉県・熊谷市出身。渋谷の某ITベンチャーに就職後、2016年にフリーランスライターとして独立。独立後は、アパレル、音楽媒体、求人媒体、専門誌での取材やコラム作成を担当する。海外で実績を積むために訪れたニューヨークで、なぜかカレー屋を開店することに—-帰国後は、クライアントワークを通してライターとして日々取材や編集、執筆を担当する。料理と犬、最近目覚めたカポエイラが好き(足技の特訓中)。
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