教育はどう変わる?メタバース×VRで実現する言語教育の未来
外国語教育の分野で、AIやICTの活用による革新的な取り組みが進んでいます。
言語を超えて異文化間の理解を深め、グローバル化する社会における新しいコミュニケーションのあり方を切り開こうとする試みに昨今注目が集まっているのです。
北海学園大学の杉江聡子准教授は、メタバースやVRなどの先端テクノロジーを教育現場に取り入れ、言語の壁を越えた異文化交流を実践してきました。
本インタビューでは、杉江准教授の挑戦的な研究を中心に、AIとICTが拓く外国語教育の新潮流とその未来について紹介します。
多様性を尊重し合う力は、グローバル社会を生き抜く上で欠かせません。
言語を超えて人々をつなぐ新たな可能性が、先端テクノロジーにはあるのでしょうか。
著書:中国語でPERAPERA北海道(北海道新聞社出版センター, 2017)
杉江聡子.(2023).「ウィズコロナ・アフターコロナの中国語教育-外国語×ICT×専門教育でマルチモーダルなコミュニケーションスキルを伸ばす」『中国21』58, 105-124, 愛知大学現代中国学部編.
「言葉ができる」に特化して、重ねてきた研究
▲VR開発中の様子
―――まずは、研究概要と専門テーマについて教えてください。
私の専門領域は、応用言語学や教育工学という複合領域です。
応用言語学は、言語学の理論や最新の知見を、教育工学は、工学的な理論、手法、モデルなどを教育実践に応用する分野です。
近年では生成AIなどの新しいテクノロジーを教育に取り入れる潮流があります。
私は中国語教育、観光教育、外国語教育、異文化理解教育などをテーマとし、多言語多文化コミュニケーションに関する教育実践を行っています。
AIやICT(情報通信技術)などの新しいテクノロジーを活用して、これらの教育の効果や効率、質の向上を目指しています。
かつて中国語の産業通訳、翻訳、観光ガイドなどの実務をしていたこともあり、大学生だけでなく、社会人を対象とした観光人材育成のための中国語教育にも取り組んでいます。接客サービス業における中華圏からのお客様対応のための企業研修や出張講座も担当してきました。
現在は、メタバースやVRを用いた文化観光や異文化理解教育のためのコンテンツ開発に取り組んでいます。
地域の人々や学生と協力し、地域の魅力や個性的な情報を多言語で発信し、ユーザー間の交流を通じて新しいメディア文化を生み出すような教育・学習を目指しています。
―――そもそも「言葉ができる(言葉の生成)」とはどういうことなのでしょうか?
日本では一般的に「言葉ができる」ということは、外国語、特に英語をネイティブスピーカーのようにペラペラと話せることを指すイメージが強いようです。
日本で外国語教育と言えば、第一に「英語」が想定されているため、「英語がペラペラな人」=「言葉(外国語)ができる人」と考えられがちです。
一方、母語である日本語については、日本人が「日本語ができる」ということを意識する機会は多くありません。
留学生などの外国人の日本語学習者に対しては、「日本語ができる」ことで相手を判断したり評価したりする場合があるかもしれませんが、日本人に対しては意識されにくいと思います。
本来、人間の言語能力については、自然に修得された言語、つまり母語の運用スキルが基盤となります。
新しい文を産み出す力、知っている言葉を新しい場面で適切に使う力、言葉遊びのように新しい言葉を組み合わせて作り出す力などが、「言語ができる」能力なのです。
実は、赤ちゃんは生まれる前から母親のおなかの中で外界の音声をインプットしているのです。
出生直後から5歳ごろまでに、母語の基本構造を理解し、日常会話ができるようになります。
その後も、より複雑な構造、多様な語彙、適切な表現の運用能力が徐々に発達していきます。言語能力の完成に年齢の限界はなく、成人になってからも常に学習すれば伸び続けるものです。
一方、外国語(第二言語)の習得については、「臨界期仮説」があります。
生後からおよそ12~15歳の思春期頃までが、第二言語を習得するのに最も効果的な時期だと言われています。
しかし、この仮説には批判も多く、成人になってからでも十分に第二言語を習得できるという研究事例もあります。私自身も、成人してから中国語を本格的に学習し、通訳の仕事ができるレベルまで修得したので、一つの実証例と言えるかもしれません。
「言葉を作る」ということは、世界をより細分化して弁別する手法の一つです。
世の中のさまざまな現象や状態をより細かく区別し、見分け、感じ分けるのです。
それを何かの記号を媒介にして他者と共有することで、自分一人の主観的な世界ではなく、他者と共通点を持つ間主観的な意味の世界が生まれます。
確かめようがない不確かな世界ですが、同じものや似たものだろうとお互い仮定する世界を分かち合うことになり、このようにして、コミュニケーションが成り立ちます。
つまり、言語(言葉)はコニュニケーションのための手段の一つにすぎません。
実際、人間は言語以外にも、視覚、聴覚、触覚、味覚など、様々なモードを通して世界を感じ取っています。
自分が伝えたい内容を、どのようにすれば相手により良く伝わるか、さらに言えば、どうすればより豊かに世界を共有できるかが重要です。
インプットがマルチモーダルなら、アウトプットもマルチモーダルであって良いはずです。
言語を特別視するのではなく、他のモードと統合して運用することが求められます。
私は、特に外国語教育や異文化理解教育においては、このようなマルチモーダル・コミュニケーション能力に気づき、伸ばしていくことが不可欠だと考えています。
―――コミュニケーションを成立させるためには、言語だけでなく、文化の理解が必要になると思います。異文化間の理解を深めるために重要なポイントは何だと思いますか?
外国語コミュニケーションに限らず、異文化理解教育は、そもそも構成主義的なパラダイム、つまり、人はそれぞれが自分の世界を主観的に構築しているという考えに基づいています。
例えばフィールドワークで建物や人を観察する時、実物を見て、メモやスケッチを取ることがあるでしょう。
それらの記録は、観察した世界の全てを記録しているわけではなく、自分の関心や注目した点のみであり、注目する点は人によって違いがあります。
誰もがそれぞれ無意識のうちに記憶と経験に基づく価値観の「ものさし」を形成しています。
世界を切り取り、読み取る「記号」は誰もが持っていることを意識化して、そのフィールドのリアルを五感で感じようとすることがポイントです。
海外旅行、留学、移住などをすると、価値観のものさしの違いが自然に意識されるため、視野が広がったり、見聞を広めたりできたと感じるのだと思います。
自分の価値観、世界観、常識がどのようなものであり、新しい土地の人々と自分との違いは何か、なぜ自分はそう感じるのかなどを常に意識して、言語化することが重要です。
―――多言語・多文化環境下でのコミュニケーションにおけるAIの役割についてお聞かせください。
カナダ、シンガポールや香港のような多言語・多文化環境が当たり前になっている国や地域では、1種類の言語能力にこだわってコミュニケーションすることは少ないでしょう。
民族や文化や生活習慣や言語が異なれば、スタート地点は「何とか共通点を探れればラッキー、どうにか話が通じればよい」ということになります。
AIは人間のように何かを感じたり悩んだりすることはなく、あくまでも膨大なデータを高速で処理して、問いに対する答えのデータを計算し、生成しているプログラムです。
自分が持っているものやできることを人間が明確に意識した上で、不足している情報や知識、運用が苦手なスキル、アナログで作業すると時間やコストがかかることをAIが処理できるか、どのように処理し、生成された結果は自分のニーズに合うかなどを、教育の過程でも試す機会を持つことが必要です。
学習者やコミュニケーションの当事者として、AIを使って自分の能力を必要な方向や領域へ拡張し、”Augmented Intelligence(拡張能力としてのAI)”と位置づけ、トライ&エラーを繰り返すことで自分流のAIを育てつつ、最終判断や決定は人間が下すように心がけます。
その過程をサポートしてくれるのがAIです。
MicrosoftのAIアシスタントの名前のように、自分の「副操縦士」的存在を育てることが重要です。
AIとICTで教育そのものが変わる
―――AIとICTを用いた教育がもたらす最大の利点は何ですか?
AIや機械学習の裏側で動いている大規模言語モデルには、文章の自動生成、人間の問いかけに対する応答(チャットボット)、多言語への即時翻訳、長文の要約、ユーザーの嗜好に合わせた文章校閲といった機能があります。
これらの機能は、人間の「言葉ができる」能力、言語の知識と運用スキルに相当すると考えられ、生成の速度、正確性、整合性が高いほど、優れたAIプログラムと評価されます。
人間とAIの言語能力には共通点が多い反面、注目される点が異なる面も少なくありません。
AIやICT(情報通信技術)を教育の現場に積極的に取り入れていくことで、日本の教育や学習のあり方は大きく変容するでしょう。
伝統的に、日本の教育では徒弟的な指導関係が基本とされてきました。
教師側は博識で、どんな質問にも答えられるような存在と見なされ、生徒や学生など学習者側は無知の存在と前提とされてきました。
そのため、知識やスキルのある教師側に一方的に教えを請い、同じようにできるようになることが学習の目標とされてきました。
このような関係の下では、教師側が特権的な立場に置かれがちです。
教師は「できる」から偉く優れており、逆に学習者は「できない」からダメで劣っているという価値観が生まれやすくなります。
しかし、AIやICTツールが発達していけば、知識、スキル、それらを扱う能力を誰もが手に入れられるようになれば、一定のレベルまでは教師と学習者が対等の立場に立てるようになる可能性があります。
外国語教育の分野でも、従来は言語コミュニケーションの4技能(読む、書く、話す、聴く)のスキルを持っている人が「言葉ができる人」と評価される傾向がありました。
ネイティブスピーカーのような流暢な発音で話したり、複雑な構文を用いて文章を書いたりできる人は、そうできない人より「優れている人」や「できる人」と見なされてきました。ネイティブスピーカーのようになることが、外国語教育の理想や目標とされてきたのです。
AIやICTを自分の能力を補完・拡張するためのツールとして捉え、適切に活用できるようになれば、どんな学習者も「できる人」に近づくことができます。
そうなると、外国語教育の目標や焦点は、単なる技能習得から、「外国語ができたら、あなたは具体的に何を、どうしたいですか」といった、言語を活かすための個人化、個性化した目的意識へと移行していくでしょう。
テクノロジーを用いて母語と外国語を同程度に運用できるようになろうと学ぶ過程で、母語だけでは気づかなかったような観点や表現の違いにも気づき、新たな価値観や意味を生み出す機会が増えると考えられます。
外国語教育の本来の目標は、知識や運用スキルの向上ではなく、言語を媒介としたコミュニケーション機会の増加、異文化理解の深化、創造性の発揮、「意味と価値を分かち合う」共創の体験にあるのではないでしょうか。
AIやICTの進化が子どもたちの発達段階に、人間よりも直接的に、大きな影響をすぐさま与えるわけではありません。しかし、従来の学習プロセスを変える可能性は大いにあります。
これまでの学習は、知識を身に付ける段階、知識を使える段階、そして実際の生活で活用できる段階と、一方向のステップアップで設計されてきました。
しかし、AIなどのテクノロジーの支援を取り入れて、いきなり実用の段階から学習をスタートしてもよいわけです。
特に外国語学習では、初級の段階で多くの人が脱落してしまい、「自分にはここまでしかできない」と能力の範囲を狭くとらえがちでした。AIの助けを借りれば、そうした制限から解放されることが期待されます。
子どもは大人と異なり、好奇心を持って様々なことに飛びつき、思考が次々と移り変わり、興味のあることに集中して吸収する発達段階にあります。 そういった子どもたちに対して、「今の段階ではまだできない」と制限するのではなく、「やってみようか」「どうやったらできるだろうか」と挑戦できる環境を、テクノロジーが提供してくれるでしょう。
子どもたちの能力を信じ、テクノロジーを自分の手足のように積極的に動かす機会を与えるべきだと考えています。
―――メタバースやVRを使用することで、従来の教育手法と比較してどのような変化がありましたか?
メタバース、VR(仮想現実)、AR(拡張現実)、MR(複合現実)などのXR(クロスリアリティ)技術は、現実世界とデジタル世界を融合させる新しい体験を可能にします。 XR技術を教育に取り入れることで、従来の学習体験を豊かにし、教育の効果や効率を飛躍的に向上させることが期待できます。
XRの最大のメリットは、時間や空間の制約を超えて、リアルな体験に近い学習ができる点です。
例えば、VRを活用すれば、過去の遺跡や古代の風景などを再現し、仮想空間の中を自由に散策できます。ARでは、教科書や展示物にデジタルコンテンツを重ね合わせ、3Dキャラクターと対話することや、360度動画を自在に操作することが可能です。MRは、現実世界にバーチャルオブジェクトを重ね合わせ、リスクの高い実験や手術の実習などができるようになります。
さらに、XRの真価は単なる現実の再現にはありません。
現実を超えた発想で、現実にはあり得ないような面白い空間や体験を創造できることこそが、教育や学習の価値を創造する、大きな可能性です。
学習者自身がそうした空間を企画・開発し、他者と共有・体験するといった活動も可能になります。
従来の外国語教育では、語彙、文法、発音などの知識を習得し、読む、書く、話す、聞くの4技能を訓練することが中心でした。
理想は母語話者並みの運用能力を身に付けること、留学や異文化交流を通じてコミュニケーション能力を高めることでした。
しかし、実際の多言語環境はカオスです。ステップを踏んで学習を進めても、必ずしも理想的な形でコミュニケーションが成立するとは限りません。
外国語を活用して何をどうしたいのか、言語を手段とした学習の目的は何か、を常に自覚し続けることが必要です。
そのためには、単に知識を学び、スキルを練習するだけでなく、積極性や行動力、自文化への理解、感性や価値観の涵養といった総合的な力を養う必要があります。
XRを教育に取り入れることで、現場のカオスを擬似体験でき、総合的な力を効果的に身に付けられるはずです。
▲中国語の方位や場所の表現を学ぶメタバース空間
わかりやすい例では、VRの仮想空間上でアバターを操作し、母語話者らとリアルタイムで会話するロールプレイングが可能です。
言語の壁を超え、お互いの考えや気持ちを伝え合い、意思疎通を図る実践を繰り返します。
失敗してもすぐにやり直せる低リスク環境ですから、失敗を恐れず挑戦し続けられます。
ARやMRで自分の居る現実空間にバーチャル要素を重ね合わせれば、言語で説明しにくい事物を視覚的に共有しながら、共感や共通認識が得られます。
加えて、コロナ禍や紛争、災害等で移動が困難な状況でも、バーチャル空間での国際交流や体験学習が可能になります。対人コミュニケーションが苦手な学習者にも、遠隔から参加できるインクルーシブな学びの場を提供できます。
ただし、現実世界と仮想世界では本質的な違いがあることも認識しなければなりません。無意識のうちに五感を総動員して世界を認識するのと、視覚や聴覚に限定された範囲の情報からそれを推測するのでは、情報量も認知プロセスも異なります。
私たちの日常生活は、すでに現実とバーチャルが混在するハイブリッド状態にあります。教育も、リアルとバーチャルの二元論に留まらず、両者を有機的に組み合わせた新しい体験の創出を目指す必要があるでしょう。
「壮大なごっこ遊び」感覚で、教師も生徒も楽しく学べる
▲VR用の360°写真・動画撮影の様子
―――これまでの教育実績から見て、学生に最も影響を与えた教育内容は何でしたか?
昨年、大学の中国語授業と2年生のゼミナールで、VRやメタバースを活用した学習や、学生によるコンテンツ開発を行いました。
特に、観光教育、地域理解、多文化・多言語コミュニケーションをテーマとしたゼミナールの活動は、学生が成長できる機会になったと感じています。
学生がチームを作り、それぞれのテーマを決め、「東南アジア旅行レポート」「アイヌ文化紹介ギャラリー」「海外の食文化や日本食」について多言語紹介する空間をメタバース上に構築しました。
中でも、アイヌ文化紹介ギャラリーは学生のセンスとこだわりがつまった面白いコンテンツでした。
大学の博物館実習の展示でアイヌ文化について学んだ上で、北海道・白老町にあるウポポイ(民族共生象徴空間)で、アイヌ文化に関するフィールドワークを行いました。
写真や360度写真のスキャンから3Dオブジェクトを作ったり、博物館のジオラマを3Dデータ化してメタバース上に配置したり、体感しながら学べるコンテンツを学生自身が構築したのです。
▲学生作品:アイヌ文化紹介
本当は日本語、英語、中国語など、セミのメンバーの母語や第二言語で多言語ガイドを行うところまでやりたかったのですが、時間の都合で完成に至らなかったのが心残りです。
しかし、同様にICT活用の外国語学習に取り組んだ大阪大学の学生との意見交流会も行い、自己評価だけでなく、別の地域の若者からも評価され、観光コンテンツ作りや人文学の調査手法に基づく新しい学びの価値が感じられたと思います。
中国語教育では、空間を扱う文法や表現の学習にメタバースを利用しました。
二次元で地図を見ながら説明するよりも、「壮大なごっご遊び」として、アバターを自由に動かすタスクを行う方が、時間・空間の制限もなく、学習のポイントにフォーカスでき、理解や習得が早まったと感じます。
ゼミナールのように、教員と学生、さらにその他のアクターとの共同で、コンテンツや教育ゲームの企画・開発を行い、その成果物を広く共有し、真正なユーザーへ届けることで、学習者中心の価値を創り出せると感じています。
バーチャル空間を構築する際には、構成主義的に自分たちが世界の見え方を作っているのだ、という認識が明確になるのです。
現実世界でも同じように、自分自身で世界を捉えて創り上げている、ということを再認識する機会にもなります。
―――デジタル教育ツールの開発において最も挑戦的だった部分はどこですか?
学生にとっては、初めて触るアプリやツールが多く、ツール習熟の時間や、有料ライセンスが必要な場合の費用面のコストがネックでした。
また、開発はどうしても利用するプラットフォームやサービスに依存するので、汎用性は低くなりがちです。
これは、教師が開発する上でも、学習者が利用する上でも同じ問題といえます。
中国語やゼミナールのコンテンツは、「Spatial」というプラットフォームを使ったのですが、サービスの改定やアップデート等によって、それまで利用できていたサービスが使えなくなったり、コンテンツが動作しなくなったりすることもありました。
学校等の教育活動として行う場合、学生主体でモノづくりをするPBL(プロジェクト型学習)になると、興味ややる気のある学生とない学生、課外でも熱心に取り組むほどハマった学生と授業時間だけやればいいと考える学生で、完成品の質の差が少なからず生まれます。
何をどこまで求めるのか、そもそも「教師が求めるゴールを達成し評価されること」=「学習」であってよいのか、教師と学生で一緒に考えながら授業作りをするとはどういうことか、充実した学習の機会や時間とはどういうものか、など考えなければならない課題がたくさんあります。
―――他国とのコラボレーションの経験から得た知見について詳しく教えてください。
教育分野におけるテクノロジーの活用は、アジア諸国、特に中国、台湾、韓国などで急速に進展しています。
小学生でさえ、AIやICTなどの先端技術を使って新しいことにチャレンジし、自らの可能性を広げることに喜びを感じているんです。
各国の政府も、学校や教育活動にテクノロジーを取り入れるために、積極的に予算を投じる姿勢を見せています。
特に印象的だったのが、台湾の小学校で実践されているアートと科学を融合した先進的な教育活動です。
iPadやメタバースなどのテクノロジーを活用し、取り壊されてしまう建築物を3Dスキャンして仮想空間を構築します。
その空間に、子供たち自身が考えて描いた動物やキャラクターを3Dオブジェクト化して配置し、更にはそれらを3Dプリンタで現実のオブジェクトとして出力するのです。
また、台湾とアメリカの小学校の間でメタバース上での音楽フェスなどの交流活動も行われているそうです。
伝統的な水墨画や書道のような分野も、反復して手を動かすことで型を覚え技術を習得するだけでなく、デジタルツールを使った自由な創作を通して、作品を楽しみ、違いを味わい、自分のものにしていく過程が重視されています。
学習デザインの面では、学習者中心のコンテンツ駆動型ですが、子供たちの実態を深く理解した上で実践が行われており、現場での調整には多大な労力が注がれていると予想できます。
一方、日本では一人一台端末のギガスクール環境は整いつつあるものの、知識伝達型の従来の教育パラダイムから脱却できず、子どもたちや若者の感性やニーズを教育・学習に反映させる機会が十分ではありません。
優れた実践事例を共有して教師が自らの文脈に取り入れたり、教師研修や教育現場を支援するための環境づくりが遅れているのが実情で、個人の熱意と努力に委ねられている面が大きいように感じられます。
「面白そう」「やってみよう」の気持ちから、テクノロジーで可能性を広げてほしい
―――教育技術の未来に対して具体的な懸念や希望があれば教えてください。AIやICTを使った教育において、教師の役割も変わっていくのでしょうか?
教育・学習におけるAIやICTなどのテクノロジー活用については、メリットをポジティブに捉えるか、デメリットをネガティブに捉えるか、教員や学習者の認識が二極化する傾向にあります。
AIの急速な進化によりこの二極化は加速していると考えられますが、教員の立場からすれば「難しい」、「できない」といった理由で距離をおいていてはいけません。
現在の児童、生徒、学生たちが生きる将来の社会では、AIが間違いなく使われているでしょう。学習者のニーズや課題解決のために有効な手段や道具として、新たなテクノロジーを試行しながら、積極的に取り入れていく必要があるのです。
新しいツールやプラットフォームの導入には課題も多く存在します。
学生の習熟に時間がかかること、有料ライセンスなどのコスト負担、プラットフォームへの依存による汎用性の欠如など、環境面での課題をどう乗り越えるかが問われます。
また、プラットフォームの更新や移転などによって従来の機能が保持されない可能性もあり、運用しながら随時対応していくことが必要です。
さらに、プロダクト制作型の活動では、教員が求める成果物を目指すだけでは本来の教育の意義を発揮できません。
作品の評価基準をどう設定するか。充実した学びのアウトプットとは何か。教育デザイン全体の見直しが不可欠です。
このように課題は多岐にわたりますが、テクノロジーを活用することで子供たちの可能性が広がるというポジティブな側面は確実に存在します。
教員や保護者を含む学習者の周りにいる人々が、その可能性を信じられるかどうか、積極的にサポートできるかが大きな鍵となります。
従来の教育観や学習観にとらわれず、新しい試みに前向きに取り組む姿勢が求められます。
学生たちには、一定の習熟を経た上で、テクノロジーを使うか使わないか、どのように活用するかを主体的に選択できるようになってほしいと考えています。
お互いの得意分野を活かしながら、共に助け合い、教え合い、学び合うことで、学びの価値や意義をさらに高めていくべきです。
教師の役割は、そうした学びの場を最大限に支援することにあります。
伝統的な知識伝授型の教育は価値が失われつつあり、教師は学習者とともに共創し、競争し合いながらも、協調していく存在に変わらざるを得ません。
教室内では学習者の行動を見守りつつ適切な助言を行い、学校の外に向けては地域住民や保護者などのステークホルダーと連携しながら、総合的に学びを支援するファシリテーターやメンターとしての機能が強化されていくでしょう。
答えのない問いに立ち向かい、思い通りにいかない現実と向き合いながらも、学習者の一人として共に考え、答えを探索し続けるといった、教師の在り方が今後ますます重要になってくると考えられます。
―――最後に読者の皆様にメッセージをお願いします!
AIやICT、VRやメタバースなどの新しいテクノロジーを安直に教育や学習に不向きだと決めつけるべきではありません。
むしろ「面白そう」、「やってみよう」という知的好奇心や挑戦心を大切にすべきではないでしょうか。
テクノロジーを活用することで、自分の持つ主観的な世界観を他者の世界と分かち合うことにもつながります。
▲学生作品:タイの寺院と屋台街の雰囲気
実際に、メタバースを使ったコンテンツ制作を大学生に課したところ、東南アジアへの旅行体験を基に、建物や食べ物、観光スポットなどを3Dオブジェクトとして再現し、簡単な英語の解説を付けて、仮想空間内に配置する作品が生まれました。
現実には存在しない空間を自在に構築でき、多人数が同時にアクセスして自由に移動しながら、体験を共有できるメタバースならではの利点が活かされていました。
博物館にあるアイヌ民族の衣服、住居、ジオラマなどを3Dスキャンしてデータ化し、学生が制作した3Dオブジェクトと共にアイヌ文化の世界を再現する作品も制作されました。
民族衣装を身につけた学生の3Dアバターを配置するなど、創意工夫が凝らされていました。
言語を中心とするレポートやプレゼンテーションとは異なり、視覚的な表現が中心となるこれらのコンテンツ制作を通じて、自分の主観的な世界をどう他者に伝えるかをマルチモードで意識する良い機会となりました。
さらに、留学生を含む他大学のゼミと作品を共有し、相互に評価し合うことで、観光コンテンツ制作や人文学的なフィールド調査という、人文学で大切にすべき学びの意義や価値を実感できたようです。
今後は、ゲーム開発の手法を取り入れたゲーミフィケーションや、学生主体のマルチメディア表現とコンテンツ作りを教育デザインとして継続的に改善していくことで、テクノロジーを活用しつつ、良質な学びのサイクルを循環させる試みが期待されます。
「ごっこ遊び」は学びの原点です。新しいテクノロジーの支援により、学生の創造性を駆り立てるような知識と技能の実践体験を、教育や学習の中に自然に取り入れられるようになっていってほしいです。
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