2024.09.26

生命のリズムを解き明かす:タンパク質科学の新たな地平へ


体内時計という言葉を耳にしたことのある読者は多いのではないだろうか。

24時間、365日、絶え間なく刻まれる生命のリズム。

その仕組みを解き明かす鍵が、意外にも地球最古の生命体の一つに隠されていた。

その一つこそが、シアノバクテリアという微生物から発見された時計タンパク質、「Kaiタンパク質」だ。

この驚くべき分子が、私たち人間の体内時計の謎に新たな光を当てようとしている。

タンパク質科学の最前線で、研究者たちは生命の根源に迫る。

Kaiタンパク質の仕組みを探ることで、人間の体内時計のメカニズムも解明できるかもしれない。

その成果は、不眠に悩む現代人を救い、農作物の収穫量を飛躍的に向上させる可能性を秘めている。

微生物の中に潜む時間の秘密を解きほぐし、私たちは新たな未来へと歩み出す。

体内時計とタンパク質科学の最先端で研究を進める、福井県立大学生物資源学部向山厚准教授へのインタビュー。

向山 厚
インタビュイー
向山 厚氏
福井県立大学 生物資源学部
准教授


多くの人が知る体内時計。実はタンパク質でできている?!


福井県立大学 取材イメージ
―――まずは、研究領域について教えてください。

「体内時計」という言葉をご存じでしょうか?

体内時計とは、生き物が昼夜の環境変化に合わせて自らの体の調子をリズミカルに整えるための仕組みです。

この体内時計がどのようにして時間を測っているのかを解明することが、現在の私の研究の中心テーマとなっています。

福井県立大学 取材用スライド
体内時計の具体例としては、イラストにあるように、人間が朝に目覚めて夜に眠るリズムや、朝顔が朝に花を開いて夕方には閉じるサイクルが挙げられます。

人間や朝顔のサイクルは、地球の自転に伴う24時間に合わせて、生物が自身の活動を調整する仕組みの表れです。

体内時計は、多くの生物に共通して存在する普遍的な仕組みであり、次に紹介する3つの特徴が共通して見られます。

一つ目の特徴は、「およそ24時間のリズムを持った自律的な振動」です。

私たちは地球上に住んでいるため、昼夜の環境変化に応じて体内時計が受動的に動いているように思いがちですが、実際はそうではありません。

生物の体内時計は、外部環境の変化に関わらず、自らのメカニズムで約24時間周期のリズムを刻んでいます。

つまり、体内時計は地球の自転に合わせて自律的に動いているのです。

一般的にはあまり知られていないかもしれませんが、この「自律性」は、体内時計の重要な特徴になります。

二つ目の特徴としては、体内時計は、自らリズムを作り出す一方で、外部環境に合わせてそのリズムを調整できるという、巧妙な仕組みを持っています。

もし、この調整能力がなければ、海外旅行などで時差ボケに苦しみ続けることになってしまうでしょう。

これは、人間だけでなく、他の生き物にも共通する特徴で、この体内時計は、外部からの刺激、特に光によって調整されます。

例えば、時差ボケは、体内時計が新しい環境の時間に合わせられないために起こる現象です。

光は、体内時計をリセットする上で非常に重要な役割を果たし、朝の光を浴びることで、体内時計が「朝」だと認識し、活動モードに切り替わるのです。

すでに多くの健康情報で発信され、広く知られているように、時差ボケを解消するためには、十分な朝の光を浴びることが大切になります。

最後の三つ目の特徴は、体内時計の周期、つまり24時間のリズムが、温度にほとんど左右されないという点です。

日本に暮らす私たちは、夏と冬で気温が20度以上大きく変動する環境に暮らしているにも関わらず、体内時計は一年を通してほぼ24時間周期を刻み続けています。

一般的に、化学反応や生物学的反応は、温度が高くなると反応速度が速まることが知られています。

しかし、体内時計は、反応の一般的な法則から外れており、温度変化に対して非常に安定したリズムを示しているんです。

温度変化に対して安定した反応の現象は、人間だけでなく、植物や微生物など、様々な生物で共通して見られます。

つまり、この性質は、生物進化の過程で普遍的に獲得されたものであると考えられるでしょう。

福井県立大学 取材用スライド
このように体内時計の仕組みを解明することは生物学的に非常に重要な課題であり、その仕組みに焦点を当て、生物がどのようにして時間を認識し、それに基づいてどのようにして生理活動を調整しているのかを明らかにすることが、私の研究のテーマです。

―――体内時計の研究は、どのようなアプローチで行っているんですか?

現在、私は人間や植物の体内時計ではなく、微生物を用いた体内時計の研究に取り組んでいます。

具体的には、「シアノバクテリア」という光合成を行う微生物を研究対象としています。

光合成とは光のエネルギーを利用して酸素を生成するプロセスであるため、光の存在が非常に大切です。

そのため、シアノバクテリアにとっても昼と夜を区別することが重要となります。

「体内」という言葉は、一般的に人間を含む哺乳類のような高等生物を想起させるため、微生物に対して使用するのには少し違和感がありますが、実際には微生物にも体内時計が存在するんです。

これまでの研究から、それぞれの生物種で体内時計を構成する部品(遺伝子やタンパク質)の種類は異なることがわかっていますが、先にお話ししたように、いずれの体内時計も同じ特徴を示すことから、何らかの共通した仕組みがあるのではと考えられています。

私の研究では、体内時計を構成するタンパク質(時計タンパク質)のかたち(構造)やはたらき(機能)を詳しく解析することで、この謎に迫りたいと考えています。

謎を解く鍵は、微生物にあった!体内時計を司るKaiタンパク質の発見


福井県立大学 取材イメージ
―――なぜ体内時計研究において、タンパク質に注目するのでしょうか?

なぜタンパク質に注目するのか、そのきっかけこそシアノバクテリアの体内時計にあります。

シアノバクテリアの体内時計はKaiA、KaiB、KaiCの3種類のタンパク質(これらを総称してKaiタンパク質と呼ばれています)から構成されます。

シアノバクテリアのKaiタンパク質が体内時計研究において画期的である理由は、これら3種類のKaiタンパク質をATP (アデノシン三リン酸)と呼ばれる物質と一緒に混ぜると、試験管の中で24時間周期のリズムが刻まれるからです。

体の中で働く体内時計を試験管の中に再構成することができたこの世紀の大発見は、紛れもなくタンパク質が24時間の時を測っていることを示しています。

すなわち、Kaiタンパク質の構造や機能を調べることで、体内時計がどのようにして時間を刻み、様々な生命現象のタイミングを制御しているのかを詳しく理解することができると言えます。

私自身、シアノバクテリアの体内時計研究を始めたのは、このKaiタンパク質の発見が発表されてからになります。当時、所属していた分子科学研究所の秋山修志教授とそのグループのメンバーとともに、24時間リズムを生み出す源(みなもと)がKaiCたった1種類のタンパク質の中に存在することを突き止めました。

福井県立大学 取材用スライド
―――現在の課題として最も重要なのは何ですか?それに対する研究の進展があれば、教えてください。

体内時計の研究において、シアノバクテリアのKaiタンパク質の発見は画期的でした。

しかし、Kaiタンパク質は、シアノバクテリアや一部の微生物にしか見られず、哺乳類や植物には存在しません。

それにも関わらず、哺乳類などの生物も体内時計を持っているということは、Kaiタンパク質に代わる別のタンパク質が体内時計の機能を担っていることを示唆しています。

現在、多くの研究者が、Kaiタンパク質、特にKaiCに相当する時計タンパク質を他の生物種で見つけるべく、精力的に研究を進めていますが、まだ解明されていません。

構造が似ているタンパク質ならまだしも、構造が異なるタンパク質を探索することは、いわば大海の一滴を探すようなものであり、研究は難航しているのが現状です。

―――未来の展望として、Kaiタンパク質研究によって、どのような応用分野が期待されていますか?

Kaiタンパク質研究で得られる知見は、いまだよくわかっていない他の生物の体内時計の実体を解明するための指針となることが期待されています。

植物の成長や動物の行動など、様々な生命現象は体内時計によって制御されています。

体内時計の仕組みを解明することで、農産物の生育を促進させたり、病気の治療に繋げたりといった、より直接的に私たちの生活に貢献できる研究へと発展できるでしょう。

私は、Kaiタンパク質の研究を通じて、体内時計の理解を深め、最終的には、人々の生活に貢献できるような研究に繋げたいと考えています。

食事で体内時計をコントロール?!まだまだ知らない生体リズムの多様性


福井県立大学 取材イメージ
―――職業柄、昼夜逆転した生活を送られている方も多いと思うのですが、体内に変化は見られるのでしょうか?また、光以外にも体内時計を調整する方法はあるのでしょうか?

「社会的時差ボケ」という言葉があります。これは体内時計のリズムと社会の動きとのズレによって時差ボケのような症状がでることを指します。海外渡航に伴う時差ボケは一時的なものであるのに対し、社会的時差ボケは長期にわたることから、健康に悪影響を及ぼすことはもちろん、パフォーマンスの低下を招くことが報告されています。

また、体内時計の調整方法として、光以外に食事のタイミングが重要な役割を果たし、特に最近では、「時間栄養学」という分野が注目されています。

これは、体内時計の働きを考慮して、栄養を「いつ」取ればよいかを研究するものです。

実際の応用例として、コンビニエンスストアで展開されている商品シリーズがあります。

これは、特定の時間帯に摂取することで体調を整えるのに役立つとされる食品で、パッケージには推奨される摂取タイミングが記載されています。

このように、現在は光だけでなく、栄養という刺激に対して体内時計がどのように反応するかを解明する研究も進められています。

人間の健康と時間の関係性について、興味深い知見が得られつつあり、科学的な研究はこれからも蓄積され続けていくでしょう。

また、病気の発症タイミングに関する研究があります。

例えば、ぜんそくは明け方に発症しやすく、脳出血のリスクは午後7時ごろに最大になるなど、様々な疾患にはそれぞれ特徴的な発症する時間帯があることがわかってきています。

24時間という一日の中で、生体内で起こる現象は実に多様で、それぞれが異なるタイミングで発生します。

このような生体リズムの多様性を考慮すると、私たちの活動や生活リズムを時間に合わせて調整することは、極めて自然なアプローチだと言えるでしょう。

―――タンパク質科学の技術革新が社会に与える影響についてどのように考えていますか?

「タンパク質」という言葉を聞いて、真っ先にイメージするのは栄養素ではないでしょうか。

確かにタンパク質は、炭水化物や脂質などと並ぶ、私たち人間にとって大事な栄養素の一つです。

食を通じてタンパク質を摂取し、また適度な運動を行うことで、筋肉が作り上げられます。

しかし、筋肉だけがタンパク質ではありません。

髪の毛(ケラチン)や皮膚(コラーゲン)もまたタンパク質でできていますし、食べ物を消化するのも、全身に酸素を運ぶのもタンパク質の働きによるものです。ウイルスから身を守る抗体もタンパク質の一種です。

人間の体内には約10万種類ものタンパク質が存在し、これらが私たちの生命活動を支えているんです。

このようなタンパク質の重要性や多様な役割については、一般的にはあまり知られていませんが、タンパク質の機能を詳細に解析することは、生物の仕組みを知る上で必要不可欠であるといえます。

加えて、現在私たち生物が使用している タンパク質の種類は、潜在的可能性のあるごく一部に過ぎません。

そのため、タンパク質科学研究では、自然界に存在しない新しいタンパク質を人工的に創造する試みが進められています。

タンパク質とは20種類のアミノ酸がつながってできたものであり、その組み合わせは無数にあります。

目的にかなう人工タンパク質が作成可能かどうかを、ひとつひとつ実験で調べることは非現実的であり、現在の研究の流れとしては、コンピューター上で仮想的にタンパク質を設計し、実現可能性を計算で検証した後、実験で確認するプロセスが確立されつつあります。

これにより、時間とコストを大幅に削減できるようになるんです。

人工的にタンパク質を作製できるようになれば、医療分野を始めとする様々な領域で革新的な可能性が開けると考えられています。

一例を挙げますと、新型コロナウイルスの感染に対する対策として、ウイルスに強く結合する人工的なタンパク質を設計し、体内への侵入を抑え込むといった試みが報告されています。

タンパク質の設計と製造の幅が広がれば広がるほど、私たちの前には興味深い世界が広がっていくでしょう。新たな治療法の開発や、これまで解決が困難だった問題への対処など、様々な応用が期待できます。

さらに、人工タンパク質の利点として、人間の体内にもともと存在するタンパク質を基にしているという点が挙げられます。

このため、人工タンパク質の使用に伴う二次的な問題や副作用のリスクは、他の人工物質と比較して相対的に低いと考えられるでしょう。

つまり、人工タンパク質技術は、効果的かつ安全な新しいソリューションを提供する可能性を秘めており、今後の科学や医療の発展に大きく貢献することが期待されているんです。

―――これまでの研究で、最も難しさを感じた課題はありましたか?

Kai タンパク質の非常に遅い反応を正確に追跡することがこれまでの研究の中で最も困難な部分の一つでした。

タンパク質の反応の多くは秒や分の時間スケールで進行することが報告されています。

もちろん例外もたくさんあって、例えば、目の中で光を感知するタンパク質の反応は非常に速く、光を感知して最初に見せる変化は、ピコ秒(1秒の1兆分の1)程度の非常に短い時間で起こります。

このような超高速の反応を検出するためには特殊な装置の開発が必要となり、その難しさは一般の方々にとっても想像しやすいでしょう。

それに比べ、体内時計が示す時間スケールは、私たちにとって身近なものであるため、その扱いは簡単だろうと考える人もいますし、私も研究を始める前はそのように考えていました。

しかしながら、いざ研究を始めてみると、一見すると反応がほとんど進行していないように見えるほど非常に遅く、またその変化も非常に微弱なものであることに気づきました。そのため、他のタンパク質研究では必要のない長期間にわたって安定して計測する環境を整備し、実験を極めて丁寧に行う必要に迫られました。

こうして、体内時計研究に深く関わるようになって初めて、遅い反応を研究することの難しさを実感しました。

結論として、反応の速さに関わらず、それぞれに固有の課題があり、その課題を克服した先に大きな発見が待っていることを実感できたことは、私にとって大きな財産です。

時を刻む生命の謎を解き明かせ!


福井県立大学 取材イメージ
―――タンパク質研究において、これから挑戦していきたいことは何ですか?

Kai タンパク質の重要性は、ほぼ疑いのない形で実証されていますが、さらに深く理解すべき点が多くあります。

例えば、Kai タンパク質の特徴として、温度が変化しても反応速度が変わらないという性質が知られています。

一般的なタンパク質の反応では温度が上がると反応速度が速くなるのに対し、Kai タンパク質ではそうならないのはなぜか。

現象としては捉えられていますが、その仕組みはまだ完全には解明されていません。

Kai タンパク質の研究は、「どのようにしてそれを実現しているのか」という本質的な問いに答えるため、今後もさらに深く掘り下げる必要があるでしょう。

また、なぜ他の生物は Kai タンパク質を使用していないのか、といった疑問も生まれてきます。

そのため、私たちは Kai タンパク質の研究をさらに深く掘り下げると同時に、他の生物の体内時計メカニズムにも注目しているんです。

生物間の共通点や相違点を探ることで、体内時計の仕組みをより包括的に理解することを目指しています。

今後は、Kai タンパク質研究を中心としつつ、それを切り口に他の生物の体内時計にもアンテナを張り巡らせ、幅広い視点から研究を進めていきたいです。

―――最後に、読者の皆様にメッセージをお願いします!

タンパク質という言葉は、多くの人が栄養素として認識していますが、その重要性はそれだけにとどまりません。

実際、私たちの体内には非常に多様な種類のタンパク質が存在し、それぞれが極めて重要な役割を果たしているんです。

私は、その中でも特に体内時計に関わるタンパク質の研究に従事していますが、タンパク質全般が私たちの日常生活を様々な形で支えていることは注目に値します。

タンパク質の仕組みを深く理解することは、医療や農業をはじめとする多くの分野に大きな可能性をもたらす潜在力を秘めているでしょう。

多くの人々がタンパク質研究に興味を持ち、その重要性を理解してくださったら、この分野の研究者として非常に嬉しく思います。

新井那知
ライター
So-gúd編集部
新井 那知
埼玉県・熊谷市出身。渋谷の某ITベンチャーに就職後、2016年にフリーランスライターとして独立。独立後は、アパレル、音楽媒体、求人媒体、専門誌での取材やコラム作成を担当する。海外で実績を積むために訪れたニューヨークで、なぜかカレー屋を開店することに—-帰国後は、クライアントワークを通してライターとして日々取材や編集、執筆を担当する。料理と犬、最近目覚めたカポエイラが好き(足技の特訓中)。
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