未来の保育者たちへ: 組織マネジメントの重要性(前編)
企業で働く人にとって組織マネジメントは必要不可欠なもの。しかし、子どもや保護者などを相手とする保育の現場は、非常に小さな組織かつクローズドな世界ゆえに、組織マネジメントは浸透しにくい状況にあった。
そんな保育の現場にも近年、組織マネジメントの重要性が広まりつつあるという。
今回は和洋女子大学こども発達学科の矢藤誠慈郎教授に研究概要を伺いながら、保育の現場の現状についてお話をお伺いした。
保育の現場にも広まり始めた組織マネジメント
―――まずは矢藤教授の研究概要について教えてください。
私は大学院で教育経営学を学ぶ研究室に所属していました。
教育経営学は、教育学の中では新しい学問であまりなじみがない言葉かもしれません。簡単に言うと学校教育を対象とした組織マネジメントを研究する学問です。
私が広島大学大学院の研究室に所属していた頃は、教師の専門性をいかに高めていくかだけでなく、組織として教育をしっかりやっていこうという学校教育の組織論がとても流行っていた時期でもありました。教師1人でパーフェクトを目指すのは難しく、教育にも組織の力が重要であるという考えが広まってきた頃だったのです。
私が1990年代に研究していたのは、公式の組織(部署、役職、責任の所在)ではなく、非公式の部分(コミュニケーション、実際のパワーバランスなど)に焦点を当てたものでした。教師の専門職論やそれに関する組織論によって学校教育の成果を上げていくという考え方で研究を続けていました。
そんな中で私が最初に就職したのが、保育士や幼稚園教諭を養成する学校でした。保育所の実習の担当になり、主な業務としては実習指導、現場訪問を行っていました。働く中でいくつかの現場(保育所や幼稚園)を回り感じたのは、保育所や幼稚園は非常に小さな組織で構成されていることもあり、組織論が注目されてない業界であるということでした。子どもたちの最善の利益のためには、運営組織をしっかりと整えていかなければいけません。
たまたま保育士を養成する大学等の組織である全国保育士養成協議会の様々な研究に関わらせていただくことが多くあり、実働部隊としていろいろな研究に携わりました。特に大きな研究と言えるのが「保育所の評価についての研究」や「保育士資格のあり方に関する研究」です。後者では、保育士は2年で取れる資格ですが、4年制の資格を作れないかなどを研究しました。
この「保育所の評価についての研究」に携わったことで、園内の研修に来てくださいとか、うちの自治体に研修に来てくださいなど現場に直接か関わることが多くなりました。元々私は現場には無縁な研究者だったので、現場と関わる機会が増えてますます組織論が重要だと感じるようになりました。
今も研修やマネジメント、チーム作りなどの依頼も増えています。2017年には『保育の質を高めるチームづくり』(単著、わかば社)という本も出版しました。この本のサブタイトルに「園と保育者の成長を支える」と付けたように、保育者も成長し、組織も成長する、組織が学習して、組織が進化するという考え方をもっともっと現場に伝えていきたいです。もう一方で『保育の質を高めるチームづくり』ができる保育者を育てていかなければならないとも感じています。以上が私の現在の研究や取り組んでいることの概要になります。
―――保育の現場でのリーダーシップやマネジメントの現状についてどのように感じますか?
私は現場からすれば外部の人間ではありますがその立場で見ると、組織マネジメントの重要性が国の考えとしても定着しつつあるように感じます。
例えば、保育者の養成課程の保育者論という科目の中に、組織的な取り組みのことも入れて学生にも学んでもらえるようにしたり、キャリアアップ研修という保育士さんたちのキャリアアップのための研修にもマネジメントという分野が追加されたりしています。
この保育士のキャリアアップ研修にマネジメント分野が追加されたのは大きな変革でした。マネジメント研修の中で、リーダーシップや目標の設定なども学びます。そのため今、現場では「組織マネジメントに目を向けなきゃいけない」という認識が一定程度広がりつつあります。
しかし一方で、マネジメントを学んだものの、現場で活かしきれていない園は多いのではないかとも思っています。ちゃんと活かしている園は、保育が良くなり子どもが育ち、退職率が下がり、園が着実に進化します。この点についてはまだまだ伸びしろがあると見受けられますね。
大切なのは「小さな変革」。保育者のマインドセットを「難しい」から「楽しい」にチェンジ!
―――保育者の成長やチームワークの実現にはどのような要素が必要だと考えますか?
いくつかあると思うのですが、一つは保育者の仕事は感情労働であることを考えていかなければなりません。子どもにも感情があり、保護者にも感情があります。理性だけでは対応できずどうしても感情を働かせながら労働しなければいけません。しかし、感情は見えませんし、扱いにくく厄介なモノです。逆にやりがいになり、仕事の楽しさに繋がる要素もたくさんあるのですが。
他の仕事に比べて、保育者の仕事は目の前の人たちとの感情のやり取りで成立する仕事であるが故に、とても閉じやすい世界だと思います。そこで重要なのは「どうしたらいいかわからない」状況に立たされた時の対処法を、しっかりと学生の頃から具体的、理論的に学ぶことだと思います。
また、私は「保育者の成長やチームワークの実現は難しいモノ」というマインドセットが変革の妨げになっているように感じます。マネジメントの重要性や人材育成の大切さ、子どもに対して主体性や利益を尊重しなきゃいけないのはわかるが、それが難しいという意識が現場に根付いてしまっている人も少なくなく、より良くすることを非常に難しいことだと考えてしまっているのです。
私が現場に研修に行くときは「本当に小さなことで変わるので、ぜひ試してみましょう」という言い方をするようにしています。目指すべき理想や哲学、理論があるけれども、そこに現状からたどり着かせるときに、ゴールだけボンと見せて「これできなきゃ駄目ですよ」というと上手くいきません。
例えば、リーダーシップの話をする時も、職員室に保育士さんが書類持ってきた時に、パソコンから手を離さずに「置いといて」と言うのと、相手にしっかり体を向けて「ありがとう」というようにするだけでも職員室の雰囲気は全く変わります。他にも、子どもに対して立ったまま大きい声で叱っている保育士さんが、すっとしゃがんで子どもの目線になって「どうしたの」と問いかけるようにするだけで保育の質は格段に変わるのです。
このように非常に小さなことでいいんです。むしろ小さなことから取り組んでいく方が現場は変わっていきます。ちょっとした変化を実感できると、だんだんと園内研修などで子どもについて語り合い「こんなことを試してみよう」「こうすると面白いね」など意見が出てくるようにもなります。そうすると組織がぐんぐん進化し始めるんです。
先生たちは忙しさや人材不足など「できない理由」を作ってしまいがちです。だからこそ、最初のひと転がりになる「小さな変革」が必要なんです。
また、園ごとの保育者の成長やチームワークの実現に対する温度差も問題と言えるかもしれません。カリスマみたいな素晴らしい先生たちを慕って集まり、保育について語り、研修も行う熱量のある園の先生たちもいれば、まったくそのような場所に縁のない先生もいらっしゃいます。取り組みたいと漠然と思っているけれども着手できないという園や保育者は多いと思いますね。
―――ありがとうございます。現場で働く保育者さんは大きな変化を求めてしまいがちかもしれませんが、そうではなく子どもたちや保護者とのコミュニケーションや先生同士の関わり方など基本的なところにチームワークの実現の鍵があるということですね。
おっしゃる通りです。
例えば、子どもが積み木遊びをしているのをただ「楽しそう」と見るのではなく「今こんな事を考えながら遊んでいるのかな」と見るようにしたり、トイレのスリッパを揃えていたら「いい子だね」と褒めるだけでなく「他の人も使う事をちゃんと考えて行動できているな」と考えたり、あらゆることを子どもの成長として捉えることが保育者には重要です。
しかし、毎日当たり前に転がっている子どもの小さな成長を実はキャッチできていないということも少なくないと思います。幼児教育や保育において「子どもを理解することが重要である」ということは、先生たちも理屈では知っていますが、つい子どもに自分への理解を求めようとしてしまうということもあるように感じます。
子どもを理解しようとする保育者の姿勢が伝われば、相手(子ども)もちゃんと理解しようとしてくれていると分かり、自分の気持ちや考えを伝えてくれるようになります。そこで初めて、課題は何かを一緒に考えることができるのです。
組織改革論の中にアプリシエイティブ・インクワイアリー(良さの探究)という言葉があります。これは組織にポジティブな変化をもたらすためのアプローチのひとつで、その人のできていないことを直すのではなく、できていることや可能性を見つけてサポートしようという考え方です。
私はこのアプリシエイティブ・インクワイアリーの考え方をとっていて「何をしちゃいけない」ではなく「どうすればいいか」を一緒に考えましょうと伝えています。そして、その人の長所を伸ばした結果、課題だった部分も解決されやすくなります。
保育所や幼稚園でも、先生同士がそれぞれいいところ見つけ合い、一人の良いアクションが少しずつ積み重ねていくことで、組織全体がよくなっていくと思います。こういったアプローチが保育には適していると思います。
保育現場の人材不足は希望の光? リーダーの意識が変わるきっかけに
―――お話を聞いていて保育の現場はクローズドな環境故に、心理的安全性が少ないように感じました。人のやる気が抑制されてしまっているのではないでしょうか?
まさにその通りで、私がリーダー研修を行う時は心理的安全性の部分を基盤として研修を進めています。
意見が出ないとおっしゃるリーダーは、意見が出せる環境を作っていないからです。先生方にはそれぞれ感じていること、考えていることが必ずあります。それが出せるか出せないかは環境次第なのです。いろいろ意見や考えを出せた方が、多様な視点がどんどん集まり、多様な現実に対処できる、よりよい保育環境が生まれると思います。
ちょっと話が変わってしまって申し訳ないのですが、保育実践は正解がわからない営みです。「今、この子にどう関わったらよかったか」という問いの正解はわかりませんし、確かめようもありません。
だからこそ、一人の支配的な意見や園長先生の考える正解ではなく、できるだけいろんな視点から考え試行錯誤をしていくことが重要になります。正解のない現実に、レパートリーやオプションを増やしながら経験を積み重ねていくことで、子どもたちの姿が変わり先生たちもそれを見て成長していくはずです。
―――保育士による虐待など不適切保育がニュースとして取り上げられることもありますが、保育の現場においてこのような不適切保育を防ぐ取り組みは行われているのでしょうか?
人間は弱い存在なので、目標がはっきりせず、研修もない、組織は閉じていて、多忙で、保護者からもクレームが来る……そんな状況の時に一番弱い存在によくないパワーが働いてしまうこともないとは言えません。
そのような状況の時に「してはいけない事」ばかりを挙げると保育者は萎縮するばかりです。「こうするといい」「こうすると楽しい」ことを考え合い、みんなで試行錯誤していくことで不適切保育は起こりにくくなるはずだと私は考えています。保育者を取り巻く環境の改善はもちろん不可欠ですが。
自治体の中にはリーダーの先生を集めて研修を進めているところが多くありますし、最近ではドキュメンテーションといって、子どもの写真を撮影してひと言加えて掲示し、保護者や地域の人々に園の活動を示すなど情報を積極的に発信する園も増えています。このように園の扉を開くような活動も重要だと思います。
まずはリーダーが園の中でしっかりと学び合う機会を作ること、そして外部(保護者や地域や保育者養成校)と繋がるチャンネルを作ることで不適切保育の問題は改善できると思います。
保育者の人材不足は、ある意味では問題ですが「人材育成」や「働きやすい組織作り」を現場のリーダーに意識してもらうにはいい状況だと思っています。みんなが働きやすい環境にしなければ、辞められてしまいますし、人材育成にも目を向けるきっかけになっているように感じますね。
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