教室から社会へ: 社会で通用する言語的思考力を育てる実践的教育とは
2024.07.02

教室から社会へ: 社会で通用する言語的思考力を育てる実践的教育とは


「マルチリテラシーズ」という言葉をご存知だろうか?マルチリテラシーズは、言語・文化の多様性とコミュニケーション媒体の多様性を考慮に入れた概念を指す。

昨今の多様性の尊重やテクノロジーの進化によって加速するグローバル化において、マルチリテラシーズに注目があつまりつつある。

今回は、國學院大學の加納なおみ教授の研究と教育活動を伺いながら、現代社会において求められる「マルチリテラシーズ」の重要性とその未来について探求する。

加納 なおみ
インタビュイー
加納 なおみ氏
國學院大學 教育開発推進機構
教授


「マルチリテラシーズ」とは


國學院大學 取材イメージ画像
―――まず、教授の研究テーマ、研究概要を教えてください。

私は、言語教育では思考力を育てることが最も重要な責務だと考えています。今は、リテラシー教育とバイリンガル教育を組み合わせた「マルチリテラシーズ」の研究に取り組んでいますが、常に注力しているのは、言語教育を通じて生徒さんの思考力を伸ばすことです。「リテラシー」がキーワードで、これは「思考力」を育てるための鍵です。話しことばと書きことばでは3学年相当かそれ以上のレベル差があると言われており、話しことば中心の教育で思考力を伸ばすには限界があります。そこで「書きことば」「ライティング」にずっと注目してきました。

まず、リテラシーの定義からお話しさせてください。「リテラシー」の意味を辞書などで調べると、①「読み書き能力」という定義があり、さらに②「ある分野に関する知識やそれを活用する能力」と説明されています。①は伝統的用法で、「文字を読み書きする能力」として「識字」の意味で使われていた時代が長くありました。昨今では②の用法が目立ち、「〇〇リテラシー」のような複合語で用いられることが多く、例えば「メディアリテラシー」「金融リテラシー」などのように使われています。「マルチリテラシーズ」をシンプルに定義すると、複数言語で読み書きする能力、となりますが、ここで②の意味を踏まえると、「領域ごとに必要とされる知識や力」という点が重要になり、「マルチリテラシーズ」であれば、コミュニケーションの相手がどのような文脈を想定しているのか、また相手がどのような文化的背景を持っているか、などを理解する洞察力が大切になると言えます。同じ文章を読んでも、文化背景が違うと異なる解釈に繋がりますが、同一文化内では文化的に期待されることは教育の中でも繰り返し現れるので、いつの間にか自然に身につくことが多いのです。また「読み書き」という文字に現れる部分だけに注目していると、字面に書かれている内容を表面的に理解するだけにとどまってしまい、その背後にある文化的な期待、前提までには意識が向きません。私は「マルチリテラシーズ」というのは、読み書きを含んで言語化されている内容だけでなく、その言語を使う文化圏のコミュニケーションスタイルにまで意識を向けたものだと考えています。

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―――マルチリテラシーズ教育の重要性を感じたきっかけや経緯を教えてください。

元々、私は日本で外国人に対する日本語教育を行っていました。結婚後、夫の転勤でシンガポールに移り住み、大学院に行ったり、現地の大学やインターナショナルスクールで日本語を教えたりしていました。行く先々で多様な背景を持つ人たちと共に学んだり働いたりしているうちに、「境界を移動する人々」のリテラシーに大変興味を持ちました。「境界」というのは、言語の境界、国の境界・国境というものだけでなく、教育制度の境界やその伝統、そしてそこで育まれる文化というものまでを含んでいます。シンガポールは中華系、マレー系、インド系などからなる多民族国家で、それぞれの民族が母語とする言語はありますが、教育もビジネスも英語が中心です。しかし、日常生活では誰もが複数の言語を使い、非常に柔軟なコミュニケーションをしています。そして、シンガポールは小さな国なので、海外から有能な人材を登用することも多いですし、移民が来る、移民に行く、ということもそう珍しくありません。そのような際、子どもが直面する教育制度の違いだけでなく、プロフェッショナルとして仕事をする際に必要となる読み書き能力はどのように捉えたら良いのだろうか、と疑問を持ちました。お金は、為替の変動による影響は受けても街中の両替所で一瞬にして現地通貨に替えることができます。しかし、個人が努力を積み重ねて身につけたリテラシー能力というものは言語間で簡単に移すことはできない。当時の私は「リテラシー」を伝統的な狭義の読み書きに近い感覚で捉えていたために、そのように考えていました。シンガポールでは英語が学習言語になっているため、国境を越えた人々の移動を容易にしている面があります。一方、発音、文法、語彙など他の多くの言語と重なる要素がほとんどない日本語を母語とする場合、国際移動においてはかなり不利です。

ですが、現実には国境を越えて移動する日本人とその家族は増加しており、私が目の前で教えていた日本人家庭のお子さんたちもそういった存在でした。ちょうど、シンガポールで言語学の大学院プログラムを終えた頃、インターナショナルスクールで国際バカロレア(I B)を教えることになり、日本ではあまり知られていなかったタイプのライティング教育と出会い、とても興味を持ちました。この時、初めて英語圏の思考力を伸ばすライティングの教え方を知り、以降研究するようになりました。英語圏では、ライティング指導の積み重ねを通じて生徒の思考力を伸ばすという考え方があり、国際バカロレアでも、私が一つ目の修士号をとったシカゴ大学大学院でもそういったアプローチが根付いていました。言語力は思考を可視化するための器であり、また、思考力を伸ばすためのツールでもある、という考え方とそのための方法があるのです。

また、思考力もさることながら、多言語環境で高度な読み書き能力を伸ばすということは、生徒も指導者も、言語の奥にある文化や歴史に自然に目を向けることになり、言語間の比較もしやすく、メタ言語力を伸ばすことにも繋がります。この頃から、ライティングやリテラシー全般を伸ばしていくことが言語力を総合的に伸ばし、思考力を伸ばすために非常に重要だと考えるようになりました。

シンガポールに7年ほど住んだ後、一旦東京に戻りましたがその後再び夫の転勤でニューヨークに移り住みました。その前にシカゴ大学の修士課程でライティングや議論の仕方(アーギュメント)について学んでいたので、ニューヨークでは、普遍性のあるライティング教育とはどのようなものか、そこで大切になるものは何か、それを日本の教育の中でどのようにすれば活かしていけるか、などについてコロンビア大学大学院博士課程に進んで研究を続けました。

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ここで少しアメリカのライティング教育についてお話しておきます。アメリカのライティング教育は、ある意味日本の塾のような存在だと理解するとわかりやすい面があります。進学の鍵を握る存在であり、親の経済力が反映される部分だと考えられているからです。ライティング教育は英語圏では「思考力を伸ばすツール」なので、ライティングを通じて生徒の思考力を伸ばす方法が確立しています。例えば英語で“revise”と言われる加筆修正作業を見ると、日本語でいう「推敲」とかなり異なります。「推敲」は元来、「最適の字句や表現を求めて文章を練り上げる」という意味で使われることが多いですが、reviseする、というと論理構造を見直し、読み手にわかりやすい構成に修正することが主眼だと言えます。こうなると、辞書を引いて文字や表現を直すだけでは足りないため、修正に向けた教師からの具体的な助言や、学生が書き直す時間も教育の中に組み込む必要があります。ライティング教育をきちんとしようとするとかなりのリソースを必要とするのは確かですが、それだけに身につけた言語的思考力は様々な可能性を広げていくのです。

「トランス・ランゲージング」との出会い


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さて、移り住んだニューヨークでは、多くの日本人の駐在員家庭が暮らしており、我が家を含めて学齢期のお子さんを持つご家族もたくさんいました。アメリカには広い国土に全日制の日本人学校は私立を含めても数校ですので、ニューヨーク在住のお子さんたちは平日はアメリカの現地校に通って英語でアメリカのカリキュラムに沿って勉強し、週末は日本人補習校に通うパターンが一般的です。こう聞くと、「アメリカに住めば誰でも英語と日本語が自然にできるようになっていいなあ」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、実際にはそんなに単純ではありません。小学校低学年であればどちらの学校でもそれほど複雑な課題はやっていませんが、抽象思考が重要になる小学校後半から中学校、高校と進むにつれ、2言語で学年相当の学力、言語力を身につけていくのは簡単なことではありません。言語が異なるだけでも大変なのに、内容も2つの国のカリキュラムに沿って全く違うことを学び、しかも学校での授業の進め方もかなり異なっています。アメリカの現地校では、学区のレベルが高いほど、小学校からライティング教育に力を入れており、中学生ともなると英語での読書量は相当なもので、そのうえで高度な論証型のレポートを書いています。これを英語のバックグラウンドがない日本人生徒が現地校で求められるレベルでやるのは相当厳しいことです。ですが、アメリカの教育制度の中で生きていくのであれば、言語力をライティングの力で証明していくことが求められます。これが思考力の判断材料として大きな役割を占めているからです。

ここで、日本に帰国するお子さん、あるいは複数の国を移動しながら教育を受けるお子さんに目を移すと、学習言語を変えながら、内容的にも繋がりの弱いことを学んでいく負担を考えざるを得ません。日本での帰国生の受け入れについては長い年月を経て多くの制度が整備されてはきました。ですが、学習言語が例えば英語から日本語に変わる事は、言語が変わるというだけではなく、言語の背景にある文化理解まで求められるわけで、まだ10代の子供たちには非常に大変です。また、先ほど述べた通り、アメリカに住めば自動的に高い英語力が身につくわけではなく、特にライティング力となると長期にわたる本人の地道な努力が必要なのは、日本人がしっかりとした日本語の読み書き能力を身につける場合を考えてもおわかり頂けると思います。しかし、日本では英語圏からの帰国生は日本語力よりも英語力の高さを示すことが重視されており、アメリカに残るわけではない日本人生徒にも高い英語力が求められる、という側面もあります。

これまでお話ししたとおり、日本語と英語という言語の違い、ライティング教育の考え方や制度の役割、そして受験という現実的な側面などを踏まえて、学齢期の日本人の生徒さんたちをサポートするために、コロンビアの大学院時代に研究仲間と共に英語ライティングのクラスを立ち上げました。そうした中で、「マルチリテラシーズ」育成につながる「トランス・ランゲージング」研究を始めたわけです。

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―――ありがとうごさます。「トランス・ランゲ―ジング」はあまり知られてない概念だと思いますが、どのような概念なのでしょうか?

複数の言語を使う人たちの場合、一つの言語で全てを表現したり説明したりするのではなく、他に知っている言語が自然に混ざってくることがよく知られています。これを単純に、一つの言語が十分にできないから、と解釈するのは早計です。より豊かな表現のために持てる言語のレパートリーを自由に使う、という面が大いにあるからです。一方で、複数の言語を知っている場合、考えを深めていく際には、一番強い言語を使ったほうが効率が良く自然だ、ということも言えます。外国語を使う際には誰もが経験することです。私が博士論文執筆時から研究している「トランス・ランゲージング」のエッセンスはこのような点にあります。

「トランス・ランゲージング」は、英語圏では10年ほど前から注目されていて、日本でも最近興味を持ってくださる方が増えてきました。「トランス・ランゲージング」とは、日本語や英語など、言語を個別に捉えて分けて使うのではなく、個人の言語レパートリーの全てを自在に用いて、目的や状況に応じて柔軟に使う、マルチリンガルの日常的な言葉の使い方を意味します。

個人の言語レパートリーは、常に育ち、拡張していきます。そして使わななければ錆びつき、忘れてしまうこともあるでしょう……このように言語レパートリーは、その人自身がどんな場所で生きたか、どういう人とコミュニケーションしてきたかなど、その人自身の生きた歴史が反映されるもので、常に変化し、一点に固定されることはありません。先ほどお話した帰国生の例でも、若くしてあちこちに移動し、異なる環境で学び、いろいろな活動に関わるうちに、多様な背景の人たちと巡り合い、いろいろな言語レパートリーを増やしていき、コミュニケーションスタイルにも広がりが出てくるわけです。使える言語のレパートリーは、その人の生きた歴史を反映したものといえます。

國學院大學 取材解説スライド
「マルチリンガル」に対する概念としては「モノリンガル」、つまり、1つの言語のみで暮らしている人達の存在が挙げられますが、実は「トランス・ランゲージング」は、モノリンガルでも行っています。例えば、標準語や方言、敬語など日本人母語話者同士でも完全に同じ言語レパートリーを共有しているわけではありません。一見、単一言語(日本語)でしかコミュニケーションしていない人たちでも、様々なバリエーションを相手がわかるようにうまく使いこなしているのです。このように「トランス・ランゲージング」は、バイリンガルやマルチリンガルに限ったことではなく、誰でも気が付かないうちにやっているコミュニケーション手段なのです。

―――「トランス・ランゲ―ジング」はなぜ注目されるようになったのでしょうか?

「トランス・ランゲージング(TL)」が注目され始めたのは、2011年以降で、実際にGoogleの検索数も2011年以降に急激に増加しています。

國學院大學 取材解説スライド
「トランス・ランゲージング」の研究が爆発的に増加した背景の一つに、「マルチリンガル」に対する価値づけの変化があります。20世紀までは、母語話者(一言語だけを繰るモノリンガル)が模範で、母語話者は言語を完璧に使いこなしているから、その言語を学ぶ学習者もそれを目指そうとしていたと言えます。しかしこの「母語話者規範」つまり、モノリンガルのネイティブスピーカーをモデルとし、それを目標とする、という考え方にはいろいろ問題がありました。その最大の問題は、この世界ではモノリンガルよりマルチリンガルの方が多い、それなのにモノリンガルを標準とする、という考え方です。よく日本ではバイリンガルを、「2つの言語をそれぞれネイティブレベルで使える人」と考えるようですが、読み書き能力を含んでそのようにバランスの取れたバイリンガルはごく一部です。なぜかというと、私たちの言語能力は、使うことによって伸びていくので、生活の中で2つの言語を全く同じように使う人、というのはほとんどいないからです。一つの言語は家でだけ使い、もう一つの言語は学校だけで使う、このような言語の使い方をしている人は世界中に大勢います。先ほどから何度か触れている海外で育つ日本人のお子さんたちの多くもそういうケースが多いわけです。ですが、もしモノリンガルの母語話者が手本だとしたら、マルチリンガルはいつまで経ってもモノリンガルのレベルに追いつかない、劣った存在として見られることにもつながってしまいます。でも、世界には複数の言語を使用して生活しているマルチリンガル(バイリンガルを含む)の方が、モノリンガルより多いのが実態ですから、その状態を当たり前のこととして受け入れ、そこを基点に、教育の方法にもそれを活かしていこう、という考え方に変わってきたのです。トランス・ランゲージングはそのような潮流の中で広がり、この動きを後押しする考え方として受け入れられるようになっていきました。

目標言語(例えば英語)の力が足りないから母語(現地語)を使うのは止むを得ない現実的な選択だ、という論調の研究も過去にはありましたが、21世紀に入ってからは、グローバリゼーションと、インターネットなどテクノロジーの飛躍的な進歩の影響で、人や情報の国境を超えた移動が劇的に増加した結果、マルチリンガルの人々の言語生活が可視化されることが増え、多言語生活をしている人は珍しくなく、特に都市部ではむしろ普通なのだとみる動きが世界的に加速しました。
そして、それにより、母語話者(モノリンガル)モデルを信奉する、という考え方に対する疑念がますます強まり、さまざまな言語教育に影響を与えていると言えます。

また、「トランス・ランゲージング(TL)」は、言語だけではなく、モード(話す、聞く、読む、書く、など)の部分も切り替えて、全てを使ってコミュニケーションするマルチモーダルなコミュニケーションをとらえる概念です。わかりやすい例を挙げると私たちが普段LINEで行っているコミュニケーションがまさにマルチモーダルなコミュニケーションにあたります。

國學院大學 取材解説スライド
この図のように、日本語であればひらがやカタカナ、漢字、ローマ字、数字など文字種を混ぜて使います。また写真や音楽、動画を送りあったり、電話で直接話したりすることもあるでしょう。文字を使う部分は「読む・書く」モード、電話であれば「話す・聞く」モード、動画や写真、音楽を使った場合は「視る・聴く」モードなどが自然に入り混じり、私たちはそれら複数のモード間を自在に行き来しながら日常のコミュニケーションを行っています。そして、全ての行為に「考える」という認知活動が関わってきます。

外国語の授業では、リスニングならリスニング、という「聴く」モードに集中する活動が続くこともよくあると思いますが、実際の生活の中では、情報を聞きながら書きとる、書いたメモを見ながら話す、など同時進行で複数のモードを使ったり、一つのモードが次のモードの準備として続いていく、という使い方の方が普通です。実生活では、一つのモードだけでコミュニケーションが終始する、ということはほぼありません。なので、「全ての言語レパートリーを多様なモードで自在に柔軟に使う」ことを前提とする「トランス・ランゲージング」は、現代人のコミュニケーションを分析するのに適した概念だと言えます。

言語教育現場と実社会をつなぐには


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―――教室と実社会との間の断絶をどう埋めるべきだと考えますか?

私の授業では以前から複数のモードを使いながら言語能力を総合的に伸ばしていく「技能統合」という方法を重視しています。ライティングの力を伸ばしたいならリーディングも必要であり、読解力を高めるためには自分一人で読むより、討論による意見交換が効果的です。なので、話す・聴くという力も重要になります。社会に出て仕事をするときなどまさに言語はこのように統合的に使われるので、教室の中にいる時間を現実社会から切り離したものとせず、外の世界に地続きで繋がる言語使用を自然にさせるよう、授業を組み立てています。

そして、そのためには、「協働学習」が重要な役割を果たします。先生の話を受け身で聞き、内容理解をテストでチェックされる、という状況は社会に出たら基本的には起こらないわけですから、実践的な言語の力を伸ばすには、できるだけ実社会の環境を教室で再現することが欠かせません。協働学習ではグループで学ぶことが多いため、お互いの関係性や距離を調整しながら質問しあったり、交渉したり、教えあったり、という互恵的で双方向性のある行為が中心になり、そこではコミュニケーション上のストラテジーや配慮というものが不可欠になります。学生には「言葉の知識」を教えるのではなく、「実際に使えるストラテジー」を安心して試し、練習する場を提供することが必要です。

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―――世界各国のリテラシー教育と比較して、日本に特有の課題は何ですか?

P I S Aという広く知られた国際学力テストでは、日本は総体的に良い結果を示していると考えられていますが、「読解力」の結果には実は「ライティング」問題の課題が潜んでいます。これが解決したらさらに良い成果が見込めるでしょう。「読解力」の問題には記述を求める問題も含まれており、日本の生徒の弱点の一つは、自由記述式解答です。これについては文科省も「説明など内容的に不十分な解答が多い」傾向を認めています。しかし、そもそも白紙回答率が高い、つまり自由記述問題については回答を全く避けている、という問題も見られました。P I S Aは西欧式の出題スタイルが主流だという批判がありますが、これに対応できる力は重要です。なぜかというと、西欧式スタイルに多い、回答に制約のない「オープンエンド型の質問」に自力で答える力こそ、「深い思考力」だと言えるからです。日本の国語の授業では、記述問題と言ってもなんらかのヒントや制約があり、完全に「オープン」な質問はほとんどありません。そこではやはり一つの正解が求められています。しかし、本来の「オープンエンド型」質問には答える側の力量がそのまま出ます。基本的な問い、選択肢のある問題には答えられるけれど、「自由に答えてください」と言われたらチャレンジすること自体を避ける・・・というのでは社会に出てから通用するでしょうか。

この点は、今回お話してきたように、今の日本人にとって「日本型リテラシー」だけではもはや十分とは言えない、つまり「マルチリテラシーズ」が必要だ、という提言につながると考えています。自由記述において「回答が不十分」ではなく、そもそも回答されていない、白紙の状態が多い、という状況の背後には、記憶を試すような、単純な回答を求めるような問題ばかりやっているせいで少し複雑に見える問題には手もつけない、どこから考えたら良いのかわからない、という問題が潜んでいるのではないかと思います。日頃から説明を伴う意見表明が求められる場面がほとんどない授業に慣れている生徒にとって、そのような設問は心理的にも難度が高いでしょう。10人の生徒が10人とも同じ回答を導く、評価が割れない結果に帰着する質問を日本では「平等」だと考えている節がありますが、これだと「公平」ではないうえに、複雑な認知活動には至りにくいといえます。これでは基本的な知識を確かめるレベルの思考活動にとどまります。

國學院大學 取材解説スライド
ですが、例えば英語圏の高等教育では、全員から同じ答えを引き出しても議論にならないため「あなたはどう考えるのか。それはなぜか。」という質問が基本です。ここでは、複雑な思考を言語化し、説明する言語力が求められます。この図で言えば、「分析・評価」など「高次の思考」が不可欠で、そこから創造的な「自分の意見」の提示に至るわけです。指導側にももちろんそういう思考活動を促す力が求められます。

日本の教育現場でそのような指導があまりないからといって、このような訓練を最初から外国語でやる、というのも別の難しさがあります。日本人にとっては日本語で考えるほうが負担がずっと少ないので、複雑な思考が求められる馴染みのない内容は、日本語でやったほうがやりやすいからです。そもそも母語で経験がないことについては、たとえ翻訳されたとしても、結局「質問の意味がわからない」「相手が求める答えのレベル、説明の具体性がわからない」ということにもなります。私は、このような場面をインターナショナルスクールでも、アメリカの大学院でも何度も見てきたし、自分も経験してきました。日本の教育現場では、知識の多寡を問われることが中心で、一つの正解が求められることが今でも多いようですが、日本人の留学先として多い英語圏や西欧では、「あなたはどう考えるのか」という質問に論拠を示しながら具体的に丁寧に答える能力が重視されます。ここではディスカッションとライティング教育などいわゆる「アクティブ・ラーニング」が基本的なアプローチになりますが、日本の教育方法の主流はまだそのようになってはいません。それゆえ、日本人が海外に出て英語でコミュニケーションする場面に置かれると、言語の違いだけでなく、そもそもコミュニケーションのプロセスの違いに戸惑うことが多いのです。これを乗り越える一番の早道は、まず母語で練習を十分に積むことだと私は考えています。母語でやっていれば発想や内容はわかっているので、それを外国語に転移していけば良く、全てを外国語で最初から学ぶよりやりやすく、効率も良くなります。

白か黒か、という二者択一的な課題ではなく、10人いたら10通りの異なる答えが出てくるような問いを、日本の教育は勇気を持って発する必要があると思います。回答者側に求められるのは、たとえ異なる文化背景をもつ相手に対しても、「なぜそのような思考、結論に至ったか、根拠を丁寧に説明する」力。このような力を育てる努力を日本の言語教育はもっとやっていく必要があると思います。そして、もしこのような力を日本語話者の多くが身につけることができたら、その力を他の言語でのコミュニケーションに自信を持って転移、応用することができ、国際的な議論の場でも日本人が堂々と意見を述べることができるようになると思います。

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「言語教育」は無色透明なものではなく、社会制度内のアジェンダがあります。公教育はそれを実現していく使命があり、「リテラシー」とはその結果生徒に習得されていくものです。例えば、アメリカの大学では「読む」といえば「クリティカル・シンキング」「批判的読解」が最も重要で、「書く」と言えば、「論証型のレポート」で、ここでも「クリティカル・シンキング」が最重要です。そしてこれらの力をつけるため、「明示的」な指導を受けます。なので、大学に入るまでに学生たちは「質の高いレポート」と「質の低いレポート」の違いを学び、良いレポートとして「演繹型(結論を先に述べポイントの説明をする)」で議論を進めることが明示的に指導されているため、「帰納型(先に例や説明をあげそこから結論を導く)」は読み手に負担をかけるので避けるべきだと明示的に指導を受けます。一方、日本の授業ではそのような明示的な指導を受けないので、大学生になってもそうした知識や認識も不足しています。このように、「相手の理解の負担にならない」説明スタイルは、英語だけでなく、ビジネスの世界でも主流となっています。ですが、日本ではこのようなコミュニケーションスタイルが好まれない場もまだあるかもしれません。「マルチリテラシーズ」を考える際には、言語の違いだけでなく、どこで誰を相手にコミュニケーションをするか、コミュニケーションスタイルのレパートリーも広げていくことが大切だと思います。

異なる教育制度のもとで求められている「リテラシー」というのは同一ではないので、ギャップを埋めていく必要があります。「マルチリテラシーズ」の涵養、ということを考えた時、指導側は常にそのことを念頭におく必要があり、「日本語で読み書きができる」「英語でも読み書きができる」というような単純なものではなく、文化圏ごとに好まれるコミュニケーションスタイルがあるので(例えば議論の進め方など)そのことにも理解が必要です。そしてこれは、日本国内にいても、複数の文化背景を持つ人たちと仕事をするためには不可欠な姿勢です。

重要なのは一つの言語でしっかり「思考力」を培うこと!


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―――マルチリテラシーズ教育の未来像とは?社会におけるその役割はどう変わっていくと見ますか?

マルチリテラシーズをどのように捉えるか、どこまでのレベルを求めるかということは、専門家の意見も分かれると思います。ですが、一言語だけで読み書きをしていれば社会生活の全ての面で事足りるという時代ではありません。一方で、生成AIが登場し、外国語を翻訳することが簡単にできるようになりました。実際、高等教育の中でもライティング教育を含めたリテラシー教育のあり方は議論の及ぶ領域のひとつです。その中で、私自身は一番強い言語でしっかり考えることが原点になると思います。

一つの言語でしっかり考えて、文章を書いたり、読んだりする力があれば、それを軸に他の言語に訳したり、コミュニケーションの時に他の言語を使ったりするのは、テクノロジーのサポートを借りれば、昔では考えられないほど簡単にできるようになっています。ここでは、日本の文脈でお話ししますが、そのようなことを踏まえると、日本人であれば日本語での読み書き、思考力をきちんとつけていくことがより重要になってくるといえます。読む力も表面的に読むのではなく、理解を深めながら自分でテキストと対話しながら批判的に読んでいく力がより大事になってくると思います。

要するに一つの言語の力が原資であり、原資をどのように拡張していくか、生かしていくかということです。海外で両替所に行けば円をドルに変えるのは一瞬でできますが、日本語のリテラシー能力などは一瞬で変えることはできません。では、核になる部分だけでも転移させることはできないのかと考えた時に、やはり思考力や概念に対する理解が重要になってくると思います。

日常会話的な力をつけて、旅行やアルバイトのような経験を積み、視野を広げるのはとても良いと思いますが、本当に現地で社会参加をしたい場合にはコミュニケーション能力の一つの軸になる「思考力」は不可欠です。思考力は言語を介して育っていくものなので、土台として一つの言語の力を作ることは忘れてはいけないと思います。そして一つの言語の力を使って他の分野に転移させていき、その一つが外国語のリテラシーとなるのではないかと思っています。

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―――親御さんによっては、インターナショナルスクールなど、英語を学習言語として使う教育を検討されている方もいらっしゃると思います。そのような親御さんに向けて、最後に読者に伝えたいメッセージをお願いします。

まず、何のために幼少時から英語での教育を選ぶか、明確な目的意識が大切です。
「ネイティブらしい発音」を身につけるためには、小さい頃の方がいいとされていますが、発音だけにとらわれていると、ネイティブの中での言語力の比較になった場合、極端な言い方をすると発音はいいけれど、話す中身はどうなのかと言われてしまうかもしれません。

日本は多言語話者が少ないこともあり、ネイティブ規範がとても強いと思います。発音とは違い、読み書きの力は、自然に身につくものではなく学習して身につけていくものなのでネイティブの間でもものすごく差があります。英語で教育するのであれば、読み書きの力に生じる差なども考慮してやっていかないとお子さんにとっても「こんなはずじゃなかった」ということになりかねません。

学校生活、社会生活が始まると複雑な表現や理解が必要になります。発音は良いに越したことはありませんが、それよりも中身のあるわかりやすいメッセージを持っている人の方が結果的には言葉の力を全体的に生かすことができ、将来自分の進みたい道を切り開く力となると思います。

これまでお話したとおり、概念的に高いレベルや複雑なやり取り、複雑な文章の理解となると、話し言葉だけではなく、書き言葉が不可欠です。お子さんのために学校や教育プログラムを選ぶ際には、長期的な視野に立ち、思考力を高めるライティング教育が提供されているか、将来的にそういう方向に繋がる道筋があるか、しっかり調べる必要があります。また、母国語と外国語は理解の面で繋がっていることを忘れてはいけません。語彙力を上げるためには、読むことはとても大切です。本を読んだら一緒に感想や内容をお子さんと話し合い、お子さんの意見や考えをじっくり聴きましょう。自分の感じたことを人に伝えたい、伝え合うことは楽しい、と感じる意欲を育てることは高いコミュニケーション能力を養うためにとても重要です。

私たちの社会には入学試験など様々な関門があり、そこでふるい落とされてしまうなど、試練や挫折はつきものです。そういった現実があっても、思考力そのものを高めておけば、お子さん自身が自分の能力を開花させ、社会でしっかりと生きていくことができると思います。

新井那知
ライター
So-gúd編集部
新井 那知
埼玉県・熊谷市出身。渋谷の某ITベンチャーに就職後、2016年にフリーランスライターとして独立。独立後は、アパレル、音楽媒体、求人媒体、専門誌での取材やコラム作成を担当する。海外で実績を積むために訪れたニューヨークで、なぜかカレー屋を開店することに—-帰国後は、クライアントワークを通してライターとして日々取材や編集、執筆を担当する。料理と犬、最近目覚めたカポエイラが好き(足技の特訓中)。
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