“地元エナジー”足りてますか?地元のカタログギフトで待てる社会”を実現する「株式会社地元カンパニー」が考える、地元の可能性って?
「地元に帰ろう 地元で会おう」「あなたの故郷 私の地元」「好きです先輩覚えてますか? 朝礼で倒れた私」この歌詞をご存知だろうか?
この歌詞はNHKの朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の挿入歌の「地元に帰ろう(作詞:宮藤官九郎)」だ。なんというか、このフレーズだけで、地元に帰りたくなるエモい歌詞だ。
またサニーデイ・サービスの『おみやげを持って』という曲をご存知だろうか?「お土産を持って君のところへ 君のもとまで ちょっとした物で構わないのさ」という歌詞があるが、「贈りもの=お土産」は嬉しい―― なぜなら人は贈りものが好きだからだ。
特に「地元のお土産」「地元の贈りもの」という「地元」という文字が付くだけで、エモさが急上昇する――― つまり地元という言葉は、どこかエモいのだ。
田舎や地方から出てきた人間はわかるかもしれないが、「地元っていいよなー」「たまには地元に帰りたいなー」と思い、東京の夜空を仰いだことはないだろうか?
そして時代が流れると大人になり、地元を盛り上げたいと思い、 東京から地元に拠点を移す人も多い気がする。また昨今では、コロナウィルスの流行で地方から遠隔で仕事をする人が増えたり、地方からスタートアップを誕生させる動きがあったりと何かと、地方都市や田舎、地元にフォーカスされている印象がある。
そんな中で今回は、地元のカタログギフト事業を通して、地元をいい感じにする地元カンパニーの代表取締役・児玉光史氏を取材。地元のカタログギフトの可能性や、未来の新しい当たり前についてお話をお伺いした。
地元カンパニーの地元のカタログギフトは、地元の魅力を伝え“待つ”を楽しむサービス
――まずは地元カンパニーの概要から教えてください。
「株式会社地元カンパニー」は、「地元のカタログギフト事業」「カタログギフトシステム事業」「出荷代行事業」をベースとした事業をおこなっています。その中でも、主力事業は地元のカタログギフト事業です。
―――ありがとうございます。地元のカタログギフトについても教えてください。
地元のカタログギフトは、カード形式のカタログギフトです。パッケージに10~20枚程度のカードが入っていて、その中から商品を選んでWEBやハガキで申込みます。
地域や地元ならではの果物、野菜、生鮮品など多種多様な商品がラインナップされています。このような商品を旬の時期にお届けするのが、カタログギフトの特徴です。
例えば6月に受け取ったカタログギフトでりんごを注文した場合、りんごが届くのは10月、11月、12月になります。商品ごとに発送可能時期が決まっており、発送可能時期はカード裏面に記載されているんです。
―――現在は何社が、地元のカタログギフトに参加しているのでしょうか?
現在は約1300事業者様が、地元のカタログギフトに参加してくれています。
また現在は旬の食べ物や工芸品など、全国から約1300以上の商品が集まるようになったんです。
―――実際に地元カタログギフトを利用された方の反響や声は何かありましたか?
結婚式の引き出物から、企業様がクライアントや協力企業へ贈る贈答品まで様々な使い方をしていただいています。
受け取った方からは今まで知らなかった地元の特産品を知ることができ、実際に届いて食べてみたらとても美味しかったという声やオリジナリティがあって喜ばれたなど、ポジティブな声が集まりました。
一方事業者様からは、『簡単に出荷できるからいいね』『地元カンパニー様のおかげで、出荷量が増えた』『地元の特産品を多くの人に知ってもらうためのきっかけが作れた』という声をいただきました。
長野県に戻り、若かりし頃の自分へ伝えたいことがある。
―――ありがとうございます。地元のカタログギフトという事業をはじめた背景や原体験は、何かありましたか?
2013年から地元のカタログギフト事業をはじめたのですが、自分の結婚式の際の引き出物選びに悩んだことがきっかけでした。それに自分も友人の結婚式で引き出物をもらった際に『もっと新郎新婦にゆかりのある商品だったら良いのにな…』と思った時があり、地元カタログギフトのアイディアが生まれてきました。
―――ありがとうございます。もともと長野で起業するというイメージは持たれていたんですか?
もともと大学卒業後、私は東京でIT会社の営業職に就いていました。4年勤務したのですが、その後都内でフリーランスとして独立したんです。
フリーランスとして、実家のアスパラを売ったり、WEB関係の仕事をしながら生活をしていたんですが、30代半ばになると東京の魅力的な部分が自分には関係ないと思うようになりました。
それに、東京の夏って暑いですよね?(汗)
暑いし、東京の魅力も自分には刺さらなくなってきて、メリットがあまりないような気がしたんです。
―――なるほど、自分も田舎出身なのでその感覚はわかる気がしますね(汗)。
私は長野県出身なんですが、若い時は『田舎って退屈だし暇だなぁ~』って思っていました。
でも今思い返すと、大人になった自分から、若かりし日の自分へ『地元って退屈じゃないぜ!』『東京じゃなくても、楽しめてるぜ!』と証明するために長野県に戻った気もしています。
それに何かはじめようと思った時に、受け身では何もはじまりません。自分のやりたいことや、やるべきことが決まっていれば、場所はどこにいてもやれる気がしていたんですよね。
経済的な視点だけで、課題と決めつけないことが大切。
―――地方創生や地方などが、注目を集めていますが課題は何かありますか?
結論からお伝えすると『本当に課題はあるのだろうか…』と悩んでいます。東京と地方を経済性という面で比較した場合には、都心部よりも収入格差があるかもしれません。
例えば昔は農家や地方産業が、経済的に潤ってないと言われていましたが、『そもそも収入格差を“課題”とするのが課題設定としてよかったのだろうか』と悶々と考えています……。
長野県に戻って仕事をするうえで、体感する点も多いのですが――俗にいう課題感は、あくまでも東京をはじめとした大都市の経済性の視点から見た時に、 “課題”として設定されているだけなのではないかと―― いや、もちろんそれも課題だとは思いますが……
それに長野県に戻って仕事や生活をしてみると、他の課題はあるし(実家どうしようか……など)、お金を使わない、つまり経済指標で計測できないレジャーとか遊びも多いし、、一方的な視点で無理やりに、普通の課題をとんでもなく大きな課題としてしまっているのではないかと……思ったりすることもあります。
―――― 確かにそうですね。外から見た幸せと内側での幸せの捉え方は、視点が違うので異なるというか…
そうですね。生まれる場所は、自分で決めることができないので、たまたま都心部で生まれ育った視点から、地方の課題を探そうとすると、どうしても“課題を無理やり定義する”感じは出てきてしまう気がします――なので、あえて課題と言うなら経済性という軸にのみ比重を置き、課題を勝手に定義すること自体が課題になっている気がしています(面倒くさいやつで申し訳ないです)。
一方で子どもの教育という点では、都心部と田舎を比較した場合に、教育機会や学習環境の差は発生している気はします。
ただ、都心部ならではの学ぶことがあれば、地方ならではの、自然の中で生活し、獲得できるものもあります。しかしこれは、私としてもうまく言語化できていないのですが田舎ならではの教育方法って必ずあると思うんですよね。
ですが現状の初等教育は、教室の中で教科書を通して勉強するのがセオリーです。個人的には、教科書と自然が一致していない教育体制に寂しさを感じます。
教室ではなくて、面積の勉強なども葉っぱや山を利用して教えたり、生物も物理も教室の中ではなくて、自然の中で教えたりすることで、教科書内容と自分が今触れている自然が結びつくと思うんですよね。
例えば、山に行って鹿のフンを見つけて、それから鹿の頭数を類推するとか――― 私は教育の専門家ではありませんが、このような教育が自然の中でならできるのに、やりきれてない歯痒さを感じています。
――― なるほど…実際に歴史の勉強もそうですが、その場に行ったほうがイメージも湧くので理解が早いですよね。
そうですね。このような類推能力が染み付けば、自分でテスト問題のようなものも作れるようになると思います。それに、自分で問題意識や課題意識という感覚も身に着いてくる気がしているんです。
一方的に教科書を読んで学ぶというスタンスだと、問題はあくまでも教科書の中にしかないので、何が問題で何が課題なのかという感覚が乏しくなってきてしまいます――――山や川など見ている時にも『昨日と同じで山が緑だな』というところで止まらず季節がめぐって山の色が変わっていること、季節ごとの動物がいること、時には山や川に捨てられるゴミが増えてきて、環境が変わってきていたりすることにも気がつくと思うんです。
実際に現場に足を運んで、アクションを取ることが色々な学びに紐づくと思っています。
教科書と教室の中だけで世界が完結してしまっていることが、「地方には、RPGのラスボスみたいなとんでもなく大きな課題があるはず」という一方的な思い込みや仮説が生まれてしまうことにも繋がる気がしているんです。
カタログギフトは、“明日を待つサービス”
―――地元を盛り上げるには、何が必要ですか?
昔は受け継がれて来たものを継承することこそが良いことだと思っていました。
しかし最近は、刹那的ではあるんですが、農家さんや職人さんたちが、楽しそうにモノを作っていたり、自分の仕事に没頭している人の目つきだったり、そいういう姿をしっかりと届けることが大切だと思っています。
一心不乱に夢中になって、うどん粉を混ぜ合わせてうどんを作ったり、真剣な目つきで肉を切っていたり――そういう人の眼差しやスタンスが素敵だと思っているので、カタログギフトでも、そのような写真を使用していますね。
―――真剣に仕事に向き合う職人の人たちの表情や姿は、魅力的ですよね。
私たちとしては、無理やり美味しそうな写真を撮影するというのはちょっと苦手でして。スーパーのチラシやレストラン関係の広告など、食材や料理の美味しさを引き出すような見せ方をしていますが、それが悪いというわけではありません。
あくまでも地元カンパニーでは、真剣に仕事と向き合っている職人さんたちの、没頭している姿が魅力を伝えるために最適な方法だと思っているんです。
―――音楽用語を引用するなら、そのような職人さんたちの姿には“エモさ”を感じますよね!
そうなんですよ。一番良いのは、散らかっている部屋で没頭しながら仕事をしている姿がベストですね(笑)。
片付けも追いついていない、洗濯物もそのまま、だけど仕事は最高の仕事をしている――― これが世の中的にウケるかどうかは別として、地元カンパニーとしては、職人さんが没頭している姿に遭遇し、その温度感がカタログギフトを通して、お客様にも伝わってくれたら嬉しいと思っています。
――― 今おっしゃっていただいたような方が作るモノって、パワーがあるというか、実際に手元に届くことでより魅力も伝わる気がします。
そうですね。商品の良さがわかる人に届いて楽しんでもらいたいのはもちろんなんですが、私としては“今日はいろいろきつかったな、、、”と思っている人にこそ届いてほしんですよね。
カタログギフトは、自分で直接商品を購入するのと違い、商品が届くまでに、注文から待つというプロセスが発生します。この“待つ”というプロセスが大切な気がしていて、カタログギフトで注文することはつまり、“明日を待つ”ことにも繋がるわけです。
カタログギフトは、明日を楽しく待てるサービスでもあると思っています。カタログギフトで選んだ商品が届く日を思うことで、心が軽くなったり、時間の経過が苦しくなくなったりすることもあると思うんです。
カタログギフトは、時間+場所を超えて人々の手に届くサービスなので、一人でも多くの利用者が1日を楽しく待てるようなプロダクトに今まで以上に成長させていきたいですね。
大切なのは地元エナジー!地元のカタログギフトは、地元を思いだすきっかけ。
―――“明日を待つサービス”“時間や時空を超えるサービス”はとても素敵な言葉ですね…。地元のモノが届くことで、自分の地元の魅力を相手に知ってもらえますよね。そして何より「地元」という言葉にはどこかパワーやエモさを感じますよね(笑)。
そうなんです!「地域」でも「地名」でもなくて「地元」という言葉だから良いんです。
地元カンパニーの地元のカタログギフトは、機能性はもちろん大切にしていますが、「人文的」であるということを大切にしています。
経済上ではあまり評価されないかもしれませんが、地元のカタログギフトを通して、人文的に評価されていながら、経済成長もするという両立できるという基盤を大切にしています。
―――地元だから人を呼びたくなるんですよね…実は海外の友人が日本に来る時、東京観光はもちろん案内するんですけど、一番連れていきたいのは出身の埼玉県・熊谷市の実家に呼びたいですよね。ニュー・ヨークという世界を代表する大都会から来た友人は、みんな実家の前の土手の桜だったり、地元の商店街だったりを見て感動して帰っていくんですよね(汗)。
素晴らしい!(笑)新井さんは、地元エナジー研究所の研究員ですね(笑)。
―――(笑)地元エナジー研究所って何ですか!?
「地元エナジー」という言葉は、造語ですけど、地元に戻るとチャージされるエナジーを地元エナジーと呼んでいます。地元カンパニーもその地元エナジーを研究するための企業でもあります(笑)。
―――児玉さん!―――めっちゃ良いですね…(笑)
新井さん―――めっちゃ良いでしょ?(笑)
地元エナジーの捉え方も一人ひとり違うんですけど、チャージされた瞬間にはじめて、さっきまでの自分は地元エナジーが足りていなかったんだと気が付くんです。自分では気が付かないまま、地元エナジーが減ってしまい心をすり減らす人も多くいます。
地元のカタログギフトがあれば、自分の地元の商品が届くこともポジティブな意味を持ちますが、他人の地元のギフトでも、自分の地元のように感じるきっかけになったり、自分の地元を思い出すきっかけになる気がしています。地元のカタログギフトを通して、少しでも地元エナジーをチャージしてもらえたら嬉しいですね。
地元カンパニーは馬力のある馬として、荒野を力強く走り抜ける。
――――5年10年後、地方創生などはどのように進化・発展しているでしょうか?考察があれば教えてください。
いくつか軸があるんですが、その中でも地方のスタートアップベンチャーに最適な金融支援や金融サービスが誕生していて欲しいなと強く思っています。
やっぱりベンチャー企業やスタートアップを立ち上げると成長率のJカーブを目指しますよね。しかし私たちは、目指したいけど、事業内容的にも爆発的なJカーブで急上昇するのは難しい部分があります。
そうなると、都内のVCとの相性が最適でない場合が発生します。しかし地方銀行のみの融資では、ビジネスを加速させるための成長速度が出ないんです。そのため、VC未満、地方銀行以上のような金融サービスが誕生すると、私たちのような企業にとっては非常にありがたいですね。
―――なるほど…メディア露出などで注目されるのは、ユニコーン企業のような印象もありますし…
ベンチャー企業をはじめると、夢もあるし、ゴリゴリのビジネスエキスパートたちを目指しちゃいがちです。でも地元カンパニーでいうと、ユニコーンじゃなくて“足腰が強い馬”でいたいと思うんです。ユニコーンでもゼブラでもない、坂道を駆け上がる強い馬でいることが重要だと思っています。
―――確かに、そもそもどうしてユニコーンになりたいのか、上場したいのかという、目標と手段が変わってしまい、自分たちにとって何が最適なのかという所を見失ってしまうベンチャーもいるというか…
そうですね。なので、地元カンパニーは、馬です!(笑)。でも荒れ道で整っていない場所でも傾斜でも、泥道でも自分の脚で走り抜けるタフな馬でいたいと思います。
地元のカタログギフトを通して、“待てる社会”を実現する。
―――泥臭くて「馬」という表現は、カッコイイですね!そのうえで、将来挑戦したいことは何かありますか?
地元カンパニーをきっかけに「待てる社会」をつくってていきたいですね。待てる社会は、カタログギフトを使用して、明日を待つことだったり、旬の時期に届くまで待つということだったりすると思います。
それに明日を楽しく待てるって幸せなことだと思うんですよね――― そして、明日を持つ、旬の季節を待つという先には、タイムカプセルのような親から子へ世代や時空を超えて、待つことができるというところまで、プロダクトを昇華させたいですね。
このような理想を実現するためにも、馬として一步一步確実に走っていきたいと思っています。
―――素敵です…。贈り物やお土産を友人に持っていく時のワクワク感もそうですよね。土産を持って行く、相手が喜ぶ顔をイメージすると楽しくなるような…何となく「サニーデイサービス」の『お土産を持って』の世界感が頭に浮かびました。
待てる社会の先に、待つ経済があっても良いと思うんです。田舎ってバスや電車が来なかったり、基本的には“待つ”ことになるんです。これは地元や田舎の代表的な動きの一つだと思うんですよね。待てるモノや季節などがあれば、そこには待つことでしか生まれない良さや楽しさがあります。そのためにも、待つことが大切になってくるのかもしれませんね。
―――素敵ですね…児玉さんにとって新しい“当たり前を作る”とは何ですか?
“分からないことを噛みしめる”ことだと思います。分からないことを理解しようとすることは正しいと思いますが、分からないこと、答えがでないことってありますよね。
そんな時、そのわからないことをスルメイカを食べる時のように、噛み締めて長時間味わう――― そうすることで、分からないことを隣に置いておくことができるんですよね。分からないことを知ろうとしたり、味わうことができれば、ずっと楽しい人生を送れるかなと思います。
そして分からない何かと一緒にいる感覚を持つことで、気がつくと過去では不明だったことが、自然と日常の中で理解できている状態になっている。それが新しい当たり前を作るというか、新しい当たり前と気づくことだと思います。
――――ありがとうございます。最後の質問ですが、児玉さんにとって地元カンパニーとはどのような存在ですか?
私にとって地元カンパニーは、馬の形をした社会探査機です! 。
地元カンパニーと社会の繋がりを考えるなかで、“社会探査機・地元カンパニー号”の双眼カメラで社会を覗き込むことができる、そして多く人と出会い、出会った人と一緒に取り組みをすることができる―――そうすると、かけがえのない人との出会いや、唯一無二の人の想いに触れることができるんですよね。
これからもこの探査機に乗っている仲間たちや事業者様と共に、地元のカタログギフトというサービスを通して、待てる社会を実現していきたいですね。
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地元カンパニー様の取材帰り、私はバスで長野駅に向かおうとしたところバスを待った。「あ~何だか、バスを待つの久しぶりだなぁ~」と玉児さんがおっしゃていた“待つ”を体感した。
東京で生活している時の「待つ」は焦れったさを感じるのに、児玉さんの話を聞いた後に感じた「待つ」はどこか心地が良かった。忙しない都心で生活を過ごしているとつい忘れてしまう、気持ちを「地元」に
帰ると教えてくれる―― そんな忘れてしまいがちだけど、大切なことを今回の取材を通して改めて思い出した気がした。
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