未来を見据えた数学の教育研究:佐藤寿仁准教授の挑戦
2024.08.26

未来を見据えた数学の教育研究:佐藤寿仁准教授の挑戦


数学教育はほとんどの人が小学校から高校までの12年間も関わることになる教科のひとつだ。しかし、数学と聞くと「苦手」「社会に出て役に立つのかわからない」「電卓があるから必要ないのでは?」というネガティブなイメージをもつ人も多いだろう。

しかし、実際社会に出ると私たちは日常的に「数字」と向き合うことになり、数学的推論を求められる場面に遭遇し「もっと勉強しておけばよかった」と後悔した人も少なくないだろう。なぜ、このような学校教育と現実社会のギャップが生まれてしまうのだろうか。

今回は数学を中心に教育学の研究をする岩手大学教育学部の佐藤寿仁准教授にお話を伺いながら未来を見据えた数学の教育について考えていきたい。

佐藤 寿仁
インタビュイー
佐藤 寿仁氏
岩手大学 教育学部
准教授


これまで通りのやり方はNG!数学教育は今転換期にある


岩手大学 取材イメージ画像
―――まずは、研究概要について教えてください。

私の研究は初・中等教育と呼ばれる小学校や中学校、高等学校での数学教育が、主なフィールドになります。

具体的にはいわゆる数学そのものではなく、教育の世界の中で教師がどのように立ち振る舞うのか、どのような授業が求められているのか、また教え方など、今、先生方がどのように数学を教えればいいのかを研究のベースにしています。

―――准教授が研究を進める中で昨今の教育の仕方で変えていかないといけないなと思う部分はどのようなところでしょうか?

結論として言うと、私が受けてきた教育と今の子どもたちの未来のためにある教育は違うものだと思います。

古い話になり恐縮ですが、私が子どもの頃に受けてきた教育は与えられた情報をいかにプールするか、計算機能の熟達などが重要視されていました。

社会に出て、本当にそれが役に立つのかどうかわからない教育だったのですが、今の時代はこの先に何が起こるかわからないため、より決断力や選択する力が求められるようになっています。そのため今の時代は子どもが一方的に教師から何か情報を伝達されるのではなく、自分から見いだしていくような教育が求められるでしょう。

そしてそういった教育にどのように教師が立ち向かっていくのか―― 今、数学教育は大きな変化を迎えていると思っております。

―――決断力や選択する力を求められる時代になってきたとのことですが、そのように考えるようになったきっかけはありますか?

社会の変化だと思います。先ほどもお話した通り、大人が決めた道をただ歩いていくだけでは、これからの社会はもう切り拓けないのではないでしょうか。

AI技術も発達して、人間とAIの付き合い方も変わってきています。私たちが住んでいる生活の状況も変わってきている中で、やはりこれまでの進め方には無理が来ていると感じるようになりました。それは数学教育も同じで時代の転換期だと言えるでしょう。

ここ10~20年の社会の変化は、情報化の加速も含めてものとても速いです。そしてこの時代に生まれてきた子どもです――従来の私たちの価値観とは違う世界観を生きている子どもたちと向き合うためには、私たちも発想も変えていかないと子どもたちのための教育はできないと常に思っています。

楽しんで数学で問題解決できる教育の姿を目指して


岩手大学 取材イメージ画像
―――今の日本の数学教育における課題感はどのようなところにあるとお考えですか?

タブレットのような教育機器が1人1台配布されるなど学校の中にもテクノロジーが入り込んでいるわけですが、果たしてやり方そのものにアップデート感はあるのかなという点が私の研究しているテーマでもあります。

これだけテクノロジーが溢れている時代においては、人間がテクノロジーを使って問題解決する力をつけてかなくてはならないでしょう。

例えば、高校数学で学ぶ積分―― 計算はできても、どこに使えるかがわからないでしょう。現実には積分の計算知識を使える場はたくさんあります。しかし、私たちがどこに使うかはわからなければ、積分を知っても何の意味もないわけですよね…。

そこで必要になるのがテクノロジーを使った数学の授業開発です。もちろん既に取り組まれている先生はいるのですが、もっともっと多くの先生に実践していただく必要があるでしょう。そもそも数学教育で身に付けさせたいことは問題解決する力です。このことは、これからの時代も変わりません。しかし、問題解決へのアプローチのさせ方が変化してきているのではないでしょうか。

―――ここ数年の数学教育において一番変化した部分はどのようなところでしょうか?

これまでは問題解決をとても大事にしていましたが、今は「問題を発見し、解決する」と言われており、問題発見について取り上げられるようになりました。

これは教師が問題を提示して子どもが数学を使って解いていくのではなく、子どもが問いを立てる、問題を設定するというように探究に近い学びへアップデートされ、子どもが問題解決するプロセス(文脈)が重視されるようになりました。私自身もこれはとても大事だと思っています。

「教師が」ではなく「子どもが」という授業、子どもを主語にする授業づくりが今求められていると考えています。

―――私は数学が苦手なタイプで、私のように数学に対する抵抗感がある子どもは多いと思います。数学でつまずいてしまう人が出てしまう要因はどのようなところにあるとお考えですか?

日本の先生方の多くはとても真面目な方が多いと思います。
しかし数学教育の矛先はどこを見ているのかというとやはり「入試」なのです。日本が古くから持ってしまっている入試システムがあると、そこが出口になってしまいます。

数学教育で本当に大切にしなくてはいけないことは2つあります。
一つは、数学を使って何ができるかを知るっていうこと。先ほどの積分の話の通り、結局積分は何に使われているのか、何に使えるのかを知ることが大事です。

もう一つ、思考力です。
思考力というのは、数学的に推論することです。例えば、中学校で学ぶ図形の証明。証明の書き方を理解して欲しいというよりも、証明をすることで、明らかになることを相手にしっかりと伝えることができることを知って欲しいのです。そういう意味で、現代では数学的に推論することも大切にしているのです。

しかし、時代を切り開いていくためのリテラシーとして数学の推論などを大事にしようとは考えているものの、実際にそういった授業ができているかというと今はたぶんギャップがある状態だと思いますね。

数学が苦手と感じる人のためにもできなくて苦しんでいるよりも楽しんで数学での問題解決を進められるような教育の姿に変えていきたいと思っています。

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―――ありがとうございます。確かに数学的推論は大人になり社会人になっても使うことがあると感じました。例えば大人になってから思考力を培うために数学的推論を学びなおすことには意味はあるのでしょうか?

とてもよいことだと思います。私も大学生になってから高校数学の教科書をもう一度見なおした経験がありましたが、やはり高校時代よりも理解を深めることができました。

それはやはり目の前の受験などの足枷がなくなったからじゃないかと実は思っています。
今、私の目の前の学生もそうですが、入試に向かって勉強してきた数学の学び方と今落ち着いて数学を見つめ直すことで、「何に使えるのか」や「こう考えることで、どういうふうに自分が変わっていくのか」という見方ができるようになったようです。

今の日本の受験を含めた子どもを取り巻く環境は、学びの環境として大丈夫なのだろうか?と感じます。その辺りも社会全体でもう一度見つめ直す必要はあると思っています。

学生の中には時々、大学に入学する頃には燃え尽きてしまっている学生もいるんです。私はそれは学生のせいじゃないと思います。大学入試で燃え尽きてしまう学生を取り巻いてきた社会や大人との関わりが問題ではないかと思うのです。

そして本学岩手大学教育学部は教員養成の大学で、子どもたちと触れ合う職につく人材を育てる場です。やはり子どもたちと触れ合う職を目指すのであれば、クリエイティブであってほしいし、これまでの前例踏襲ではなく、個々の子どもたちのための新しいことを生み出せるようになって欲しいと思っています。そして私たちはそういった教員を増やしていかなければならないでしょう。

社会総出で目指すべき未来志向の授業とは?


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―――先ほどのお話の中で教員の目指すべき姿もお話いただきましたが、私が出会ってきた先生方の中には残念ながら「思考力を身に付けるため」に勉強していることを伝えてくれる先生はいませんでした。佐藤准教授の考える教育側に必要な変革はどのような部分でしょうか?

思考力を育むために学校教育はあると伝えても子どもたちはイメージがしにくいのです。
教師が一方的に「こうこうなんだよ」と教えるよりも、やはり子どもたち自身が体験的に「考えることは楽しい」と思うような授業にしていかないといけないと私は思っています。

それが教育全体で努力をしなければいけない部分ではないかと思っていますが、非常に難しい問題で、先生方も苦労していると思います。私は研究の分野からこの問題をなんとかしてあげたいと考えているのです。

また、時代の変化と共に社会からみる教師像も変わってきています。
なんでもやってくれるんじゃないかっていう期待、一方で何をやっているんだという批判。この両方の見方があり、先生はそこに挟まれている状態です。

先生方も頑張っているのですが、その先生の頑張りをどこでどう評価するのかとなった時に、その評価は何名合格したかなど、入試になってしまうのです。そういう尺度で教師を見てしまう社会全体の教員に対する目も変わってかないといけないと思います。

本当に今は大きな転換期です。文部科学省が社会に開かれた教育課程であるべきだと、学校のカリキュラムなど教育課程そのものを社会に開いたものにしなくてはならないということを主張した今の学習指導要領から7年が経過しました。しかし、社会に開かれた教育課程はいまでも実現されてないように感じます。

本来、教育は社会の枠組みの中では創られていくものです。実質的に学校教育に取り組むのは先生であっても社会全体で教育を作っていく姿勢もこれからは必要になると思います。

―――社会全体で教育を作っていかなくてはならない時代になっているというお話は体感としても共感させられるお話です。

数学教育一つとってもそうですよね。私は数学を学ぶ意義は以前よりもずっと広がっていると思っています。しかし、その意義が伝わらず学校の中で閉じているように感じるのです。

もっと子どもたちが数学のことを議論して何に使えるのか、そして何に使ってどんなことが解決できるのかを体験していく学習が必要だと私は思っています。

OECD(経済協力開発機構)の調査では、日本は自尊感情が低いと前から言われていますが、もう一つ興味深い見解があります。それは、日本は数学の試験の点数は高いが、数学を使って取り組むことに対する自信は低いともいわれているのです。

要するに今の日本は数学ができる子どもは多いが、数学を使って世の中のことに取り組んで先に進んでいく自信はないという状態なのです。またこれもよく海外から指摘されることですが、日本は学力が高いのになぜこんなにGDPや国力が低いのだといわれます。

こういったズレが生じてしまうのは、もしかすると教育に原因があるのかもしれません。日本の教育は「変わっていかなきゃいけない」とずっと考えられているはずなのにパワーを持って変えられないのです。

私たちは研究者の立場で国の教育機関に対して、様々な意見をお伝えすることがあるのですが、国という一つのスタイルがあったときに私たちが考えている教育っていうのはあくまで公の教育であり、勝手な教育ではありません。公の教育そのもののアップデートが目に見える形で必要だと考えています。

―――お話を伺っていて偏差値から脱却し、その人自身の得意を活かした受験の仕組みなど教育現場だけでなく社会全体が変わっていくことが子どもたちの可能性を開くことに繋がると感じました。

おっしゃる通りです。教育って何を狙っているのですか?という話に立ち返ったときに昔は「受験」など近い目標に向かっている雰囲気がありました。しかし今は、子どもが幸福を得ることに向かっていると思います。「幸せ」とは何と言われたら、それは自分自身の足でしっかりと歩いていく力が備わっているということだと思います。ウェルビーイング(Well-being)を目指す教育が大切と言われるのですが、自分自身で何かを切り拓いたり、自分のよさに気づいたりといったことが求められていると思います。

学校の先生たちには未来志向で授業を考えていくことが求められます。

私も学生に授業していると、やはり数学の理解に困難生のある学生もいます。
その学生が一生懸命考えているときに、私たちは考え方のいいところなどを発見してフィードバックするようにしています。そうすると、問題ができなくても数学的に考えることは楽しいと学生が考えるようになってきて、数学の見方が変わることがあります。学生たちには未来志向の授業ができる先生になって欲しいという願いを込めつつ、このような授業をしています。

今こそ教育のアップデートを!子どもと向き合う時間を増やし可能性を見つけ出そう


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―――私も大学で教育実習を経験したので、教育現場の大変さを感じたことがあります。やりたくてもできない、リソースが足りないという働きにくさというのも影響しているように感じます。

私の時代は本当に大変でした。あの時代、心が折れずにやってのけた理由は、子どもたちのためによい授業をしたいという想いただひとつだったんです。

今は働き方改革によって教員の働き方も少しずつ改善されてきていますが、まだまだ学校の先生たちの仕事は大変なものです。それは先生がやらなくてよいのではないか?みたいな仕事まで先生が処理していることで、子どもと向き合う時間が削られてしまっているからなのです。先生がやらなくてよいことは外して、子どもと向き合い、子どもの成長を支えるような時間を作っていって欲しいと思います。

例えば授業だけで子どもと付き合っていると本当に子どもの一部分しか見えません。しかし、別の場面での子どもを見ると、実は数学の授業では見えなかった部分が見えてくるのです。

子どもには一人一人いろんな可能性があります。その可能性は「有名人になる」など特別なものではなく一人一人のよさです。数学教育も子どもに寄り添ってやっていくと、子どもの数学の営みの良さが見えてくるのです。○か×かの両極で判断することに偏ると子どものよさをみることはできないものです。

子どもの数学の議論に一緒に付き合うことも大事ですし、時には引っ張り、時には背中を押してあげることも大事です。先生たちには、そういう子どもたちとの時間を作って欲しいと思っています。

―――ChatGPTなどのAI技術の発達により、教育の現場の未来はどのようなことが求められ、どのように変化していくと思いますか?

ChatGPTなどのAI技術が進歩している時代だからこそ、オーセンティックな部分がとても大事になってきていると感じます。

私は時々「数学の良い授業とはどんな授業ですか?」とChatGPTに聞いてみたりしますが、本当に上手に答えてくれます。それを見せた学生はびっくりしていました。

そういう時代において、我々が何をすべきで、何を感じ取っていかなくてはならないか、見つけていくべきなのかという事を考えていかなければならないでしょう。

また、今後も当たり前に数学教育がずっと行われると思っていてはいけないとも思っています。数学という科目がなくなる可能性だってあるのです。国語や社会、数学はずっとあり続けるだろうと誰もが思っているかもしれませんが私はそう思っていません。もちろん数学は大切な教科だと思っていますが、私たちが数学の存在意義を追究できなければ、数学は教科からなくなってしまうのではないでしょうか。

海外の学校をみてみると、教科が再編成されるのは当たり前のように行われていますし、教科名が変更されるのは当たり前ですし、教育カリキュラムも社会要請によって変わります。明治以来ずっと変化がないのは日本くらいなのです。

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―――いろいろと数学教育の今後の課題感や未来の姿についてお話いただきありがとうございました。では最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

教育のトレンドというとシステムの話(カリキュラム、使っている機械であるICTやパソコン)になりがちですが、今本当に問われているのは「教育は本質的に何を求めていくものなのか?」ということだと思っています。AIなどの技術も発達して、教育の形は変革期に入るでしょう。いえ、はいらなくてはなりません。

教職など教育関係者以外の方もぜひこの記事をご覧になって欲しいと思います。
教育を社会全体で作っていくことが私たち大人の子どもたちのためにやる義務ではないかと感じています。数学教育もその真ん中にいるのです。

また、もしかすると現状維持することに必死で、毎日をその過ごされている先生がいることも現実ではないかなと思います。それをどうやってブレイクスルーするかは、私達が進めている研究成果にもかかっています。

今から教員になる若い人たちには「自分が受けてきた教育を再現すると日本は国力を失うのではないだろうか」ということを心にとめておいて欲しいです。これは私が学生にいう事でもあります。

自分が出会った先生たちを尊敬するのは素晴らしいことであるが、その指導法までなぞるようにしてしまうと日本の教育は時代とミスマッチし、減退してしまいます。だから、みなさんの教育を想う、すべての子どもの成長を願うパワーで新しい教育を創造していく、そこには正解や不正解はないから思い切りやりなさいと、教師を目指す人に伝えたいと思います。

そして教師が「公式を覚えればいい」のような指導でなく物事の本質を子どもが追究することができる、このことを実現できる教育現場にできるよう社会と一緒にしていきましょう。

新井那知
ライター
So-gúd編集部
新井 那知
埼玉県・熊谷市出身。渋谷の某ITベンチャーに就職後、2016年にフリーランスライターとして独立。独立後は、アパレル、音楽媒体、求人媒体、専門誌での取材やコラム作成を担当する。海外で実績を積むために訪れたニューヨークで、なぜかカレー屋を開店することに—-帰国後は、クライアントワークを通してライターとして日々取材や編集、執筆を担当する。料理と犬、最近目覚めたカポエイラが好き(足技の特訓中)。
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