2024.05.20

データが導く、大学の新たな未来: 教学IRによる大学教育の変革


IR(インスティテューショナル・リサーチ)から見えてきた、教育の課題と可能性。

少子化の影響を強く受ける小規模私立大学は、入学者確保や教育の質保証など、数々の課題に直面している。

そんな中、IRの手法を活用して大学改革に取り組む動きが広がり始めた。 中京学院大学の大須賀元彦准教授は、小規模私立大学における教学IRの研究で注目されている先駆者だ。

教学IRとは、大学の教育活動に焦点を当てたIRの取り組みであり、データに基づいて教育の実態を可視化し、改善につなげる。

大須賀准教授が語る小規模私立大学ならではの課題と可能性、そしてデータに基づいた大学経営の提案とは?

少子化の中で生き残りをかける小規模私立大学にIRが一石を投じようとしている。

大学改革のカギを握る教学IRの現状と未来。大須賀准教授が語る、データが拓く小規模私立大学の未来の展望を探る。

大須賀 元彦
インタビュイー
大須賀 元彦氏
中京学院大学経営学部経営学科 准教授
教学IR室長補佐
専門分野:教学IR・地域研究


エビデンスに基づく分析結果を教育現場に取り入れる


教学IRの取材イメージ画像
―――まずは、研究領域について教えてください。

近年、私は小規模私立大学の教学IRの在り方に着目して研究を進めています。

教学IRとは、一般的に大学における教育活動に焦点を当てたインスティテューショナル・リサーチのことを指します。

大学の現場で教学IRの実務に携わっていると、組織によって教学IRの対応できる範囲や方向性が大きく異なることを感じてきました。教学IRに関する研究論文や書籍などはありますが、小規模私立大学での実践となると、想定外の課題に直面することも少なくありません。

IRとはそもそもインスティテューショナル・リサーチの略称であり、1960年代のアメリカの大学で主に経営状況を分析の対象としたのが始まりと考えられています。 IRの役割は大学によって異なり、データの分析にとどまるものから、データに基づく政策提言まで幅広く、その中でも教学IRは教学に特化したIRと捉えることができます。

一般企業では当然のように経営状況をデータで分析し、経営方針を決定することが行われています。同様に、大学においても教学IRの取り組みが重要になります。

大学の教育の質を主観的に判断するのは危険です。そのため、学内のアンケートのデータや成績データなどを活用し、教育活動の現状や課題を可視化することが教学IRの目的の一つです。

大学の執行部は必ずしも統計的な知識が豊富ではないことがあるため、データを分かりやすく可視化しながら教育の現状や課題を明確にし、改善につなげることが重要です。

小規模私立大学ならではの課題や強みを捉えた教学IRの在り方について、さらなる研究が必要だと考えています。

―――日本における教学IRの普及には、どのような背景があったのでしょうか?また、普及してからどのような効果が見られていますか?

日本における教学IRの普及の背景には、文部科学省の補助金の要件としてIR組織の設置が求められるようになったことがあります。2014年頃からこうした動きが活発化し、私立大学においてIR組織の普及が進んでいったと考えられます。

教学IRを導入した大学では、いくつかの効果が期待できます。例えば、教学IR組織が全学的な視点から大学の現状や課題を把握し可視化することで、学内の教職員が大学の全体像を理解しやすくなります。

さらに教学IR組織が授業アンケートの分析結果を共有することで、教員にも自身の授業改善に資する客観的な情報が提供されます。これにより、教員個人の気づきにもつながる可能性があります。

分析の際に特に気をつけていることは、大学内でもさまざまな分野の先生がいるということです。専門分野によって分析結果の受け取られ方が変わってしまうことを避けるため、誰が読んでも分かりやすい分析結果を提示することを心がけています。

一般的に、教学IRは全学的な視点から大学の現状を把握し、改善につなげることが重要とされています。しかし、大学によっては教学IRの機能が学部や学科単位に属している場合もあります。

そうした場合、教学IRは学部や学科の視点から教育活動を分析し、改善策を検討することになります。つまり、教学IR組織の設置形態によって、教学IRの対象範囲や目的が異なってくるのです。

欠点を逆手に、小規模私立大学だからこそできること


教学IRの取材写真
―――教学IRの現状や課題にはどのようなものがありますか?

近年は、データサイエンスの知見により、中途退学者の予測など、先進的な教学IRの取り組みも見られます。

教学IRの課題として、大きく挙げられるのが組織間の連携です。大学という複雑な組織において、教学IR組織だけでは教学改革を推進することは難しく、各組織との協働が不可欠になります。この点について、私は小規模私立大学の事例に特化しながら研究を進めているところです。

教学IRの役割としては上述したように、単に現状や課題の可視化にとどまらず、その分析結果に基づいた政策立案の支援まで行うことが求められることがあります。さらにより実践的な取り組みとしては、教学IR組織自らが主導して、大学改革に向けた企画や運営まで手掛けるケースも存在します。

私が所属する中京学院大学でも、まさにそのような試みが行われています。学長が直接教学IRを管轄する組織の責任者(教学IR室長)となり、教学IR組織が分析から企画の実施まで一貫して取り組むことで、大学改革を推進しています。

小規模私立大学においては、少子化の影響が大きく、特に地元からの学生確保が重要な課題となっています。私は実務の中で入学者の地域別動向などの分析を行ってきました。例えば、地域ごとの出身高校の推移を把握することで、地元からの学生募集に向けた施策を提案しています。

また、入試形態別の入学後の成績動向なども分析していますが、仮に特定の入試制度の学生の成績に課題が見られれば、学習サポートの在り方といった教育的な対応や入試制度の見直しの必要性について検討していくことになります。

こうした入学者動向や在学生の学修状況に関するデータ分析は、教学IRの重要な役割の一つです。地域密着型の小規模私立大学にとっては、特に地域とのつながりを意識した分析と、それに基づく具体的な施策の展開が肝要だと考えます。

―――大須賀准教授が行ってきた教学IRに関する研究で興味深い成果はありますか?

私が所属する大学では、卒業時アンケートの分析を重要な業務の一つとして位置付けています。卒業生に対して、在学中の満足度や、後輩への大学推奨傾向などを尋ねるこのアンケートは、大学の教育成果を知る上で非常に有用な情報源となります。

特に後輩への推奨傾向については、後輩に自分の大学を勧めるかどうかは、大きな責任を伴うため、自分自身が感じる満足度以上に厳しい評価が見られることが多いと考えられます。

実際の分析でもこの推奨傾向は属性によって数値にバラつきが生じることがあります。しかし、データだけではその理由がよくわからないことがあり得ます。そこで、私たちは分析結果を踏まえ、関連する教職員を交えた座談会を開催しています。データから読み取れない背景情報や理由を引き出し、より深い理解につなげることを試みています。その後、学長を交えて改善策の検討を行うなど、教学IRの成果を大学運営に確実に反映させる取り組みを行っています。

こういった取り組みは、おそらく大規模大学だと難しく、小規模大学だからこそできる取り組みです。目に見える学生のことがよく分かるのが小規模大学の特徴でしょう。基本的に小規模大学に勤める教職員は学生の顔と名前が一致していることが多いので、それを利点として、活用しています。

参照:大須賀元彦・富田宏(2024)「小規模私立大学の教学IR 組織における人材育成に求められる視点」日本ビジネス実務学会『ビジネス実務論集』第42号:p. 35-40.

大学の経営戦略の中核に。マネジメントサイクルを下支えする教学IR


教学IRの取材写真
―――数学IRの発展がもたらす可能性と今後の展望についてどのような考えがありますか?

教学IRは、大学の経営戦略にとって非常に重要な位置を占めています。

大学は教育サービスの提供者として捉えられますが、そのサービスの質を適切に管理、運営できているかどうかが、経営上の重要な課題となります。教学IRの役割は、まさにこの教育の質を保証するために不可欠だと思います。

教育の質を保証するためには、ディプロマ・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、アドミッション・ポリシーの三つの重要なポリシーの機能を適切に評価することが必要です。これらのポリシーが適切に機能しているかどうかを教学IRによって分析し、評価することで大学の教育の質が保証されるのです。

近年、多様な学生が大学に入学してくる中で、これらのポリシーが適切に機能していないと、大学としての教育の質保証ができなくなってしまいます。その結果、大学の経営戦略そのものが成り立たなくなる可能性があるのです。

教学IRが適切に機能している大学は、教育の質と経営の持続可能性を両立できるため、教学IRが大学経営にとって欠かすことのできない重要な機能になってきているのではないか、と思います。

一般的に、教学IRの取り組みは大学を中心に行われていると認識されています。個人的に調べた結果では、市立の高校などにおいては、教学IRの取り組みはあまり行われていないのが現状のようです。

一方で、私立高校の中には外部の専門機関に分析を依頼し、その結果をレポートとして受け取るなどの方法で分析を行い、改善につなげるといった取り組みが行われている学校もあるようです。高校や専門学校などにおける教学IRの活用は、大学と比べると多くはないものの、今後広がりを見せるかもしれません。

―――現在取り組まれている最新のプロジェクトについて、教えてください。

中京学院大学の教学IR組織が4年前に大学内に立ち上がってから、教学改善に向けて尽力してきましたが、組織間連携の課題に直面することも少なくありませんでした。教学IR組織だけでは大学全体の変革を実現するのは難しいという経験から、より効果的な取り組みを模索してきました。

その一環として、教学マネジメントの中に教学IRを位置づけ、その役割を明確化するスキームを構築しました。
教学IR室Ringの提案 出典:中京学院大学「教学IR室Ring

具体的には、教学IR組織が行った分析結果を「IR室レポート」としてまとめ、全教職員に共有しています。そして、この分析内容について教職員との意見交換の場として教職員座談会を設け、座談会の中で浮かび上がった課題を大学全体(機関)レベルの課題、学部(課程)レベルの課題、教職員レベルの課題に分類し、フィードフォワードとして執行部会に報告、提案する仕組みを構築しました。執行部会は、これらの課題を有する該当部署などに対して改善指示を出し、該当部署などは教学IR組織にフィードバックを行います。教学IR組織はこのサイクルを管理、運営し、分析と企画立案の両面から教学改善に取り組んでいます。

例えば、教学IR組織が企画運営する「学長ワークショップ」もその一例です。学長が学生と共に授業の改善について考える機会を設けることで、学生の主体的な学びを促すと共に、学生からの声を聞き、大学側の課題把握につなげています。

教学IR組織が教学マネジメントを下支えし、組織全体の改善につなげていく取り組みが、我々の大学における教学IRの実践です。

偏差値では測れない大学の魅力を可視化、自分にとって一番の大学へ


教学IRの取材イメージ画像
―――最後に読者の皆様にメッセージをお願いします!

一般の方にとって、「教学IR」は比較的なじみのない言葉かと思います。「IR」と聞いても、カジノなどのイメージが先行してしまうかもしれません。しかし、教育の分野においては、教学IRが非常に重要な役割を果たしているのが実情です。

教学IRは、専門的な職として大学内に位置づけられており、教員や職員がそのポストに就いているケースもあります。つまり、教学IRは多様なバックグラウンドを持つ人材が携わる分野なのです。

これからお子さんを大学に進学させる際には、教学IRの取り組みが大学選びの重要な指標の一つになると考えられます。エビデンスに基づいた教育の特色を示せる大学は、受験生や保護者にとって魅力的に映るでしょう。

実際、多くの大学のホームページでは、IR組織が収集、分析したデータを分かりやすい形で公開しています。これは、教学IRの一つの成果です。

このように教学IRは大学経営や教育の質保証において重要な役割を果たしています。一般の方にもこの分野への理解を深めていただくことで、大学選択の判断材料の一つとして活用していただければと思います。

新井那知
ライター
So-gúd編集部
新井 那知
埼玉県・熊谷市出身。渋谷の某ITベンチャーに就職後、2016年にフリーランスライターとして独立。独立後は、アパレル、音楽媒体、求人媒体、専門誌での取材やコラム作成を担当する。海外で実績を積むために訪れたニューヨークで、なぜかカレー屋を開店することに—-帰国後は、クライアントワークを通してライターとして日々取材や編集、執筆を担当する。料理と犬、最近目覚めたカポエイラが好き(足技の特訓中)。
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