特にスタートアップ企業にとって、新規のユーザー・顧客をどう集めるか、自社の製品・サービスの認知をどう高めるかという点でのグロースハックは、常に大きな課題であり、重要なテーマとなります。
その解決策となるグロースハック戦略の1つが、既存のプラットフォームに組み込まれる“統合”戦略。
十分なユーザー資産やユーザートラフィックがある大規模なプラットフォームサービスに自社の製品・サービスを組み込み、ユーザー認知を一気に獲得できれば短期間での事業成長(=グロースハック)を実現可能です。このページでは、既存のプラットフォームに自社サービスを統合・組み込むことでグロースハックを実現した事例を紹介します。
このグロースハック事例における重要な観点は以下の3点です。
・統合するならば、どのプラットフォームが最適か?(自身の製品・サービスの潜在的なユーザー・顧客が集まるプラットフォームはどれか?)
・組み込み、統合にあたって、技術面・エンジニアリング的な観点でのハードルは何か?
目次
Paypalのグロースハック事例~eBayの決済サービスへの組み込み~
Paypal(ペイパル)は1998年創業のオンライン決済サービスを提供する会社で、本社はアメリカ・カリフォルニア州のサンノゼにあります。全世界で2.4億ものアクティブなアカウントが開設・利用されており、2017年の決済総額(Paypalサービスを通じて支払われた金額の総額)は4,570億ドル(約50兆円以上)、いまだに前年比20%以上の水準で成長し続けている企業です。
このPaypalの決済サービスは1999年の開始当初、登録ユーザー数(アクティブ・アカウント数)が1万人程度でしたが約1年で数百万人規模のサービスに拡大、2002年までの約3年間で約1,300万件のアカウントを獲得するまで急成長を遂げ、IPOを果たした後にeBayに買収されます。この急成長の影には、サービス初期に実施されたいくつかのグロースハック施策がありました。
ECサービス「eBay」の決済方法としての統合・組み込み
当時、アメリカで成長・拡大し始めていたオンラインショッピングやオンラインオークションのサービス。その代表格がeBayでした。Paypalは自社のオンライン決済サービスの利用を拡大するには、eBayの決済方法の1つとしてPaypalを組み込むことが必須と考えました。
一方、eBay側もまだ小切手による支払いも多かったアメリカにおいて、簡単で安全な決済手法を導入してオンライン決済を拡大することは急務でした。また、既存のクレジットカード決済と比較しても手数料の安いPaypalサービスは、eBayを利用する出店者・ユーザーに必ず受け入れられるだろうと考えたのです。
ただ、eBay上での決済方法の1つとしてPaypalを追加するだけなら簡単ですが、実際にはeBay上の各出店者に自店舗で対応可能な決済手段の1つとして登録する作業をしてもらい、eBay上でのPaypal決済が拡大していかなければなりません。
このためPaypalは、eBayの出店者に”Paypalで決済できる”ことをユーザーへ積極的に知らせてもらうため、店舗ページにPaypalロゴを簡単に挿入できるツールをeBayと共同で開発・導入しました。この結果、eBay上の非常に多くの店舗ページで、既存のクレジットカード会社のロゴ(Master CardやVisa Card、AMEXなど)などと横並びでPaypalのロゴが表示されるようになったのです。
この施策によって既存の決済手段(大手クレジットカード会社など)と横並びとなったことでPaypalの信頼性が格段に向上したと考えられています。この結果、急速にPaypalの利用が拡大したというのが、eBayというプラットフォームへの統合・組み込みにより実現したPaypalのグロースハック事例です。
Paypalの紹介マーケティングによるグロースハック事例
eBayへの統合・組み込みによるグロースハックでよく知られているPaypalですが、Dropboxなどと同様の紹介マーケティングによるグロースハック事例も有名です。
Paypalも1999年のサービス開始当初はテレビやラジオなどの既存の媒体を使った広告宣伝によってユーザーを獲得しようとしましたが、期待するほどの効果が無かったそうです。そこでPaypalアカウントの開設を促進するために、以下のような招待制度を導入しました。
・Paypalアカウントを開設すると、$10が自分のPaypal口座に振り込まれる。
・さらに、友人・知人にPaypalを紹介すると、$10が自分のPaypal口座に振り込まれる。
この報酬額はその後$5に減額され、現在ではこの紹介マーケティングは実施されていません。しかし、この手法により2000年3月から夏頃までの数カ月間で、400万人のユーザー獲得、グロースハックを実現しました。
※当時、PaypalのCEOだったイーロン・マスク(現在の電気自動車メーカー・テスラCEO)によると、この招待マーケティングの費用としてPaypalは6,000万ドル以上(約70億円以上)を投じたそうです。ただ、その後2002年にPaypalは15億ドル(約1,600億円)でeBayに買収されています。
Airbnbのグロースハック事例~Craigslistへの転載~
宿泊予約サービスを運営するAirbnb(エアビーアンドビー)もまたグロースハックにより急成長を遂げているオンラインサービスの1つ。そしてAirbnbの成長を語る上でCraigslist(クレイグスリスト)を活用したグロースハック事例は欠かすことができません。
Craigslist(クレイグスリスト)とはアメリカ発の地域別掲示板サービスで、無料で掲載できる個人間の情報交換を目的とした掲示板や、クラシファイド広告と呼ばれる有料掲載の掲示板(求人や不動産など)サービスで構成されています。月間ページビュー数200億以上、アメリカ国内からのアクセスだけで月間約5,000万人の訪問者がいる巨大なプラットフォームサービスです。
各地域ごとの不動産賃貸情報や短期レンタルなどの情報に関連する掲示板もあることから、Airbnbがターゲットとするような“普通のホテルでは満足しない”ユーザーも多数Craigslistを利用していると考えられました。
Airbnb掲載情報のCraigslistへの投稿
サービス開始初期のAirbnbも他の新規サービスと同様、ユーザー獲得が課題でした。また”民泊サービス”という性格上、ユーザーだけでなく宿泊場所を提供してくれるホストの開拓も同時に必要でした。いわゆる“Chicken or the egg”(鶏が先か、卵が先か)という課題に直面していたのです。
Airbnbのユーザー数が少なければ、掲載しても効果を期待できないためにホストの開拓が進みません。またAirbnbの掲載情報件数が増えなければ、ユーザー数も増えません。
この大きな課題を解決したのが「Airbnb掲載情報のCraigslistへの投稿・転載」によるグロースハックです。
Airbnbは、宿泊情報を掲載中のホストが利用する管理画面に「Post to Craigslist(クレイグスリストに投稿する)」というボタンを設置、「Vacation Rental(バケーション・レンタル)」などのClaigslistの無料カテゴリに、Airbnbの掲載情報を数画面の遷移で簡単に投稿・転載できるようにしたのです。
さらに、Craigslist上の情報を見たユーザーはAirbnbのWEBサイトを訪れて宿泊予約をします。このため転載が進むほどに、新規のユーザー獲得が進みました。また毎月数千万ユーザーが訪れるClaigslistへの投稿・転載が簡単にできるため、ホスト側のAirbnbに対する価値や効果への期待感も高まったのです。
マーケティング志向のエンジニアがいたから実現できたグロースハック
このAirbnbのグロースハックの凄い点は、Craigslistが正式にAPIなどを公開していない(Craigslistが外部システムによる投稿を正式に許可していない)中、エンジニアリングスキルにより実現されている点です。
グロースハッカーではなく従来型のマーケティング人材であっても、Craigslistへの掲載・転載というアイデア自体は思いついたかも知れません。しかしながら、Craigslistが正式にそれを許可していない上、Craigslistへの有料広告掲載の場合は1件あたり月間数十ドル(数千円)の費用がかかります。つまりAirbnbの情報を転載するというアイデアがあったとしても、どのような仕組みでそれを実現すればよいのか想像がつかない可能性もあるのです。
一方、エンジニアリング面からも解決策を考えられるAirbnbのグロースハッカーたちは、あたかもホスト自身が自らCraigslistに投稿したかのようにAirbnbの掲載情報をCraigslistに転載するにはどうすれば良いかを研究したそうです。彼らは、Craigslistの投稿プログラムをソースコードから解読、投稿の仕組みを再現(リバース・エンジニアリング)することで、AirbnbからCraigslistへの転載投稿機能を実現しました。
さらにこのCraigslistへの投稿・転載機能によるグロースハックが優れているのは、システム開発費用を除くと広告予算は無料で、また仕組み化されているためAirbnbが介在しなくても永続的に成長を生み出すグロースハックだった点です。
「グロースハッカー」と「従来型のマーケティング人材」では大きく異なることが、このグロースハック事例からもよく理解できると思います。
Spotifyのグロースハック事例~Facebookへの統合~
2008年にスウェーデンで開始されたサービスで、現在では65の国・地域で提供されている全世界規模の音楽ストリーミングサービス。ビジネスとしてはフリーミアムモデルのサービスで、広告が入るなど機能が制限される無料会員と、広告が入らず音楽が聴き放題となる有料のプレミアム会員から成るサービスです。全世界でのアクティブユーザー数は1億5千万人以上、有料サービスの利用会員数も7,000万人以上(2017年時点)という巨大な音楽関連サービスで、2018年にアメリカ・ニューヨーク市場に株式上場したことでも話題になりました。
約10年前に生まれたばかりのサービスが、どのようなグロースハックによって世界規模の音楽ストリーミングサービスとなったのでしょうか?この成長の裏にもプラットフォームへの統合・組み込みというグロースハック戦略が採用されていました。
Facebookの公式音楽アプリとしての統合・組み込み
2011年にSpotifyはFacebookは新たな提携関係をスタートさせました。SpotifyはFacebookのサード・パーティ・アプリの1つ、公式の音楽アプリとなったのです。
これによりFacebook上から簡単にSpotifyのアプリをインストール可能になったことに加え、ユーザーのFacebookのタイムライン上にSpotifyでどんな曲を聞いているかが配信されるようになり、ユーザーのタイムラインを通じて友人・知人へSpotifyのサービスが一気に告知されるようになったのです。
Facebookとの統合と同時に米国市場に進出したSpotifyは、それまで数百万人規模だったユーザー数がFacebookとの統合後すぐに2倍近くに跳ね上がり、それから約3年間で10倍規模のサービスにまで拡大しています。
●Spotifyの会員数の推移
会員数合計 | うち、有料会員数 | |
---|---|---|
2011年3月 | 約600万人 | 約100万人 |
2011年9月 | ※Facebookとの統合 | |
2011年11月 | 約1,000万人 | 約250万人 |
2012年12月 | 約2,000万人 | 約500万人 |
2014年11月 | 約5,000万人 | 約1,250万人 |
現在ではSpotifyサービスへの登録をFacebookアカウントで行うことができたり、またFacebook上で繋がりのある友人がSpotifyを利用してどんな曲を聞いているかなどの情報をアプリ上で確認可能になるなど、ますますFacebookとSpotifyのサービスの統合が進んでいます。
プラットフォームとの統合だけでグロースハックを実現できる訳ではない
SpotifyがFacebookサービスに組み込まれ、ユーザー数・有料会員数・売上がバイラルに拡大するグロースハックが実現できたのは、優良なプロダクト・サービスだったからこそです。Spotifyに限らず、このページの事例で取り上げたグロースハック企業は、前提として他社に無い価値を備えた新しいサービスを提供しており、それがプラットフォームに組み込まれることで、短時間で爆発的な成長を実現したという事例です。
例えば、Spotifyが対象とする”オンラインで音楽を聴きたい”ユーザーは、Spotify以外のサービスに対して「高額で聴き放題ではない(AppleのiTunesのように都度購入が必要)」もしくは「無料であるが聴きたい曲が選べない(ネットラジオのようなサービス)」といった不満を抱えており、これら既存の音楽配信サービスが抱える課題を解決したのがSpotifyでした。
またSpotifyでは世界各国でのローカライズも徹底して行われており、世界中でヒットしている有名な楽曲だけでなく各国のローカルで活動するインディーズ音楽まで、幅広く音楽をカバーしている点も他のサービスには無い強みです。
以上、FacebookやCraigslistといった巨大なプラットフォームに、自社の製品・サービスを統合・組み込むことでグロースハックを実現した事例を紹介しました。
グロースハック関連の記事:
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